今週読む詩編は46編。お葬式で一番よく読まれる詩編23編などとともに、たまたま23という数字の2倍の46編も、とても有名な詩編。 二回は読んでいただきたいと思うし、また、人生において何かの苦難を経験した時などにおいて、ぜひこの詩編46編を読んだら良いと思う。
詩編 / 46編
1: 【指揮者に合わせて。コラの子の詩。アラモト調。歌。】
2:神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。
3:わたしたちは決して恐れない/地が姿を変え/山々が揺らいで海の中に移るとも
4:海の水が騒ぎ、沸き返り/その高ぶるさまに山々が震えるとも。〔セラ
5:大河とその流れは、神の都に喜びを与える/いと高き神のいます聖所に。
6:神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。夜明けとともに、神は助けをお与えになる。
7:すべての民は騒ぎ、国々は揺らぐ。神が御声を出されると、地は溶け去る。
8:万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。〔セラ
9:主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。主はこの地を圧倒される。
10:地の果てまで、戦いを断ち/弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる。
11:「力を捨てよ、知れ/わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる。」
12:万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。〔セラ
この詩編に関係して、16世紀の宗教改革者マルチン・ルターのエピソードと、現代に生きる私の友人の牧師が経験したことを書きたい。
マルチン・ルターは、この詩編46編をもとに、讃美歌21の377番「神はわがとりで」(あるいはちょっと古い1954年にまとまった讃美歌の267番「神はわがやぐら」)を作詞作曲している。讃美歌をよく知る方々の間で、「好きな讃美歌は?」と聞くと、この讃美歌は上位に入ってくることが多い。ルターは16世紀の宗教改革の中心人物であり、意志の強い英雄のように思われてしまう面がある。しかし、カトリック教会の司祭であった彼が1517年に「95カ条の論題」を書き上げて発表した後は、カトリック教会からは破門されてしまい、多くの困難、苦難の中に立たされ悩みの中で、やむをえず宗教改革が遂行されていき、プロテスタント教会という大きな存在が形成されてしまったような面がある。ルターは1525年、41歳の時、同じカトリック教会の修道女だった16歳も年下のカタリーナと結婚している。カタリーナはとてもユーモアあふれる女性で、真っ黒な喪服を着てマルチンの部屋に入ってきて、冗談で「神は亡くなられました。」と話した、というエピソードがある。それくらい、マルチンルーターが落ち込んだような時があったようだ。しかし、マルチンは、自分の信仰がまるで神が死んでしまわれたようであったのかと、はっと気づかされた。そのような時、この詩編の言葉が彼に勇気を奮い立たせた様子が思い浮かんでくる。1527年から2年ほどかかって、詩編46編をもとにした、377番の有名な讃美歌が出来ていった。
私と同じように、会社勤めを20年以上したあと、5年近くかかって、一昨年牧師になった方がいる。彼女の人生も苦難、悩みの連続だった。17歳のときに、期せずして妊娠してしまう。彼や彼の家族には理解は得られないまま、男の子を出産する。「神はわたしたちの避けどころ、私たちの砦」という言葉がどれだけ彼女を助けたか。 数年後に高校時代の仲間で会うなかで、一人の男性と結婚する。夢あふれる結婚生活を始めるなか、彼の実家のあるメキシコに旅行する。若いご主人と、彼の弟が酔った勢いで喧嘩をはじめてしまう。なにを思ったか弟がナイフを握りご主人が刺されてしまう。救急車で病院に運ばれるが、結局、ご主人は死亡。その時も「神はわたしたちの避けどころ。」という言葉に慰められ、また生きて行く勇気が与えられる。現在、息子さんはもう30歳となり、彼女は、一教会の牧師になっている。 牧師である以上、困難はつきものだか、避けどころである神がいつも彼女に寄り添っている。
詩編46編の言葉そのものにしても、あるいは、讃美歌377番あるいは267番にしても、それらの言葉によってどれだけ多くの人々が励まされ、どん底の状況から回復したか、計り知れない。 最後に377番の一、二節の言葉を書き留める。
1. 神はわが砦 わが強き盾、すべての悩みを 解き放ちたもう。 悪しきものおごりたち、よこしまな企くわだてもて いくさを挑む。
2. 打ち勝つ力は われらには無し。 力ある人を 神は立てたもう。その人は主キリスト、万軍の君、われと共に たたかう主なり。
復活ルーテル教会に集っている方々、またそのご家族の中にも、困難、苦難の中におられる方々がいる。 そのお一人お一人に、神が砦となり、また強き盾となってくださっていることを祈りに覚えつつ。