4月11日 詩編を読もう:嘆きが踊りに (詩編 30)
聖書日課で、今週の後半さらに14日の日曜日に与えられている詩篇は30編。声を出して読んでみよう。
詩編 / 30編
1:【賛歌。神殿奉献の歌。ダビデの詩。】
2:主よ、あなたをあがめます。あなたは敵を喜ばせることなく/わたしを引き上げてくださいました。
3: わたしの神、主よ、叫び求めるわたしを/あなたは癒してくださいました。
4:主よ、あなたはわたしの魂を陰府から引き上げ/墓穴に下ることを免れさせ/わたしに命を得させてくださいました。
5:主の慈しみに生きる人々よ/主に賛美の歌をうたい/聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。
6:ひととき、お怒りになっても/命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも/喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。
7:平穏なときには、申しました/「わたしはとこしえに揺らぐことがない」と。
8:主よ、あなたが御旨によって/砦の山に立たせてくださったからです。しかし、御顔を隠されると/わたしはたちまち恐怖に陥りました。
9:主よ、わたしはあなたを呼びます。主に憐れみを乞います。
10:わたしが死んで墓に下ることに/何の益があるでしょう。塵があなたに感謝をささげ/あなたのまことを告げ知らせるでしょうか。
11:主よ、耳を傾け、憐れんでください。主よ、わたしの助けとなってください。
12:あなたはわたしの嘆きを踊りに変え/粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました。
13:わたしの魂があなたをほめ歌い/沈黙することのないようにしてくださいました。わたしの神、主よ/とこしえにあなたに感謝をささげます。
「泣きながら夜を過ごす人にも/喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。」という言葉がとても印象に残っている。13年前に友人を亡くし、突如、未亡人となられた友人の奥様。 彼女が、どんな嘆き悲しみを体験したかは、測り知れない。
彼女は丁寧に話してくださったが、夜中に襲ってくるどうしようもない寂しさに対して、神様が朝を迎えさせてくださることを確信し、いかに慰められるかと。
与えられた詩篇の続きを読むと、12節には、「嘆きを踊りに変え」て下さる主の働きが書かれている。
いままで付き添ってきた配偶者が突如亡くなってしまったり、あるいは、先週はリックウォーレン牧師もそれを実体験されサドルバック教会員のみなさんに祈りのサポートを求めておられるが、自分の息子に突如先立たれるという深い悲しみに遭遇する方々がおられる。さまざまな原因で、どうしようもない「嘆き」を主に訴える状況に置かれることがある。
主イエスキリストという方は、その嘆きの場にいっしょにいてくださる。夜中には、とんでもない恐怖感を味わったりする。しかし、その場にもいてくださる。
復活の主イエスは、父なる神と、聖なる霊といっしょの存在。神が聖霊なる友となり、私たちの心の中にも入ってきてくださる。誰でも復活の主に出会っている。それに気づく時、その嘆きの状態から、喜んで踊りたくなるような状況に変えていってくださる。
キリスト教の礼拝でも、復活の主イエスに会い、讃美歌を歌い踊り、礼拝が終わった時など、踊りながら礼拝堂から出てくることもある。
日本の文化でも、盆踊りとか阿波踊りとか、いろいろな踊りがあるが、踊りとは、喜びの大切な表現。 「クリスチャンだから私は盆踊りや阿波踊りはしない。」などと言わずに、むしろ、みんなで踊る機会があったら踊ったら良い。
復活ルーテル教会のジャパニーズフェスティバルで教会の庭で盆踊りをすることは意味がある。それは神の慈しみ、愛、祝福に対する表現でもあり、踊りながら、神に感謝する。 (5、13節をもう一度読んで見よう。)