April 3rd, 2014

2014年4月3日 詩編を読もう: 御旨に従う (詩編143編)

詩編を読もう, by admin1.

四旬節もあと二週間余り。十字架に向かわれる主なるイエスを覚える中で、ご自身がさまざまな苦しい思いを経験されている兄弟姉妹も多いのではないかと思う。そのような境遇で、今週は詩編143編を読む。やはり四旬節にふさわしい詩編だと思う。いつものように、なるべく3回は読んでみてはどうだろうか。そして一回目は気になる言葉や節はなにか? 二回目は、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているのか、よく考えてみよう。そして三回目は、神はこの詩編143編を通して何を語りかけているか思いを巡らせよう。 

詩編143編
1:【賛歌。ダビデの詩。】主よ、わたしの祈りをお聞きください。嘆き祈る声に耳を傾けてください。あなたのまこと、恵みの御業によって/わたしに答えてください。
2:あなたの僕を裁きにかけないでください。御前に正しいと認められる者は/命あるものの中にはいません。
3:敵はわたしの魂に追い迫り/わたしの命を地に踏みにじり/とこしえの死者と共に/闇に閉ざされた国に住まわせようとします。
4:わたしの霊はなえ果て/心は胸の中で挫けます。
5:わたしはいにしえの日々を思い起こし/あなたのなさったことをひとつひとつ思い返し/御手の業を思いめぐらします。
6:あなたに向かって両手を広げ/渇いた大地のようなわたしの魂を/あなたに向けます。〔セラ
7:主よ、早く答えてください/わたしの霊は絶え入りそうです。御顔をわたしに隠さないでください。わたしはさながら墓穴に下る者です。
8:朝にはどうか、聞かせてください/あなたの慈しみについて。あなたにわたしは依り頼みます。行くべき道を教えてください/あなたに、わたしの魂は憧れているのです。
9:主よ、敵からわたしを助け出してください。御もとにわたしは隠れます。
10:御旨を行うすべを教えてください。あなたはわたしの神。恵み深いあなたの霊によって/安らかな地に導いてください。
11:主よ、御名のゆえに、わたしに命を得させ/恵みの御業によって/わたしの魂を災いから引き出してください。
12:あなたの慈しみのゆえに、敵を絶やしてください。わたしの魂を苦しめる者を/ことごとく滅ぼしてください。わたしはあなたの僕なのですから。
気になる言葉としては、2節にある、「御前に正しいと認められる者は/命あるものの中にはいません。」 150編ある詩編の中で、7つの詩編は「悔い改めの訓練」のための詩編と言われている。今日読む143編もその一つ。

しかし、詩編作者の立場を思い、この詩編143編全体を読み返すと、あまり「悔い改め」っぽくはない、切実に訴える祈りのような面も見えてくる。2節の最後では自分も含めて、御前に正しい者はいないと詠うが、1節と2節前半部分だけで、「祈りをお聞きください。」「耳を傾けてください。」「わたしに答えてください。」「あなたの僕を裁きにかけないでください。」と願い(要求)を4回も繰り返している。そこには、ダビデの切羽詰った状況を詩編作者は詠っているようだ。3節は苦情の様でもあり、4節で自分がいかに落ち込んでいるかを短く詠う。5-6節では、詩編によくあるパターンだが、過去に主なる神がしてくださった救いの御業を思い返し、このような状況にあっても、希望を抱けることを詠う。7節から12節では、主を信頼している言葉をちりばめながら、「ください」という言葉が10回出てきており、願い(要求)を再び繰り返している。 

この詩編を通して、神が私たちに何を語りかけておられるかを考えてみたい。12節からなる詩編の中に、14回も「ください」という願いの言葉が繰り返されていることがわかったが、2節後半の、正しいものはひとりもおらず自分もその一人であることを告白することの大切さとともに、10節にある「御旨を行なうすべを教えてください。」という願いが、とくに際立ってくる。自分の思いは正しくないかもしれない、だから、主なる神の御心が成るように、そして自分もそれに従うようにと祈ることの大切さを覚える。

四旬節にあって143編を読む時、イエスキリストが十字架に架かる前の夜、最後の晩餐の後、ゲッセマネで祈られた祈りを思い出す。 短いので、マタイ26章の言葉を記載したい。 「父よ、できることならこの杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、私の願いどおりではなく、御心のままに。」 アーメン。

安達均

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