April 26th, 2012

2012年4月22日復活後第3主日聖餐礼拝説教「私たちはキリストの証人」”We are Witness of Christ”岸野豊牧師

牧師説教, by admin1.

ルカによる福音書24章36b-24節

「私たちはキリストの証人」        “We are witness of Christ” 

私たちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなた方にあるように。アーメン。

今日の福音書はイエス様が復活して3度目に弟子たちの前に現れた話です。一回目はイエス様が復活された日曜日で、弟子たちは、墓に葬られたイエス様に出会った婦人たちから聞いて、それが本当なのか、一体これはどういうことかと思っていた、またユダヤ人のリーダーたちが弟子たちを探していることを恐れてびくびくしていた時に、イエス様が、弟子たちが集まっていた部屋の閉まっていたドアを通り抜けて、弟子たちに会われた時です。

二回目にイエス様が現れたのは、二人のイエス様の弟子がエマオと言う町に行く途中に独りの旅人として旅の仲間に入り、エルサレムで起こった出来事を話し合っていた時、また、特に夕食を一緒にいただいた時、パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いた時で、その時、この二人のイエス様の弟子の目が開け、その旅人がイエス様だと分かったのです。

さて、今日の聖書の記事に戻る前に皆さんに質問があります。2003年に、South East Asiaから始まったと言うSARS と言うインフルエンザが世界に散らばっていったのをおぼえていますか? 英語では、 “Severe Acute Respiratory  Syndrome” と呼ばれていました。その時、 私は日本に両親を尋ねていたのですが、帰りの飛行機は殆どの人たちがマスクをかけていました。あちこちでごほん、ごほんと咳をしていた人は皆から睨らまれていたのを思い出します。そのSARSはカナダのBritish Columbia で多くの人を肺炎にし、何百人もの人の命を奪ったのです。これが、世界的な感染病になると心配していましたが、それまでにならなかったのはluckyと言うしかありません。

しかし、今現在、SARSはなお続いているのです。そのSARSはSevere Acute Respiratory Syndrome ではなく、 “Severe Acute Rejection Syndrome” と言われ、多くの人を「神様なんているわけない」と思う、また、多くの人がイエス・キリストへの信仰から離れてしまったのです。

少しここでキリスト教の日本に入ってきた明治時代のことをお話しましょう。

明治初期の日本は、文明開化の名の下で、日本人の思想家、政治家、また西洋から始まった蒸気機関車、エンジン、また民主主義とはどのようなものか、また西洋の宗教であるキリスト教を勉強するために、多くの人がアメリカとヨーロッパの国々に送られたのです。何年もこのように外国で文明開化の土台となる学問、知識、またキリスト教も多くの日本人によって広められていったのです。日本人が西洋の文化を受け取り、世界一流の国になりたいと思ったのは何も悪いことではありませんでしたが、その西洋の土台にあったキリスト教の教えは、天皇陛下が日本の文化の中で「朕は神なり」と言われていた時にも伝わってきたのです。

メソジスト教会はRev. Dr. Brown、聖公会はRev. Dr. William,  長老派教会は、Rev. Dr. Hepburn, ルーテル教会は、Rev. Dr. Schere, そして東方教会、それはオーソドックス教会は同じように1861年にDomitri Kasakinを日本に送りキリスト教の布教を始めたのです。もちろんカトリック教会は徳川時代の前から日本で布教を始めたのですが、キリシタン禁止令により隠れ・キリシタンと言う形でつづき、今なお、独自の形でイエス様の教えを伝えています。

少しここで脱線するならば、明治維新に活躍した日本人の政治家、教育家の中にキリスト教の教えの精神を取り込んた有名人が沢山いるのです。日本初代の文部大臣は森有礼というひ一つ橋大学を築いた人、早稲田大学の初めの総長、大隈重信、慶応大学の初めの総長、福沢諭吉また西郷隆盛、大久保利通、板垣退助、また日本の武士道の教えにキリスト教を結び合わせた内村鑑三のように、キリスト教の精神と日本の文化と共に守ろうと試みた人たちが沢山いたことを知って欲しいのです。

