January 16th, 2014

2014年1月16 日 詩編を読もう:主の恵みを語り伝える (詩編40:1-12) 牧師:安達均

詩編を読もう, by admin1.

1月16 日 詩編を読もう:主の恵みを語り伝える (詩編40:1-12) 牧師:安達均

今週の詩編は40編の1節から12節。最初は詩編作者の気持ちをできる限り想像して読んでみよう。 そして、次は自分の立場で、この詩編がどういう意味を持ってくるか考えてみよう。 19日の日曜日に与えられている福音書箇所はヨハネの1章から、イエスの最初の弟子アンデレが自分の兄弟であるシモンペテロに「自分は救い主に会った」ことを伝え、そしてペテロをイエスのところに連れてくる場面である。その場面と、この詩編の兼ね合いについて思いを巡らせるのも良いと思う。

詩編40編
1:【指揮者によって。ダビデの詩。賛歌。】
2:主にのみ、わたしは望みをおいていた。主は耳を傾けて、叫びを聞いてくださった。
3:滅びの穴、泥沼からわたしを引き上げ/わたしの足を岩の上に立たせ/しっかりと歩ませ
4:わたしの口に新しい歌を/わたしたちの神への賛美を授けてくださった。人はこぞって主を仰ぎ見/主を畏れ敬い、主に依り頼む。
5:いかに幸いなことか、主に信頼をおく人/ラハブを信ずる者にくみせず/欺きの教えに従わない人は。
6:わたしの神、主よ/あなたは多くの不思議な業を成し遂げられます。あなたに並ぶものはありません。わたしたちに対する数知れない御計らいを/わたしは語り伝えて行きます。
7:あなたはいけにえも、穀物の供え物も望まず/焼き尽くす供え物も/罪の代償の供え物も求めず/ただ、わたしの耳を開いてくださいました。
8:そこでわたしは申します。御覧ください、わたしは来ております。わたしのことは/巻物に記されております。
9:わたしの神よ、御旨を行うことをわたしは望み/あなたの教えを胸に刻み
10:大いなる集会で正しく良い知らせを伝え/決して唇を閉じません。主よ、あなたはそれをご存じです。
11:恵みの御業を心に秘めておくことなく/大いなる集会であなたの真実と救いを語り/慈しみとまことを隠さずに語りました。
12:主よ、あなたも憐れみの心を閉ざすことなく/慈しみとまことによって/いつもわたしをお守りください。

1節ダビデの詩とあるので、ダビデの生涯を思い浮かべるのも良いかと思う。 2節から4節の内容からして、ダビデがサウルから命を狙われ、絶対絶命とも思えるピンチに遭遇しても、主なる神がピンチから脱することができるようにしてくださったことに感謝し、主を讃え、また、畏れ敬うことを詠っているように思える。 5節から8節の内容からして、詩編作者は、主なる神によって再三起こる不思議な業について詠い、また数え切れない主の計らいを受けており、それを巻物に記録として残している事を述べている。 そして9節以降では、詩編作者自身が、受けた主の恵みを、徹底的に述べ伝え続けることを述べている。 
この詩編、ある意味、私のことを詠っているような部分があると感じる。 4節には主の恵みを新しい歌にして詠うこと。 6節には主の御計らいを語り伝えていくことが書かれている。 8節には、記録に残していること、10節11節では、主の恵みについて唇を閉じることなく正しく伝え、語り続けることが詠われている。 私は、こどものころ、兄から「均は本当に話好きだ。」といわれたことがある。その傾向は今でも変わっていないようなところがあり、特に、神様からいかに恵みを授かっているかということとなると、話がしたくてしたくてしょうがないような面がある。 かといって、何時間も話すというわけではなく、節度を保ち、常識的な範囲内でありたいとは思っているが。 
19日の日曜に与えられているヨハネ福音書1章の箇所は、ある意味、とても伝道的なところである。そして、この詩編40編もとても伝道的な面がある。 ヨハネ一章では、イエスに一度会っただけの体験ながら、アンデレはペテロに「メシアに出会った」ことを報告し、すぐにペトロをイエスのところに連れてきている。 40編では、主の恵みを繰り返し述べ伝えることを主に約束している詩編のようにも思える。 
詩編40編は、大好きな讃美歌21の402番(讃美歌502番)の歌詞と深く関係している。その歌詞の繰り返しのところを以下に記述しておきたい。
世にある限り、 主のみ栄えと
いつくしみを 語り伝えん
アーメン
主の恵みを讃え、感謝して、自分だけではなく、多くの方々のことを救い主が一人一人大切に思ってくださっていることをひしひしと感じつつ。 安達 均 

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