December 26th, 2013

2013年12月26日 詩編を読もう:神々と主イエスの関係 (詩編97 編) 牧師:安達均

詩編を読もう, by admin1.

心から主イエスキリストの御降誕を喜びたい。今週は詩編97編を読もう。この12月25日のクリスマス、主の降誕日に与えられている詩編。年末年始は、何かと忙しい時期だが、ぜひ、じっくりこの詩編を味わう時間が与えられるように祈る。25日はもう過ぎてしまったが、主の降誕節は1月6日の顕現日まで続くので、この時期に詩編97編を読まれると良いと思う。   

詩編97編
1:主こそ王。全地よ、喜び躍れ。多くの島々よ、喜び祝え。
2:密雲と濃霧が主の周りに立ちこめ/正しい裁きが王座の基をなす。
3:火は御前を進み/周りの敵を焼き滅ぼす。
4:稲妻は世界を照らし出し/地はそれを見て、身もだえし
5:山々は蝋のように溶ける/主の御前に、全地の主の御前に。
6:天は主の正しさを告げ知らせ/すべての民はその栄光を仰ぎ見る。
7:すべて、偶像に仕える者/むなしい神々を誇りとする者は恥を受ける。神々はすべて、主に向かってひれ伏す。
8:シオンは聞いて喜び祝い/ユダのおとめらは喜び躍る/主よ、あなたの裁きのゆえに。
9:あなたは主、全地に君臨されるいと高き神。神々のすべてを超え、あがめられる神。
10:主を愛する人は悪を憎む。主の慈しみに生きる人の魂を主は守り/神に逆らう者の手から助け出してくださる。
11:神に従う人のためには光を/心のまっすぐな人のためには喜びを/種蒔いてくださる。
12:神に従う人よ、主にあって喜び祝え。聖なる御名に感謝をささげよ。

詩編97編は1-5節は神が創造されたすべて、自然も含めて、地球全体で、喜び踊って祝うようにと詠っている。 そして6節から9節では、イスラエルの民、共同体で主を喜び祝う様子が詠われている。さらに10-12節では、個人的なレベルで主にあって、喜び祝うようにと言わい、感謝を捧げるように詠われているように思う。

クリスマスが、つまり救い主であるイエス・キリストの降誕が個人的なレベルでいったいどういう意味を持っているのか、黙想されると良いと思う。

「主イエス・キリストという神を信じると楽でいいですよ。」という牧師がおられた。 彼の言いたかったことは、この詩編の7節にある、「神々はすべて、主に向かってひれ伏す」という言葉に現れているように思う。 というのは、日本的な文化では、お寺や神社などさまざまな拝む対象が存在してしまっている。安倍総理大臣が戦争で亡くなった方たちのためと言われて靖国神社を参拝されたようだ。私の伯父も戦死したがクリスチャンだったので、もしできることなら安部総理はキリスト教会の礼拝にも出席されるのが良いようにも思ったりする。そうすると外交上、もっと楽にならないだろうか?。。。。また、お寺や神社だけでなく、もっと広い意味で、何かに没頭してしまって、神聖なる主なる神ではないものに対して、それが自分の神であるかのごとくに行動を取り続けている人々もいる。 しかし、そのような神々はすべて、主に向かってひれ伏す。 つまり、その主なる神を信じれば、他の神々も包括しているような部分がある。 

といってもすべての神々が主と仰ぐような神がいったい存在するのだろうか?という疑問がでてくる。。。。そのような主なるお方が、人間の体で2000年前に誕生した。 それも、とても理解に苦しむような形で。常識では考えられない結婚をしていない乙女、マリアから生まれた。生まれた場所は馬小屋。そして馬のえさをいれる飼い葉おけに寝かされた。名はイエスと名づけられた。日本でいえば、「太郎」とでもいったらよいか、要はどこにでもあるような名前がつけられた。それがキリスト(救い主の意)イエスの誕生の次第だった。 

24日のクリスマスイブの礼拝の祝祷で語られた言葉を以下に記しておきたい。

救い主誕生の喜びがあなたの日々の生活を喜びで満たす。
救い主誕生による平安があなたの日々の心配事をとりさってくださる。
救い主誕生の光があなたの置かれた暗闇を明るく照らしてくださる。 
そしてベツレヘムの星の下に生まれた愛なる御子が毎日のあなたの生活のなかで共に歩んでくださる。
父なる神と、その子・救い主と、聖霊の御名によって。アーメン

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