日本人はアメリカ人のほとんどがクリスチャンであると思ってるようですが、アメリカの教会が一番燃えていた時は第二次世界直後の1950年から1975年でこの時に、アメリカの人口の50%が教会に通っていました。教会の礼拝の前に、Sunday school もまだ沢山の人たちで守られていました。その当時は皆勤賞などもあり、Sunday school を一度も休まない子供たちにピンが与えられた時代もあったのです。日本の教会でも毎日曜日に小さいカードを頂くのが私にとっては一番の楽しみでした。そのカードに書かれた聖句、イエス様の言葉を知ることができたのです。

小さい時は両親と共に毎日曜日は教会に行っていたと云われる方の中にも、今日教会には月に、一回、二回と言うのが当たり前になっているような言い方をする人たちもたくさんいます。日曜日は子供のサッカー、野球の試合の時、何か世界で一番キリスト教に熱心であった国と呼ばれたアメリカでもSpiritual SARS が私たちの世界を襲っているように思うことが多くあります。若し、Spiritual SARS によって私たちが、イエス様の教えから遠ざかっていると感じる時、私たちが戻るところは、神様の言葉、それは聖書を読むことです。聖書を読むことにより、また聖書の言葉が良く分かるようになるのです。しかしこれも神様からの聖霊によって分かるようになると言うのが本当ではないでしょうか。その聖霊とは、私たちの罪を取り除く為に十字架に架かって死んだイエス様、そのイエス様は今生きており、私たち何時も共にいてくださる、いつも神様の愛に私たちを包んでくださっていることを知ることです。しか、しこれも自分で信じられるように努力すると言うのではなく、聖霊により今生きていられるイエス様の導きで信じられるようになるのです。多くの人が、何故イエス様は私たちにご自身の姿を顕わさないのかと質問されますが、イエス様が自分の姿を私たちに顕わさない理由もあるのです。イエス様は私たちに、私たちの信仰によって神様を見てくださいとおっしゃっているのです。イエス様はまた私たちに手で触って神様を知るのでなく、信仰の手でイエス様に触れていただきたいのです。

またイエス様は私たちに、イエス様についてのことは何千年も前から旧約聖書の預言の中に救い主が生まれる、イエス様が私たちの罪を負って十字架にかかり死ぬ。しかしそれは、私たちの罪のため、その罪を取り除く為にこられると書いてあるのです。まさに2000年も前にそれが成就され、神様の愛が、すべての人を救う教えとして私たちがいただいた賜物です。

最後に私の牧師友達の教会から送られたnewsletterから読んだ話を紹介して今日の説教を閉じたいと思います。

ある時、13歳になる男の子がお母さんのことで、友達からからかわれ、いや思いをしていたことがありました。子のお母さんは息子の学校で給食担当の仕事をしていました。また息子のスポーツのイベントにも欠かさず参加して応援してくれていたのです。このお母さん若い時、とてもきれいな美人でした。しかし今、子のお母さんの方頬に大きな傷があるのです。その醜い傷を見て、友達の男の子は「君のお母さんどうしてあんな顔をしているの、お化けみたいだ」とからかうのです。

そのようにからかられて、この男の子、「僕は学校にいきたくない」と言い出したのです。友達からお母さんの顔の傷のことでからかわれている。His mother knew that he was ashamed of herと知ってお母さんは、どうしてお母さんの顔の傷ができたのかを息子にはじめて語ったのです。お母さんの顔の傷は、昔住んでいた家が火事になった時にできた傷です。それは13年前、お母さん、夜中に、何かが燃えている匂いで起こされ、家で火事が起こっていることに気がついたのです。まだ赤ちゃんだった息子をブランケットに包み家から出ようとしていた時、火がお母さんに降りかかり、顔の半分が火傷でケロイドのようになっつてしまったのです。

その話をはじめて聞いた息子は、その時始めてお母さんの顔の傷を感謝の念を持って見ることができるようになったのです。そして僕を助ける為に命をかけたことを感謝する思いが初めてできたのです。それ以来、お母さんの顔の傷を愛の傷と思うようになったのです。

イエス様が私たちの罪のため十字架にかかってまで死んでくださった。それは御子を信じる者が、独りも滅びないで、永遠の命を得るためである。これが私たちのためにイエス様が下さった最大のギフトです.私たちは愛されることから外れることなく、今も後の世界もイエス様と共に過ごすことができるのです。アーメン。

 

 

 

 

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