May 1st, 2012

第11回AAPI (Association of Asians and Pacific Islanders) 集会報告

行事案内及び報告, by admin1.

2年に一度行われるアジア伝道集会が、今年は4月11日より3泊4日に亘りモントレーパークの信儀教会(Christ Lutheran Church)で開催された。

私達LCR日本語部からは、岸野豊牧師を始め、愛子Gordillo、大橋静江、Day, そして芙美Liangが参加した。安達均牧師も、私達の教区より、教区長補佐として出席された。

 私は水曜日の開会礼拝で、何らかの奉仕を担当する依頼を受け、開会礼拝の一時間前には教会に来るようにと指示を受けていた。思ったより交通事情が良く、12時前にはモントレーパークに到着した私達は、早速ホテルのチェックインを終え、昼食を終えた後教会へ向かった。既に岸野先生は教会に到着していて、AAPI集会の総責任者を勤めるポンサック牧師、そして開会礼拝担当のダニエル牧師と共に参加者に渡すパッケージ作りをされていた。私もお手伝いをしながら、ダニエル牧師からどのような奉仕を礼拝で担当するのかと尋ねた所、司式者の一人として、礼拝をリードするようにと言われた。その時始めてプログラムを手にした私は、これは重大な事になってしまったと思った。聖書の朗読から献金の奉仕等、英語の聖書も持参していないので、どこからか探して来なくてはならない。そうこうしているうちにレジスターが始まり、続々と各地からの参加者が集まって来た。二年前にシカゴで共に集会をした懐かしいアジア伝道の仲間の顔があちらこちらに見える。挨拶したい気持ちと、礼拝の準備をしなくてはと焦る気持ちで落ち着かない私の前に、トーレンスから到着された中村先生が立たれた。「お久しぶりです。AAPIの集会は皆さんに久しぶりに会って、共に伝道の熱を再び燃やし合うのが目的ですよね、なのに、今回は礼拝奉仕のお役目を仰せつかって緊張してます。」と言うと、中村先生が、「それも“燃えさせる”一つの要だと思って担当すれば、きっとこの集会があなたにとってもっと恵まれた時になりますよ。」と言われた。私は、「神様のご計画は凄い」と思った。2年前はただの参加者だった信者の私が、今回は神様がこのような奉仕の役を用意してくださっていたのだ。途端に私は「しゃん」となった。神様の御用の為に用いられる者として相応しい心構えができた。礼拝堂の一番後ろに座り、礼拝の始まるのを暫し待っていた時も、中村先生はそっと後ろから私の肩に手を置いて、「心の中に常に共にいらっしゃる神様をあなたは知っているでしょ?心の真ん中にある存在をあなたは感じているでしょ?簡単なお祈りをして、後は全てを神様に委ねたらいいよ。」と声を掛けてくださった。何故か涙が出そうになった。礼拝は始めから終わりまで満たされて終わった。中村先生の言われた通り、私にとってはこのAAPIの集会で心が“燃える”きっかけとなった礼拝となった。

 二日目、いよいよ今回のテーマに基づいて、聖書の学び、特別講座、グループの話し合い等のスケジュールが展開される。今年のテーマは「We and The Bible」である。日本語で訳せば簡単に「私達と聖書」となる。先ずAAPIの会長であるDr.Yeeが挨拶をされた。その時、中国人である彼は、「アジア人の私達にはこの”We and The Bible”と言う英語はすぐに理解できるけれど、文法的にはちょっとおかしい英語かも知れない。でも敢えて直さなかったのは、私達アジア人にとって、聖書がどのように生活に生かされているかを考えたいからであり、何故 “I”ではなくて “We” かと言うと、アジアの諸国を代表する私達が、全部まとめて一体となってこの集会に集うからであり、それぞれに異なった背景を持つ私たちだけれども、それを越えて一つの “We” として聖書の読み方を考えて行きたいからであると力説された。

 9時からの聖書の学びは、ヨハネによる福音書1章1節から18節までの箇所から、インドのDr. Surekha Nelavela 女史がリードされた。彼女はホテルのカウンターで、私がお昼に食べきれなかった肉まんをあげた女性で、美味しかったありがとう、と昨晩お礼を言いに来てくれた人だ。これがAAPI独特の良い所で、牧師であろうが、教授であろうが、信徒であろうが、ここに参加した人達は「肩書き無し」で知り合う事ができる。余談になるが、シカゴから来たPastor Jade は可愛い中国人女性だ。昨日の開会礼拝前に教会まで車に乗せて行って欲しいと彼女から頼まれ、車中では同行の愛子さんや静江さんと楽しくお話をしていた。そして彼女が開会礼拝での説教をした。そこで始めて愛子さんと静江さんは彼女も牧師だったと知ったというわけである。

