主の年2014年の到来を心から歓迎します。 あけましておめでとうございます。 今年、最初に読む詩編は72編。この詩編の1節から7節と18・19節は先月、待降節の最初、12月5日に読んだばかり。今回は、20編まである全編を通して読み、さらに前回は取り上げなかった8節から17節を集中的に2回なり3回読まれたら良いかと思う。そして年の初めにあたり、神は何を私たちに語りかけておられるのか黙想してみたい。
詩編72編
1: 【ソロモンの詩。】神よ、あなたによる裁きを、王に/あなたによる恵みの御業を、王の子に/お授けください。
2:王が正しくあなたの民の訴えを取り上げ/あなたの貧しい人々を裁きますように。
3:山々が民に平和をもたらし/丘が恵みをもたらしますように。
4:王が民を、この貧しい人々を治め/乏しい人の子らを救い/虐げる者を砕きますように。
5:王が太陽と共に永らえ/月のある限り、代々に永らえますように。
6:王が牧場に降る雨となり/地を潤す豊かな雨となりますように。
7:生涯、神に従う者として栄え/月の失われるときまでも/豊かな平和に恵まれますように。
8:王が海から海まで/大河から地の果てまで、支配しますように。
9:砂漠に住む者が彼の前に身を屈め/敵が塵をなめますように。
10:タルシシュや島々の王が献げ物を/シェバやセバの王が貢ぎ物を納めますように。
11:すべての王が彼の前にひれ伏し/すべての国が彼に仕えますように。
12:王が助けを求めて叫ぶ乏しい人を/助けるものもない貧しい人を救いますように。
13:弱い人、乏しい人を憐れみ/乏しい人の命を救い
14:不法に虐げる者から彼らの命を贖いますように。王の目に彼らの血が貴いものとされますように。
15:王が命を得ますように。彼にシェバの黄金がささげられますように。彼のために人々が常に祈り/絶え間なく彼を祝福しますように。
16:この地には、一面に麦が育ち/山々の頂にまで波打ち/その実りはレバノンのように豊かで/町には人が地の青草ほどにも茂りますように。
17:王の名がとこしえに続き/太陽のある限り、その名が栄えますように。国々の民は皆、彼によって祝福を受け/彼を幸いな人と呼びますように。
18:主なる神をたたえよ/イスラエルの神/ただひとり驚くべき御業を行う方を。
19:栄光に輝く御名をとこしえにたたえよ/栄光は全地を満たす。アーメン、アーメン。
20:エッサイの子ダビデの祈りの終り。
年は明けたが、クリスマスはまだ終わっていない。キリスト教の暦では12月25日の降誕日から1月6日の顕現日までが降誕節。 なので、救い主イエスの降誕との関係の中で10節から17節を見ていきたい。 気になる言葉は、10節にある「シェバやセバの王が貢ぎ物を納めますように。」や15節にある「彼にシェバの黄金がささげられますように。」との言葉。
15節の言葉は、実際に、この詩編が「ソロモンの詩」として詠われ祈られた通りに、シェバの女王がソロモンを訪ね、多くの金が捧げられたという事実が起こった。(列王記上10章1節以下) また、10節に関しては、イエス降誕後に占星術の学者たち(異邦人のリーダたち)が、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた(マタイ2章1-12節)ことによって、紀元前1000年ごろのダビデの祈りが実現したように思える。
21世紀の現代にあって、私は昨年夏に岩手県の被災地を訪問する機会があり、いまだにたいへんな思いをしておられる被災者たちのことを思う。12節-14節の祈りは、身にしみてくる思いがある。天皇陛下も年頭の言葉として、「年頭に当たり被災者のことが改めて深く案じられます。」と著されたようだが、同感だ。
日本では、初詣真っ盛りなのだと思う。明治神宮だけで参拝者は300万人を越えるらしい。そのほとんどが、特に神官や住職の方々の説教などを聞くこともなく参拝者が賽銭箱に献金をしてくださるのは、素晴らしい気もする:)。日本にあるキリスト教会がいくつあるかわからないが、仮に5000あったとしても、クリスマス礼拝、12月29日の礼拝、元旦礼拝さらに1月5日の礼拝で、その全部のキリスト教会の礼拝に参加される方の合計でも300万人には到達しないのが現状ではないだろうか。しかし、10節の「すべての王が彼の前にひれ伏し/すべての国が彼に仕えますように。」あるいは、年末の最後に読んだ97編7節「神々はすべて、主に向かってひれ伏す。」という言葉をかみしめたい。
2014年の元々の初めは、主イエスの降誕。改めて、主の年2014年の到来、あけましておめでとうございます。今年も主に在って恵み深い年となりますように。アーメン。