May 29th, 2014

2014年5月29 日 詩編を読もう:創造主なる神の愛の基盤 (詩編93)

詩編を読もう, by admin1.

今年の5月29日は「主の昇天日」に当たる。主の復活日4月20日を第一日目とし、7週間後、50日目の日曜、6月8日には、聖霊降臨祭(ペンテコステ)を祝う。その10日前、つまり復活日から数えて40日目、今年は5月29日になるが、主の昇天日とされる。復活のイエスが天に昇られた日とされている。 その時の様子は使徒言行録の1章1節から11節に記述されている。 毎年、主の昇天日に与えられる詩編は47編で、旧約時代に詠われ始めた詩編なのに、主の昇天があたかも預言されたような描写もある。 興味ある方は、詩編47編も読まれるのも良い。また47編については、昨年の主の昇天日であった5月9日に読み、記述してあるので、「詩編を読もう」を毎週集めてくださっている方は、去年の5月9日に遡って読んでいただくのも良いと思う。(ウェブサイトでも、過去の「詩編を読もう」を読むことができる。)
さて、今週は、聖書日課では主の昇天日の翌日と翌々日に与えられている詩編箇所93編を読む。 いつものように気になる言葉や節はなにか? 詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているのか、よく考えてみよう。そして神はこの詩編93編を通して何を語りかけているか思いを巡らせよう。
 
詩編93編
1:主こそ王。威厳を衣とし/力を衣とし、身に帯びられる。世界は固く据えられ、決して揺らぐことはない。
2:御座はいにしえより固く据えられ/あなたはとこしえの昔からいます。
3:主よ、潮はあげる、潮は声をあげる。潮は打ち寄せる響きをあげる。
4:大水のとどろく声よりも力強く/海に砕け散る波。さらに力強く、高くいます主。
5:主よ、あなたの定めは確かであり/あなたの神殿に尊厳はふさわしい。日の続く限り。

気になる言葉や節はなんだろう? 私の場合は1節に描写された「世界は固く据えられ、決して揺らぐことがない。」  

詩編作者の立場を思って詩編93編のことを考え、解説も加えたいみたい。 詩編93編は、全部で150編ある詩編の中で、7編存在する(47 編、93編、95編から99編) 「即位の詩編」と呼ばれる。 即位の詩編とは、詩編が作られた時代のユダヤ教国家は君主制。代々君主が即位し、宗教的にも政治的にも国家を統治しようとした。 しかし、実際問題は、さまざまな問題に遭遇する。 そのような、荒波の中でも、新たに王が即位し、その戴冠式のような事が行なわれる時に、即位の詩編が詠われる必要があったのかと想像する。戴冠式に合わせて詩編作者も93編を作詞したのかと思う。 93編に詠われている内容は、国王の座に着くものが、主なる神を顕す存在。1節では、人間的な要素ではなく、絶対的な主なる神の力、威厳を持つ者と詠う。また統治される世界も固く据えられ、揺らがない。2節には、主なる神が時を越えて昔から存在していたのだと。3節―4節では様々な荒波も起こるが、それらの荒波よりさらに強く、また高い主の存在。5節では主なる神が定め、即位する王が、確かな存在であり、日の続く限り(王が生きている限りという意味かと思う)この神殿にふさわしく即位が続く。

21世紀に生きる私たちに、絶対的な創造主である方は、聖書に記述された詩編93編を通して何を語ろうとされているのだろうか? 日本やアメリカに生活している市民にとって、共和制(人民が統治上の最高権威を持つ政治体制)であるため、君主制のことはあまりピンとこないかもしれない。しかし、この21世紀にあっても、先進国、発展途上国を問わず、多くの君主制をとっている国が存在することを忘れるべきではないと思う。思いつく国をいくつか挙げるとすれば、スウェーデン、ノルウェー、タイ、モロッコ。。。。 

そして、この93編をよく読むとき、君主制とか共和制とかの政治体制を超えた、絶対的な創造の神の力強さを私は感じる。 「世界は固く据えられ、揺らぐことがない。」と詠われた言葉には、「えっと」少々疑問を持つ方も多いかもしれない。日本は憲法改正の問題、アメリカは先週また起きた射殺事件、などぐらぐら揺れている。地球という単位で、気候は不安定であり、しょっちゅう地震は起こる。宇宙から見れば、地球はものすごいスピードで太陽の周りを回っているし、太陽系自体も動いており、宇宙自体は膨張しているらしい。 しかし、世界は固く据えられ、揺らぐことがない、という言葉には、説得力を感じる。 昇天されたイエス、主なる神は、私たちの考えたり見たりすることができる次元を超えた、揺らぐことのない確固たる愛を基盤にされていることが、詩編93編の言葉と、イエスの生涯から伝わってくる。 アーメン  安達均

後述:上記に触れた、先週土曜の夜、サンタバーバラ大学での連続射殺事件の犠牲者たち、家族、友人等を思い、創造主なる神の癒しと慰めを祈る。 銃規制の話題もまた再燃するかと思うが、その本質的な問題は、今の日本国憲法改正問題とも共通した要素があるように感じる。 主なる神、イエスも、私たちの間に立って、これらの問題に遭遇されていることを覚え、主の導きを祈る。 

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