さて、話を元に戻して、“Dr.肉まん”の話は本当に興味深かった。タイトルは、“Grace instead of Grace”だった。始めに彼女は、“Well done is better than well said”、と語った。私達が頭でイエス様を考えている、知識はあるかもしれないが、その知識が行動に繋がっているだろうか。 ヨハネの1:17に:律法はモーセを通して与えられたが、恵みと心理はイエス・キリストを通して現れたからである。と書かれているが、この律法とは 「Empire-King」であり、恵み(Grace)は「Jesus- household」ではないだろうか、と彼女は語った。確かに律法も大切だが、恵みも大切、要は私達が私達の生活の中でどのように受け止めて行くか、どのように行動に示せるか、なのだ。

 聖書の学びの後は、Keynote Speaker の講演だった。Rev. Dr. Moses Penumaka による講義は、かなり内容が難しく、始めはいったい何を言いたいのかよく理解できなかった。新しい目で聖書を読み、新たな心を持ってみ言葉を愛す、いったいどう言う事だろう? 伝統的な聖書の読み方がただ忠実に聖書を読み、祈るという形であれば、新しい読み方とはどのような読み方か?しかも彼はPost-Colonial Approachという言葉を使ったので、私はますます解らなくなった。Postcolonial Approach という言葉は「植民地」後、という事だから、植民地だった一つの国が支配国から独立して新たな自分たちの国を築いて行くという事なのだろう。(私なりの理解なので定かではないが。)とすると、Dr. Moses が言おうとしているのは、自分たちが今まで教えられたように読んで来た聖書を、本当の自分の物とするには、どう読んで行ったらいいのか、という事なのだろうか? それと同時に、私が感じた事は、植民地になった経験のない日本で生まれ育った私には、どうもこのPostcolonial という言葉がしっくり来なかった。この集会に出席している多くの民族が日本の植民地だった。ふと思い出したのは伊藤文雄牧師が私達の教会で牧会をされていた時に言われた言葉だ。伊藤先生も4年前にモントレーパークで開催されたAAPIの集会に出席されたが、その時に、プログラムの中に組み込まれていたアジア多民族伝道の各諸国の中に「日本」が入っていなかった。伊藤先生はその事をポンサック牧師に指摘されたが、その時「日本は軍事国家でアジア諸国を植民地として押さえ付けて来たから、私たちは殊更気をつけなくてはならない。日本伝道はアメリカでは他のアジア諸国の伝道と同じ立場にあるという事をAAPIで示す事が必要だ。」と私に話された事を思い出しながら、確かに私達の日本語部はLCRのミニストリーとしてありがたい程に諸条件が揃っている。日本語部の年度予算もきちんとあり、他の小さなアジア諸国のアメリカでの伝道とは比べ物にならない程恵まれている。だからAAPIでは「日本語伝道」は特にサポートする必要もない、自分たちでやっているから、と思われたのではないだろうか。伊藤先生は日本に帰国される前、私に他のアジア伝道の人達と共に、このアメリカでの多民族伝道を考える事を、しっかり教えて行って下さった。それが、今Dr. Moses の講義を聴きながらやっと理解できるような気がした。私には「植民地」体験がない、しかしアメリカに住む多民族は、背景が違っても、この土地で生活するからには、「新しい土地で生きて行く」体験をしているはずである。その過程で、同じような悩みや困難を乗り越えて行く、その時私たちの心の糧となるのがみ言葉である。新しい土地で生きて行く私たちが、私たちの背景にある伝統的文化習慣にだけ固守して新しい土地で生きて行くのか、それとも伝統は大切にしながら、新しい土地の文化習慣も身につけて生きて行くのか。伝統的に、聖書のみ言葉をただ「読む」のか、それとも「身につけるのか」、もしかしたらそこに「New eyes of reading the Bible, new hearts to understand God’s love」の真意があるのかも知れない。正に、目から鱗の講義を聞いた思いだった。そして自分の勉強不足も痛感した。

