March 13th, 2014

2014年3月13日 詩編を読もう:子や孫の世代のため (詩編128編)

詩編を読もう, by admin1.

東日本大震災から3年が過ぎた。 年をとってきたせいか、どんどん一年一年が短く感じられるようになっており、あっという間の三年だった。まだまだ震災の悲しみ、痛み、またいろいろな形での悔やみがあることを覚え、今週の詩編128編を、最低は3回は読んでみてはどうだろうか。そして一回目は気になる言葉や節はなにか? 二回目は、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているのか、よく考えてみよう。そして三回目は、神はこの詩編128編を通して何を語りかけているか思いを巡らせよう。 

詩編 / 128編
1:【都に上る歌。】いかに幸いなことか/主を畏れ、主の道に歩む人よ。
2:あなたの手が労して得たものはすべて/あなたの食べ物となる。あなたはいかに幸いなことか/いかに恵まれていることか。
3:妻は家の奥にいて、豊かな房をつけるぶどうの木。食卓を囲む子らは、オリーブの若木。
4:見よ、主を畏れる人はこのように祝福される。
5:シオンから/主があなたを祝福してくださるように。命のある限りエルサレムの繁栄を見
6:多くの子や孫を見るように。イスラエルに平和。

3月11日の夜は、ラグナビーチで開かれた原発問題に関する小規模な市民の集いに参加していた。原発の実態を記録したビデオを見たあと、サンディエゴに行く途中の5号沿いにあるサンオノフレ原発廃炉に至った過程で市民運動を展開した二つの団体の代表者と、日本の原爆や福島の原発の状況にも詳しい方が壇上に上がってパネルディスカッションが行われた。そのような体験をした後、この詩編128編をじっくり読む時、一番気になる言葉は、「多くの子や孫を見るように。」という祈りの言葉が一番気になってくる、というか心配になってきているという方が正しい。詳しくは、また後述したい。

作者の気持ちを読みとろうとすると、ごもっともという感じがする。詩編の全編の中には、「いかに幸いなことか」という言葉が何度も出てくる。この128編もそのひとつ。そして、その言葉に続いている言葉は「主を畏れ」とある。「主を畏れる。」という事は、聖書の中に綴られた言葉の中でとても重要なこと。箴言1章7節には、主を畏れることが知恵の始まりという意味の言葉が書かれていた事を思い出す。そして、主を畏れ、主の道を歩む模範的な人がいたのだろう。2節から想像して、主を畏れ、主の道を歩む者は、労働に生きがいを持って精を出し、相応しい報酬を得ることができていた。また3節の言葉から、家族にも恵まれていた。そして4節では、「主を畏れる」ことが祝福されることであるという重要なポイントを詠う。5節に入ってくると、「シオンから」と始まるが、シオンは神殿のあるエルサレムを指していると思う。一生涯、祝福され、度々エルサレムに上ってその繁栄を見て、次の世代とさらにその次の世代をも担う子孫たちにも恵まれるように、という祈りでこの詩編は終わる。

さてこの詩編128編を通して、主なる神が現代の私たちに何を語っているかということを思う時、「いかに幸せか」ということには、将来の子孫たちも含めて、主を畏れて祝福されて生きるようにと教えられているように感じる。そのようなことに思いを巡らす時、将来の生活環境を思うと、世界各地(スリーマイル、チェルノブイリ、そして福島)で起こった原子力発電施設での事故からして、将来にたいへんな負債を残してしまったと思う。サンオノフレ原発は、廃炉は決定したものの、まだまだ、使用済み核燃料の問題は残っており気の遠くなるような将来に渡って大問題なのだと思う。もし東日本大震災級の地震・津波が起こってしまえば、使用済み核燃料からは放射能が出始めてしまい、福島と同じような状況になりかねないという話も出ていた。 

20世紀半ばに生まれ、いわゆる高度経済成長期に育った世代の一人として、告白し、謝り、後悔の念を述べざるを得ない。一昨日の集いに参加していた何人かの方々は、電力会社を責めていたが、私はそのような気にはなれなかった。20世紀後半は、「もっともっと」といってエネルギーを使う時代になっていって、その恩恵を受けた世代の一人だから。私は数年前から、1950年代に建築された家に住んでいる。電気系統の設備は建築当初のものを使っているので、電子レンジといっしょに、コーヒーメーカーか、トースターか、ヘアドライアーを同時に使うとブレーカーが落ちる。 1970年代か80年代に建築された家では決してそのようなことは起きなかった。

20世紀後半は人類のエネルギー需要に応えようという大義名分の故に、禁断の実を食べはじめてしまったような気がしてならない。将来に渡って、主なる神、すべてを創造してくださっている全知全能の神を畏れ、主の道を歩む人類になれますように。 アーメン。

牧師 安達均

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