今週の詩編は29編。12日の日曜日は主の洗礼主日となり、マタイによる福音書3章13節から17節を読む。そのような関係の中で、この29編をまず読まれたらどうだろう。 また、ご自分の置かれている環境のなかで、29編を通して、神は何を語られているか、思いを巡らせよう。
詩編29編
1:【賛歌。ダビデの詩。】神の子らよ、主に帰せよ/栄光と力を主に帰せよ
2:御名の栄光を主に帰せよ。聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ。
3:主の御声は水の上に響く。栄光の神の雷鳴はとどろく。主は大水の上にいます。
4:主の御声は力をもって響き/主の御声は輝きをもって響く。
5:主の御声は杉の木を砕き/主はレバノンの杉の木を砕き
6:レバノンを子牛のように/シルヨンを野牛の子のように躍らせる。
7:主の御声は炎を裂いて走らせる。
8:主の御声は荒れ野をもだえさせ/主はカデシュの荒れ野をもだえさせる。
9:主の御声は雌鹿をもだえさせ/月満ちぬうちに子を産ませる。神殿のものみなは唱える/「栄光あれ」と。
10:主は洪水の上に御座をおく。とこしえの王として、主は御座をおく。
11:どうか主が民に力をお与えになるように。主が民を祝福して平和をお与えになるように。
1節2節には、「主に帰せよ」という言葉が3回詠われ、さらに「主にひれ伏せ」という言葉が2節の最後に出てきている。 激しい命令形の言葉が使われている。 3節から9節前半までは、「主の御声は。。。」という表現が続き、その中に表現されている内容は、激しい嵐のようでもある。そして9節後半から11節後半では、そのような嵐の中でも、人々が「栄光あれ」ととなえ、主の祝福が祈られる。
この詩編は、主の洗礼の時に起こった様子が重ねあわさってくるような面がある。 マタイ3:16-17によると、「イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。 そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。」となっている。 さらに、この箇所は、ペンテコステの出来事(ルカ2章)とも深い関係がある。
強風、雷鳴、地震などは、本当に怖くなるが、主の洗礼もペンテコステの出来事もそのような状況の中にあったことを覚えたい。そして、詩編29編が昔から詠われていたように、主なる神はご自分の創造されたものに深い愛を持ち、育てられ、民は「主に栄光あれ、民の平和を与えたまえ」と民は祈る。
現在、復活ルーテル教会日本語部の置かれている状況を書いておきたい。昨年後半から、洗礼を受ける者が相次いで現れた。集まる者の多くが病との闘いの中にあることも覚えたい。 また、昨年後半から毎週復活ルーテルに来られるようになった福元忠一さんが突然の事故で、大晦日から元旦にかけての未明、逝去された。深い悲しみの中にあり、今週土曜日にはお葬式がある。その翌日には、吉田柳子さんの洗礼式となる。ある意味、嵐がふきあれる日々の中で、洗礼式が行なわれるようでもある。すべての出来事に主の時があり、そして、その中で、聖霊が働き、大きな愛をもって、復活ルーテル教会の一人一人をも、慰め、癒し、力づけてくださる。 栄光を主に帰せよ。神に栄光あれ。 主が民を祝福してくださるように。アーメン。