April 17th, 2014

2014年4月17日 詩編を読もう: 祈ることの大切さ (詩編116: 1-2, 12-19)

詩編を読もう, by admin1.

聖週間、Holy Week、を迎えている。今年の4月17日は、聖木曜日、洗足の木曜日、Maundy Thursday等の呼び方があるが、復活祭前の特別な木曜日にあたる。キリスト教では、この聖木曜日からの三日間を特に尊重して、特別な典礼や礼拝が行なわれてきた。今週は詩編116編1-2節および12-19節を読むが、イエスが十字架に架かる前の日を覚えるにあたってふさわしい箇所だと思う。いつものように、なるべく3回は読んでみてはどうだろうか。そして一回目は気になる言葉や節はなにか? 二回目は、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているのか、よく考えてみよう。そして三回目は、神はこの詩編116編を通して何を語りかけているか思いを巡らせよう。 

詩編116編
1:わたしは主を愛する。主は嘆き祈る声を聞き
2:わたしに耳を傾けてくださる。生涯、わたしは主を呼ぼう。

12:主はわたしに報いてくださった。わたしはどのように答えようか。
13:救いの杯を上げて主の御名を呼び
14:満願の献げ物を主にささげよう/主の民すべての見守る前で。
15:主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い。
16:どうか主よ、わたしの縄目を解いてください。わたしはあなたの僕。わたしはあなたの僕、母もあなたに仕える者。
17:あなたに感謝のいけにえをささげよう/主の御名を呼び
18:主に満願の献げ物をささげよう/主の民すべての見守る前で
19:主の家の庭で、エルサレムのただ中で。ハレルヤ。

気になる言葉や節はなんだろう? 私の場合は、「生涯、わたしは主を呼ぼう。」 という言葉。 116編全体からわかることは、詩編作者はあきらかに晩年を迎えている。病なのか老衰なのか死を前にしていても、「生涯、わたしは主を呼ぼう。」と詠い、主の名呼んで、祈り、主との関係を続ける姿勢に、死を前にした詩編作者から見習うことは大きい。そして、どんな人生の途上にあろうが、主にある大きな希望を頂ける。 

詩編作者の立場を思い、この詩編を読み返すとき、死を直前にして、会衆に祈りの大切さを教え、また、最高の捧げ物を神殿に奉献しようとしている詩編作者の様子が浮かんでくる。 12節では、詩編作者の生きてきた道のりで、いかに主が報いてきてくださったか、そしてその報いにどう答えようかと詠う。日本語の「報い」という言葉は微妙だが、英語(New Revised Standard Version)の詩編では 報いのところは、“bounty”という言葉が使われていて、いかに主が、恵み、賜物を与えてくださってきたかという意味になっている。13-14節では、神殿に集まる多くの民の前で、主が救ってくださったことを覚え杯を上げ、賛美し、満願の捧げ物を奉献することにしようと詠う。15節では、主に祈って、主との関係を保ち、主の慈しみに生きる人生はどんなにすばらしいか、そして死は主の目にどんなに大切なことかと、教えるように詠っている。16節には、「縄目」という言葉が出てくるが、死に際して、なにかの痛みを感じていたのかとも思われる。要は、どんな人生においても、さまざまな束縛を経験するのが実際で、そのような縛りから解放されるように主に祈ろう。そして、詩編作者自身も、その母親も主に仕える信仰者であることを主に呼びかけて、束縛から解放されるように祈ろうと詠う。 17-18節は、ほとんど13-14節の繰り返しだが、17節では、「感謝の捧げ物をささげよう」という言葉が13節の「救いの杯を上げて」という言葉に代わって詠われている。詩の後半に来て、より「捧げる」という気持ちが強くなってきているように思う。 そして、19節では、「主の家の庭で、エルサレムのただ中で。ハレルヤ。」と詠うが、場所はエルサレムの神殿に多くの会衆が集まっているところを想像しつつ、詩編作者の思いを詠う詩が終わる。

この詩編を通して、神が私たちに何を語りかけておられるのだろうか? この詩編、聖金曜日にイエスキリストが十字架に架かるという時を思いながら読む時、「主の家の庭で、エルサレムのただ中で」という場所が、イエスが十字架に架かった、ゴルゴタの丘に一変してくるように感じる。 そして、最高の捧げ物は、イエスご自身に思えてくる。 私たちの罪、至らなさゆえに、主イエスキリストが自ら捧げ物になってくださっていた事実を新たに思い起こさせる詩編116編だと思う。そこまで私個人も、私たち人類全体を愛してくださっている、主なる神、イエスキリスト、十字架に架かられたイエスを見上げるとき、私たち人類はどうそれに応えるかを、神がわたしたちに問いかけておられるように思う。今年の聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日・復活祭が、お一人お一人にとって大きな意味を持って来ますように。アーメン

安達均

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