 この日は午後からもアジア伝道の為の資料の紹介や、アジア各国の讃美歌を集めた本の紹介、またシカゴのルーテル教会本部ELCAからの世界飢餓援助運動の説明や、プロジェクトの案内など、盛りだくさんだった。6時からの夕食は、2年前にシカゴでもお世話になったグラディスが今年も台所に立ち、采配を振るっていた。この教会は彼女の母教会なので、彼女に取っては自分の家と同じなのだろう。2年前もシカゴで彼女の素晴らしい奉仕の精神に感激したが、今回も朝早くから夜遅くまで彼女は台所で参加者全員の朝昼晩の食事を笑顔で担当してくれた。

夕食の後は、また賛美の時が始まった。この晩の賛美礼拝で、岸野先生を始め、何人かの牧師が、それぞれの働きを認められて表彰されたのだが、思ってもみない事に牧師でない私も表彰された一人だった。民さんが私の紹介をしてくれた。私の事をこれほど彼女はよく見てくれていたのだ、びっくりする程民さんは私の教会での奉仕を皆さんに語ってくれた。心から感謝である。

思えば8年前にミネソタのAAPI集会に始めて出席したとき、まさか自分が神様に用いられるとは思っても見なかったことだ。あの時は日本に帰国される高塚牧師夫妻もミネソタの集会に参加され、そこから日本に帰国された事を覚えている。そしてその当時Mission Director をされていた現在この日本語部の牧師である岸野先生から、是非英語部と日本語部の架け橋になり、これからの日本語部を支えてほしい、と頼まれた。自分には何ができるかわからないが、新しく日本から来られる田中牧師夫妻のお手伝いをする決心をしたのはその時だった。それから田中牧師夫妻が帰国され、伊藤牧師が復活ルーテル教会日本語部と、トーランスにあるファーストルーテル教会日本語部を兼牧され、伊藤牧師夫妻が日本に帰られた後、岸野先生が牧会を引き継がれた。私達の日本語部は今年で24周年を迎える。神様に守られて24年、日本語伝道を南カリフォルニアのハンティントンビーチで続けて来られたのである。聖霊の導き無しでは考えられない。それを思うと、今回表彰された事は大変光栄であり、まさにこの光栄を感謝と共に神様にお返ししよう。神様は、今きっと私に「まだまだあなたの奉仕は終わってません、これからですよ」と言われるに違いない。

 

翌日も朝早くからグラディスが台所でお粥を準備して待っていた。賛美の音楽が礼拝堂から聞こえる。毎回長髪の若いタイから来た牧師が、若い音楽家達を引き連れて賛美の担当をしてくれている。私達は彼を「ゴルフ」と呼ぶ、彼の名前があまりに長過ぎて誰も覚えられないし発音できないからだ。彼からは常に溢れ出るパッションを感じる。韓国の牧師は、2年前シカゴの集会の前に交通事故で片目を無くした人だが、彼もパッションの固まりのようだ。フィリピンの牧師で、コラ牧師は70代の女性だが、彼女も歌い踊り、元気一杯である。インドネシアも凄い。今回の参加者の3分の1がインドネシアの皆さんだ。誰が牧師で誰が信徒かはまったく解らないが、皆さん一体になって賛美する姿は素晴らしい。

この日は、10時からKeynote Panelがあり、私もパネルスピーカーの一人であった。前に備えられた椅子に座ると、隣にグラディスが座った。台所から駆けつけたパネルスピーカーである。まさに彼女は何でも御座れの人材だ、凄い!私達が話す事は、昨日のDr. Moses の話をもとに、自分なりの意見や思いを発表するという事だった。実は昨日のDr. Moses の話を聞きながら、私は夜ホテルに戻ってから読み返そうと、ラップトップに必死でメモったのだが、なんとその日になってラップトップが動かなくなってしまったのだ。仕方が無い、自分の思いを正直に話すまでだ、と却って開き直れたような気がする。

私の話した内容は:

*私の背景は、日本で生まれた中国人であり、母はクリスチャンだが父は馬祖教という台湾の土教で、毎年祖先を祭る儀式がある。今でもその為に台湾に父と一緒に帰るが、その度にお線香を持つ。この行為に対して「クリスチャンとしてそれは偶像崇拝だから律法に反する」と言う人もいるが、私はそう思わない。要は、自分の中に神様との平安を見つけて自分の生き方の中に神様のみ言葉をどう築いて行くかだと思う。

*ナイーブだと言われるかもしれないが、Postcolonial と昨日聞いたときピンと来なかったのは、自分にその経験がなく、「人間は皆平等」という思いが私の根底にあるからだと思う。アメリカに移民した私達が、自分達の文化背景はこうだからそれを崩しては行けないと、回りはどうでも我が路を行く、という姿勢が正しいのか、それとも回りに同化して行く事が正しいのか?どうだろう?

