終戦記念日にあって黙祷の祈りを持ちつつ。 今週読む詩編は82編。今回は、まず一回読んでから、下の解説を読まれたら良いかと思う。
詩編 / 82編
1:【賛歌。アサフの詩。】神は神聖な会議の中に立ち/神々の間で裁きを行われる。
2:「いつまであなたたちは不正に裁き/神に逆らう者の味方をするのか。〔セラ
3:弱者や孤児のために裁きを行い/苦しむ人、乏しい人の正しさを認めよ。
4:弱い人、貧しい人を救い/神に逆らう者の手から助け出せ。」
5:彼らは知ろうとせず、理解せず/闇の中を行き来する。地の基はことごとく揺らぐ。
6:わたしは言った/「あなたたちは神々なのか/皆、いと高き方の子らなのか」と。
7:しかし、あなたたちも人間として死ぬ。君侯のように、いっせいに没落する。
8:神よ、立ち上がり、地を裁いてください。あなたはすべての民を嗣業とされるでしょう。
一回読んでみて、どんな感想を持たれているだろうか? 1節に描かれている光景に何か違和感を覚える方もいるのではないだろうか。神聖な会議が行われている様だが、神々の間で裁きを行われる神が立っている。 とくに21世紀に生きる我々にとって、また、一神教を信じているはずの、ユダヤ教、イスラム教、そしてキリスト教の聖典のなかに、このような光景があるのに、なにか疑問を持たれるかもしれない。 しかし、旧約聖書には、これと似ているイメージは描かれている。皆さんに聖書を読むときに、とかく、「現代の私たちに何を問いかけているのかを考えよう」と申し上げているが、このような光景を読む時は、いきなり現代の私たちへの状況を考えるより、どっぷりと、自分が旧約聖書時代に戻ったようなイメージの中で、2回目を読み、さらに、以下の解説を読まれたらどうだろうか。
詩編に82編2節では神が、神に逆らって不正をを働いている神々にクレームをつける。そして、「セラ」となっているので、休止符が入る。(セラについて以前にも説明したが、詠うときの休止符の意味を持つ記号のようなものと理解すればよい。)3-4節では、クレームから、アドバイスに変わる。神々に弱者、孤児、生活に困窮している人々こそ正しい人であることを認めるようにと。
5節では、そのアドバイスを受け入れる気配の無い神々が暗闇の中で行き来している様子が描かれ、そして、地の基がぐらぐらと揺れ始める様子が描かれている。
6節7節で言われていることは、「私は言った」となっていて、詩編作者の言葉のようでもあるが、むしろ、会議の中で、神が裁定を下す時の言葉のイメージで捉えて良いと思う。 「あなたがたは、神ではなく、地上に生きる人間で、いずれは死が訪れる、いや、いっせいに没落の時がやってくる。」と語られ、それは、有罪判決とともに、刑の執行が同時に起こるかのイメージが描かれている。
8節は、祈りの言葉で終っているが、今週の詩編においても先週と同じく、「嗣業」という難しい言葉が使われている。この「嗣業」という言葉を使わずに、祈りを表現するなら、「神よ、立ち上がって裁いてください。 すべての民は、元々、あなたが創られたのですから、すべての民が、あなたからの恵みを受継ぐ者としてください。」という伝道的な祈りで締めくくられていると感じる。
さて、ここで、上記のような旧約聖書時代のイメージが現代の私たちに語りかけている事は何なのだろうか。 あるいは、旧約聖書時代のイメージが現代と共通することはないだろうかと考えながら、詩編の3回目を読まれたらどうだろうか。
現代においても、孤児や弱者、生活困窮者たちはたくさんおられる。 また、社会正義の観点からは疑問を抱かざるを得ないようなリーダ、それは政治家であったり、あるいは、企業や非営利団体(宗教団体も含む)の幹部だったりする。
現代においても、地の基がぐらぐらと揺れているような事態は続いている。 社会全体が、実は、とても不安定な中にある。 だからこそ、すべての民が、この詩編にあるような言葉を読み、そして、すべての民、とくにさまざまな会社でも団体でも、リーダ一、一人一人が実は自分が神に創られたという原点に気づくようにと祈る。
ある方がロボットを開発した。ロボットは精巧に作られたがため、開発者の言う事を聞かなくなってしまった。現代の神と信仰を持たずに生きる人々の関係は、このロボット開発者とロボットの関係に似ているような面もある。(まだそのようなロボットは実在しないと思うが。。。)