March 6th, 2014

3月6日 詩編を読もう:四旬節にあたって (詩編51編)

詩編を読もう, by admin1.

今週読む詩編は51編。この詩編は有名でよく読まれる。伝統的には、四旬節がはじまる時にも、読む箇所となっている。四旬節とは、四十日間のこと。イエスキリストが十字架に架かって復活するイースターからさかのぼって、四十日前から四旬節が始る。ただし、日曜日は四十日に含めない。従って、1週間を6日と考えて、イースターの6週間前(合計36日)とさらにその四日前の水曜から四旬節がはじまる。 日本語では、四旬節のことを、受難節と呼ぶこともある。それはイエスキリストが受難、つまり苦しみにあわれたことを覚える期間でもある。 また、英語では、”Lent”(レント)という言葉が使われる。このレントはもともとはラテン語で、「だんだん長くなる」という意味がある。つまり、北半球にいる場合が前提になってしまうが、春が近づいてきて、だんだん日が長くなっていく時期だから、そのような名称で呼ばれるようになったのではないかと思う。
ではとにかく詩編51編を、何回か読もう。 

詩編 / 51編
1: 【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。
2:ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たとき。】
3:神よ、わたしを憐れんでください/御慈しみをもって。深い御憐れみをもって/背きの罪をぬぐってください。
4:わたしの咎をことごとく洗い/罪から清めてください。
5:あなたに背いたことをわたしは知っています。わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。
6:あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し/御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しく/あなたの裁きに誤りはありません。
7:わたしは咎のうちに産み落とされ/母がわたしを身ごもったときも/わたしは罪のうちにあったのです。
8:あなたは秘儀ではなくまことを望み/秘術を排して知恵を悟らせてくださいます。
9:ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください/わたしが清くなるように。わたしを洗ってください/雪よりも白くなるように。
10:喜び祝う声を聞かせてください/あなたによって砕かれたこの骨が喜び躍るように。
11:わたしの罪に御顔を向けず/咎をことごとくぬぐってください。
12:神よ、わたしの内に清い心を創造し/新しく確かな霊を授けてください。
この詩編は昨年9月はじめにもとりあげられて読んだ。その時「罪」という言葉にやや詳しく触れた。3節、4節にある「背きの罪」と「咎」と「罪」という言葉は、それぞれ、原語であるヘブル語ではニュアンスが異なってくる。昨年9月の繰り返しになるが、今一度書いておきたい。

最初の「背きの罪」という言葉は、ヘブル語の原語では、子供たちが親に向かって反抗するような時に使われる言葉。 それは、親がどんなに子供を愛していても、それに甘え、また親の苦労も理解せずに、親に背を向け反抗するような態度を思っていただければ良いかと思う。次の「咎」と訳された言葉には、曲がった状態とか、いらいらしている状態を現す言葉が使われている。 そこには、おろかな行いをしてしまい、腰を曲げ、身を屈めて、深くうなだれているような状況が思い浮かぶ。 そして、最後のただ「罪」と訳されている言葉は、詩編51編の中だけでも、4節以外に、5節、6節、7節、10節、15節にも出てきているが、ヘブル語の本来の意味は、「的を外している」という意味がある。 

さて、四旬節のはじまりにあたりこの詩編51編を読み、この罪という言葉について考える時、どんなことを覚えておられるだろうか。

四旬節のはじめの水曜を、「灰の水曜日」という。 灰の水曜日には、礼拝のある教会が多い。 私は昨日の午前11時半に教区の事務所で、灰の水曜日の礼拝があり、そして、夜7時からは復活ルーテルでの礼拝があった。全員が、額に灰で十字架の印をつけられる。自分たちが、普段は、神の御心とすることをできないでいる、神の御心から外れたことを行なったり、話している現実を覚える、そして、イエスキリストが十字架に架かってくださったことを覚えることになる。

そして、四十日間は、なにかをがまんする習慣がある。私の祖母は、この四旬節の期間は、お肉を一切食べなかったことを思い出す。 現代でも、甘いものを食べないようにするとか、お酒を控えるとか、たばこを控えるとか、いろいろと控えることにチャレンジするキリスト教徒も多い。

今年の四旬節、ぜひ、神の御心から外れてしまうことと思うことは避け、そして避けるだけではなく、その代わりに、神の御心に近いことを実行できますように。それは、なにかをしない代わりに、神に「祈る」ということもとても大切なことだと思う。この四旬節、十字架を担いで歩まれたイエスとの関係が、また新たにされ、深まって、そして、隣人を大切にすることができますように。アーメン。

牧師 安達均

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