*例えば、私の知っている「伝統的鮨」を誇りに思っている鮨シェフは、客が「カリフォルニアロール」を注文しようものなら、とんでもない、それは日本の鮨にはないと怒って客を追い出すような人だ。スパイシーツナや、レインボーロール、クランチロールなんて彼に取っては邪道であり、とんでもない事なのだ。でも私はカリフォルニアロールや、スパイシーツナが決して悪いとは思わない。それどころか美味しいと思う。日本人が外地で生み出した味だからだ。伝統に雁字搦めにされた鮨シェフは、彼なり伝道文化を大切にする思いが強いのだろう、それは理解できる。しかし彼のアメリカでの人生は楽しくないかもしれない神様はそれを臨んでいるだろうか? 

*中村先生が2年前の集会で、「肩を張ってクリスチャンですと宣伝する事よりも、福音を常に顔に着ている事です。」とおっしゃったが、私はその通りだと思う。聖書の読み方が伝統的な読み方にしろ、新しい読み方にしろ、聖書は永遠に変わらない伝道の道具なのである。それをいつも新鮮な気持ちで身に付けていることが大切なのではないか。古い洋服でも大切に扱っていれば、いつまでも新しく着られるように。聖書は、誰でも、どんな時でも、直ぐに身につけられるように、One Size fits allなのだ。それは永遠に変わらないと思う。

 パネル発表の後、グループで話し合う場が設けられた。私のグループに大橋さん、愛子さん、民さんが参加された。時間が限られていたので、皆さんの話をゆっくり聞く事ができなかったのが残念である。話し合いの終わった後、シカゴから参加しているJoeが、大橋さんの話に感動し、「第二次世界大戦後に日本人があんな体験をした(大橋さんのご家族は佛教だが、その当時教会に行けば美味しいお菓子が貰えると、親御さんが泣く泣く教会へ行ってお菓子を貰って来いと言われたのだそうだ。)話を始めて聞いた。是非記録に取っておくように。絶対にそれは貴重な記録だ。」と私に力説した。確かに私たち日本語部には多くの歴史を生き抜いた人達が集まっている。証集を出してはどうだろうか?と考える。日本は植民地になった事は無いが、もしかしたら戦後の体験は別の意味でのPostcolonial 体験と言えるかも知れないと思った。

 さてその夜はタレントショーである。日本語部は一度もAAPIのタレントショーに参加した事がない。今年こそ参加したいと思っていた。ありがたい事に、安達さと子さんも金曜日の午後から安達牧師と共に駆けつけてくれた。さくら、さくらを英語と日本語で歌い、大橋さんが着物を着て日本舞踊を踊ってくれることになっている。今回の集会で知り合った、熊本から来て、シカゴの神学校で勉強中の安川美歩さんも一緒に歌ってくれる事になった。先ずは全員で「慈しみ深き」を歌い、その後さくら、さくらで、最後は民さんと私の、習いたてほやほやのシニア和太鼓で閉めるプログラムを用意した。民さんは毎日和太鼓を練習している模範生で、私は練習をしない劣等生だ。どうなることか、とにかくやるしかない。一応皆で練習し、大橋さんも夕食前にホテルに戻って着物に着替えて来た。いよいよタレントショーが始まった。皆さんそれぞれに自分たち独特のお国柄を披露してくれる。インドネシアは大勢で楽しく歌い、手拍子と踊りとで、会場に笑い声が響く。フィリピンは、コラ牧師と家族、そしてSan Diego からのジョギー牧師が身も悶えんばかりの(その動作が恋の歌を語っているかのように)フィリピンの有名なラブソングを歌った。大喝采である。やっと私達の番になり、歌も踊りも順調に、拍手喝采のうちに終わった。次が和太鼓なのだが、ビデオを撮っている牧師のバッテリーが無くなり、交換するのを待っていたいり、ちょっと間が空いてしまったが、結構間違いも少なく、「ドンツク」と無事に終わった。ほっとした途端に、会場からアンコールの声がかかる。冗談でしょう、一曲しか知らないのに、アンコールなんてとんでもない、と私が思っている矢先に、民さんが「ドンツク」と始めてしまった。「民さん、何やってんの?」と私は顔が真っ青である。民さんは平気な顔で「ドンドンやればいいのよ、適当にやってよ」とか良いながら「ドンツク」を続ける。仕方なしに、私も「ドンドン」と叩き、適当な所で辞めた。私達の先生が見たら「よくぞそこまでめちゃくちゃにできるもんだ」と呆れ返るだろう。でもこれで良かった。今まではきっと日本人は真面目でコチコチだと思われていたのに、今回で「できなくても、皆と楽しむ」私達を見てもらえたと思う。

