6月6日 詩編を読もう:死から解き放つ神 (詩編68:1-11,20-21) 牧師:安達均
復活ルーテル教会日本語部の群れは悲しみの中にある。バルサー佳代子さんは、8年 前ボストンから南カリフォルニアに引っ越して来られ、復活ルーテル教会の場所を借りて練習しているゆうかりコーラスの活動に参加し始めた。そして復活ルーテル教会日曜の礼拝に去年の夏まではほとんど休まず来られるようになり、 さらに太鼓クラスなどの復活ルーテルの活動にも積極的に参加しておられた。 その佳代子さんが天に召された。 また長年、復活ルーテル教会の礼拝に毎週来ておられた藤田エスターさんは、今日の飛行機で親戚のいるコロラドに引っ越された。エスターさんはもう100歳まで片手で数えられる程の年数になって来ておられるなか、次にお会いできるのはいつかと思いを巡らす。
今週後半に与えられている詩編は30編だが、4月11日に取り上げたばかりなので、来週前半に与えられている詩編68編の1-11節および20-21節を今日は読みたい。以下、書き出してあるので、ぜひ3回読んでみよう。
詩編 68編
1:【指揮者によって。ダビデの詩。賛歌。歌。】
2:神は立ち上がり、敵を散らされる。神を憎む者は御前から逃げ去る。
3:煙は必ず吹き払われ、蝋は火の前に溶ける。神に逆らう者は必ず御前に滅び去る。
4:神に従う人は誇らかに喜び祝い/御前に喜び祝って楽しむ。
5:神に向かって歌え、御名をほめ歌え。雲を駆って進む方に道を備えよ。その名を主と呼ぶ方の御前に喜び勇め。
6:神は聖なる宮にいます。みなしごの父となり/やもめの訴えを取り上げてくださる。
7:神は孤独な人に身を寄せる家を与え/捕われ人を導き出して清い所に住ませてくださる。背く者は焼けつく地に住まねばならない。
8:神よ、あなたが民を導き出し/荒れ果てた地を行進されたとき〔セラ
9:地は震え、天は雨を滴らせた/シナイにいます神の御前に/神、イスラエルの神の御前に。
10:神よ、あなたは豊かに雨を賜り/あなたの衰えていた嗣業を固く立てて
11:あなたの民の群れをその地に住ませてくださった。恵み深い神よ/あなたは貧しい人にその地を備えられた。
20:主をたたえよ/日々、わたしたちを担い、救われる神を。〔セラ
21:この神はわたしたちの神、救いの御業の神/主、死から解き放つ神。
気になった箇所はどんなところだろうか? 2-11節の内容についてどんなことを感じておられるだろうか?
いままで読んできた詩編の中にも、「神をほめ讃えるように」ということが主題になっていて、その前後に、ほめ讃える理由が書かれている場合があった。 この詩編の箇所も似たような形と言える。「神に向かって歌え、御名をほめ歌え」という言葉から始まっている5節が中心になって、その前後に数々の理由が述べられている。 2-4節には、神を憎んだり、神に逆らったり、あるいは神に従う場合、どのようなことになってしまうのだろうかということが書かれている。 6節から11節には、神は、孤児、未亡人、孤独な人、いろいろな困難にある人々に対して、それぞれに応じてくださることが書かれている。
さらに選ばれていた詩編箇所の20節と21節。 ここにも、主をたたえるようにということが書かれ、21節には、重大な理由も書かれている。
冒頭に書いたが、復活ルーテル教会の仲間たちで体験していることは、一人は病で天に召され、また、一人はコロラドに立たれた。 なかなか、主を讃える気分でもない。
しかし、よくよく考えてみたい。 バルサー佳代子さんは、強い信仰の持ち主でありご本人も祈り続けられ、また病で教会に来れなくなった去年の9月以降は、主イエスを信じる信仰者の仲間達が毎週日曜の礼拝で必ず祈り続けた。 そのような継続的な祈りの中で天に召された。 それは、バルサー佳代さんに主がともにいてくださり、今も、いっしょにいてくださるという確信がある。
また藤田エスターさんとて、たとえコロラドに行かれてしまい、私たちの中には、もうこの世では会えない者もいるのではないかとい思いもあるが、しかし、エスターさんに何があっても、主がづっといてくださるという確信がある。
詩編68編の21節には、その確信の根拠が書かれている。「主、死から解き放つ神」という言葉がある。 それは、主なる神は、その主を信じる者から、死をも解放され、永遠にいっしょにいてくださる。 この確信がある由、私達は、やはり神をほめ歌い続ける。佳代子さんのメモリアルサービスでは、歌うことが大好きだった佳代子さんに主が共にいることを覚え、讃美歌をたくさん歌いたい