May 15th, 2014

2014年5月15日 詩編を読もう:必ず主が顧みる祈り (詩編102:1-18)

詩編を読もう, by admin1.

今週は102編の18節までを読む。いつものように気になる言葉や節はなにか? 詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているのか、よく考えてみよう。そして神はこの詩編102編を通して何を語りかけているか思いを巡らせよう。 
  
詩編102編
1:【祈り。心挫けて、主の御前に思いを注ぎ出す貧しい人の詩。】
2:主よ、わたしの祈りを聞いてください。この叫びがあなたに届きますように。
3:苦難がわたしを襲う日に/御顔を隠すことなく、御耳を向け/あなたを呼ぶとき、急いで答えてください。
4:わたしの生涯は煙となって消え去る。骨は炉のように焼ける。
5:打ちひしがれた心は、草のように乾く。わたしはパンを食べることすら忘れた。
6:わたしは呻き/骨は肉にすがりつき
7:荒れ野のみみずく/廃虚のふくろうのようになった。
8:屋根の上にひとりいる鳥のように/わたしは目覚めている。
9:敵は絶えることなくわたしを辱め/嘲る者はわたしによって誓う。
10:わたしはパンに代えて灰を食べ/飲み物には涙を混ぜた。
11:あなたは怒り、憤り/わたしを持ち上げて投げ出された。
12:わたしの生涯は移ろう影/草のように枯れて行く。
13:主よ/あなたはとこしえの王座についておられます。御名は代々にわたって唱えられます。
14:どうか、立ち上がって/シオンを憐れんでください。恵みのとき、定められたときが来ました。
15:あなたの僕らは、シオンの石をどれほど望み/塵をすら、どれほど慕うことでしょう。
16:国々は主の御名を恐れ/地上の王は皆、その栄光におののくでしょう。
17:主はまことにシオンを再建し/栄光のうちに顕現されます。
18: 主はすべてを喪失した者の祈りを顧み/その祈りを侮られませんでした。 

気になる言葉や節はなんだろう? 私の場合は、あまりにも詩的というか(詩編なので当たり前なのかもしれないが)、趣のある表現が多いと感じ、挙げかねている。しかし、ひとつ挙げるとすると、18節の、「主はすべてを喪失した者の祈りを顧み/その祈りを侮られませんでした。」を挙げたい。結局、あまり趣のある表現ではないが、とても元気づけられる。 

詩編作者の立場を思って詩編102編を読む時、まず1節にあるように、詩編作者自身が心くじけてしまった経験を持つ中で(あるいはそのような人の立場を思いつつ)、この詩を書いたように思う。 2-3節では、主なる神に、私の祈りが聞かれるようにと訴え、すぐに答えてくださいと叫んでいるような強い語気で詩編ははじまる。4-12節では、心くじけた者のどうしようもない状態をぐちをならべるような感覚で詠っている。しかし、それらのぐちが、上記にも書いたが、とても詩的で趣がある。「生涯は煙となって消え去る。」「骨は炉のように溶ける。」(4節)、「心は、草のように乾く。」(5節)、「骨は肉にすがりつき」(6節)、「廃墟のふくろう」(7節)、「屋根の上にいる鳥」(8節)、「パンに代えて灰を食べ、飲み物に涙を混ぜた。」(10節)、「生涯はうつろう影、草のように枯れて行く。」とづらづらと続く。 13 節以降は様相は一変し、主を賛美する言葉に変わっていく。これらの言葉は紀元前6世紀にエルサレムが破壊されてしまった後の時代に書かれたと思われるが、主なるあなたが、永遠に王座についており、代々にわたって、主の御名が唱えられる。(13節) とはじまり、破壊されてしまったシオン(エルサレム)を憐れんで、新たな恵みの時を宣言する。 主に従う民が、廃墟になったシオンでも、どれほどにシオンの石を、いや塵ですら慕っていることか。(15 節) 国々も王たちも、主の栄光をどれだけ畏れるか。(16節) 主がシオンを再建し、栄光の中で顕われる。(17節) そして、主はすべてを喪失した者の祈りを顧みて、決してその祈りを侮るようなことはない。(18節)

この詩編を通して、主なる神は、私たちに何を語りかけておられるのだろうか? 私の場合は、先週末に天に召された兄弟のこと、未亡人となられた姉妹。また昨年召された方とその未亡人。逆に昨年召された姉妹と寡夫(ヤモメ)となられた兄弟等のことを思っている。また数々の離婚された方々のこともいっしょに覚えている。この詩編では、住んでいた都が陥落してしまったときの人々と主なる神の関係を詠っていたのかと思うが、夫婦として築いてきた都というか二人の城、結婚関係は、たとえ離婚しなかった夫婦でもいつかはどちらかが天に召され、その都がばらばらと崩れていくような、そして、心くじける時がくるのが避けられない。 しかし、そこで、主に素直に語りかけて祈るとき、その祈りを決して侮ることなく、必ず顧みてくださる方がおられる。早くも4週間が過ぎようとしている復活節にあって、十字架の死によって死をも滅ぼされる主イエスに、祈ることの大切さ、そして祈りが強さに変わっていくことを確信する。アーメン
安達 均 

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