最後の中国人の合唱団の合唱は素晴らしかった。その教会の牧師、Pastor Maoは台湾の彰化出身の方で、私の父も彰化出身なのでそれだけで話に花が咲き、いろいろなお話を聞かせていただいた。現在、この教会は中国大陸からアメリカに来ている中国人が多く、台湾人は少なくなってしまった。台湾人と中国大陸の中国人は、同じ中国人でも考え方や習慣が違う。増して大陸は共産党であり、台湾の中国人は日本植民地時代の台湾人、戦後大陸から台湾に来た「外省人(台湾省以外の省から来た人達)人達だ。私が台湾の大学で学んでいた時は、まだ「大陸に撃って帰ろう」という声があった時で、現在のように、多くの台湾人が大陸に工場を築いたり、大陸と台湾が行ったり来たりするなどは、夢物語だった。だからこそ、台湾人が始めたこの教会で、台湾から迎えられたPastor Maoが誰でもこの教会に来る人たちを心から温かく迎え入れている事は素晴らしいと思う。青年合唱団のほとんどが大陸から来ている若者だそうだ。分け隔てなく彼らを受け入れるのは、決して容易ではなかっただろう。祈ってここまで達成されたに違いない。私は歌声も素晴らしいが、一人一人の若者の顔を見ながら、これからこのアメリカで生きて行く皆さんの上に、神様の祝福と守りがありますように、と祈らずにはいられなかった。

 最終日の閉会礼拝には、私と岸野牧師が出席した。この礼拝の説教はコラ牧師で、力強い説教をされた。メッセージの中で印象に残っているのは、コラ牧師が、「皆さん、随分昔にあった車のスティッカーで、“I found Jesus”というスティッカーがあったのを覚えている方、いますか?」と尋ねられた。何人かが手を挙げた。「それはどういう意味でしょうねえ、イエス様は一度も迷子になったことはない。一度両親が一緒に居ない彼に気がついて探しに行った時がありましたが、その時イエス様は”父の家に居るのに何故心配されたのか“と両親に聞かれたわけですから、迷子になられたわけではない。この “I found Jesus” と言う言い方は自己中心的な言い方だと思いませんか? 私たちが都合のいい時、自分の欲している時だけ、イエス様を探すのでしょうか?自分たちの時に合わせて信仰を持つのでしょうか?都合が悪くなれば必要ないと、どこかにほっておくのでしょうか? そうではないと思います。イエス様はとっくに私達を見つけて、いつも私達と共にいて下さいます。私達は、失敗しても、決してイエス様から離れられないのです。だからこそ、自分の都合のいい時だけでなく、何時でも、常に、イエス様に答えられる私達でありたいのです。」 コラ牧師のメッセージを私は忘れないだろう。私達は自己中心に物事を考え、行動をする。しかし、聖書を道具とし、み言葉を常に身につける事ができたなら、私達は常にイエス様中心の生活ができるのではないだろうか。私はみ言葉を身につけていたい。全能の神様、どうか聖霊の力によって、私を導き、守り、常にみ言葉を顔に着ている人間に成らせて下さい!

 今回のAAPIも、燃えたぎる信仰を体中で表現している人達に囲まれた4日間を過ごす事ができた。この力を絶やす事無く、毎日の生活に活かせて行きたい。また、今年の6月に日本語部主催する修養会のテーマも「聖書と私たち」にする事が決まったので、私のAAPIでの体験を、修養会参加者の皆さんと分かち合う事ができたら幸である。

 Fumi Liang

LCR Cultural Ministry Coordinator

 

 

 

 

                         

 

 

 

 

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