February 21st, 2013

2013年2月21日詩編を読もう:祈りによる確信と安心(詩編27編)安達均牧師

詩編を読もう, by admin1.

悲しい事件が起こった。 というより、私の町でも、やはり起こったか。。。 というか、あきらめと不安がこみ上げてくるような感覚も否めない。 

一昨日の事件当日の朝、5時半に起きて聖書を読み始めた。すると15分位たって、近くの消防署から救急車や消防車が出動する音が聞こえてきた。 しばらくするとヘリコプターの音も上空で聞こえ始めた。 テレビのニュースをつけたのは6時過ぎ。Tustinからの生中継をやっている。 見慣れた光景が写っている。 話をよく聞くと、すくなくとも4箇所で発砲事件。 すくなくとも二人は死亡と言っている。
そして、その4箇所のうち2箇所は、私の家から教会に行くまでに通るところ。。。 

今週、詩編27編が与えられていることに感謝している。以下、読んでみよう。 

1:【ダビデの詩。】主はわたしの光、わたしの救い/わたしは誰を恐れよう。主はわたしの命の砦/わたしは誰の前におののくことがあろう。
2:さいなむ者が迫り/わたしの肉を食い尽くそうとするが/わたしを苦しめるその敵こそ、かえって/よろめき倒れるであろう。
3:彼らがわたしに対して陣を敷いても/わたしの心は恐れない。わたしに向かって戦いを挑んで来ても/わたしには確信がある。
4:ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り/主を仰ぎ望んで喜びを得/その宮で朝を迎えることを。
5:災いの日には必ず、主はわたしを仮庵にひそませ/幕屋の奥深くに隠してくださる。岩の上に立たせ
6:群がる敵の上に頭を高く上げさせてくださる。わたしは主の幕屋でいけにえをささげ、歓声をあげ/主に向かって賛美の歌をうたう。
7:主よ、呼び求めるわたしの声を聞き/憐れんで、わたしに答えてください。
8:心よ、主はお前に言われる/「わたしの顔を尋ね求めよ」と。主よ、わたしは御顔を尋ね求めます。
9:御顔を隠すことなく、怒ることなく/あなたの僕を退けないでください。あなたはわたしの助け。救いの神よ、わたしを離れないでください/見捨てないでください。
10:父母はわたしを見捨てようとも/主は必ず、わたしを引き寄せてくださいます。
11:主よ、あなたの道を示し/平らな道に導いてください。わたしを陥れようとする者がいるのです。
12:貪欲な敵にわたしを渡さないでください。偽りの証人、不法を言い広める者が/わたしに逆らって立ちました。
13:わたしは信じます/命あるものの地で主の恵みを見ることを。
14:主を待ち望め/雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め。

上記の詩編を、二回、三回と読み返して欲しい。 できれば声を出して。 

「主は私の羊飼い。。。。 たとえ死の谷を行くときも、私は災いを恐れない。」という詩編23編を連想させる。 みなさんは、どんな心境になられるだろうか? 

キリスト教信仰は、危険な目にあわない、とか、凶悪犯罪に遭遇しないという教えとは断定できない。 
普段からの行いが良いとか悪いとかには関係なく、どうしようもない苦境や苦難に遭遇することがある。 
そもそも、主イエス・キリストという方、ご自分には罪が全くないのに、十字架に架かられ墓にまで葬られる。しかし復活される。 

その活きておられる主イエスキリスト、神と聖霊とともに、この世に臨在しておられる、三位一体の神が、どんな苦境や苦難の時にも、近くに居てくださり新しい道が備えられるという信仰を覚える。 本当に亡くなった方々のことを思うと、やりきれない気持ちにもなる。 どのような信仰をお持ちの方々か存じ上げないが、しかし、復活を信じる者として、主の慰めと励ましを祈る。

タスティンやその近辺で起こった、無差別殺人。 犠牲者となった方々のご家族、また近隣のコミュニティ、不安が押し寄せてくるのもわかる。

しかし、詩編27編に詠われているような祈りを、なんども唱えたい。 そしてコミュニティにおられる一人一人が、この詩編を詠んでいただければと願う。

なんで恐れようか? 不安をおぼえつづけることはない。 主に祈る時、その場に主の働きが存在していることの確信があり、そこに慰めがある。 

次の道が与えられるまで、待つということが必要な時もある。 待つなかにも不安は覆いつくされ、安心がある。 安心だけではなく、心は強められる。 何れは、新たなステップを歩んでいく勇気が与えられていく。 

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