February 28th, 2013

2013年2月28日詩編を読もう:弱ってしまった時に(詩編63:1-9)安達均牧師

詩編を読もう, by admin1.

 詩編を読もう:弱ってしまった時に (詩編 63: 1-9)  安達均牧師

どうしようもなく弱ってしまったと感じる時があっただろうか? 洗礼を受けて、最初は良かったけど、どうも色々な事がありすぎて、疲れ気味とか。。 

こんなたとえ話をしてくれた方がいた:「洗礼を受けてすぐの頃は、きれいな森の静かな湖でボートに乗っているような気持ちで信仰生活を送りはじめた。 ところが、とんでもない干ばつ。。。湖の水はほとんど無くなってしまった。」 

さて、今週与えられた詩編を繰り返し読んでみよう。 

詩編63編から: 
1:【賛歌。ダビデの詩。ダビデがユダの荒れ野にいたとき。】
2:神よ、あなたはわたしの神。わたしはあなたを捜し求め/わたしの魂はあなたを渇き求めます。あなたを  待って、わたしのからだは/乾ききった大地のように衰え/水のない地のように渇き果てています。
3:今、わたしは聖所であなたを仰ぎ望み/あなたの力と栄えを見ています。
4:あなたの慈しみは命にもまさる恵み。わたしの唇はあなたをほめたたえます。
5:命のある限り、あなたをたたえ/手を高く上げ、御名によって祈ります。
6:わたしの魂は満ち足りました/乳と髄のもてなしを受けたように。わたしの唇は喜びの歌をうたい/わた  しの口は賛美の声をあげます。
7:床に就くときにも御名を唱え/あなたへの祈りを口ずさんで夜を過ごします。
8:あなたは必ずわたしを助けてくださいます。あなたの翼の陰でわたしは喜び歌います。
9:わたしの魂はあなたに付き従い/あなたは右の御手でわたしを支えてくださいます。

2節の状況をよく確かめた後、それから、3節から6節を繰り返し読もう。 さらに7節から9節も繰り返し読むことをお勧めしたい。 
2節に書かれている内容は、多くのキリスト教信者が経験されることのように思う。 信仰共同体に歓迎されて、洗礼を受けたものの、近頃はどうも。 自分なりに神を呼びもとめても、神の存在を感じられず、教会を休みがち。。。 という方の心境。
3節以降は、そのような者に、新たな希望が与えられる内容。 
詩編63編は、3000年前ダビデの経験したことだが、現代の私たちにしてみれば、3-6節は、礼拝に出ている時に、聖なる存在、神の栄光に気づかされ、賛美の歌を捧げるようになる状況が記されている。 また7節から9節は、日ごろの生活の中で、神へ祈り、神がずっといっしょにいて、守ってくださっている確信を取り戻す状況。
ある意味、健全な信仰生活を送る「コツ」のようなことが、詩編63編には書かれている。
「礼拝に休まず出る。」 神が招いてくださっている礼拝であり、牧師の話だけではなく、礼拝の流れの中に、多くの神の配慮がある。 
「日ごろ定期的に神に祈る。」 祈ることは、最高の神とのコミュニケーションであり、身近におられる神の確かな存在を確信できる。 
冒頭に書いたたとえ話には続きがある: 「すると、嵐がやってきて、大雨。 湖の水かさはどんどん増え、恐ろしくなった。しかし突然、嵐は止み、もとの静かな湖に戻り、ずっとボートの中にいる自分がいた。」 

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