July 3rd, 2014

2014年7月3日 詩編を読もう:倒れそうな人を支える主 (詩編145:8-14)

詩編を読もう, by admin1.

今週は詩編145編の8-14節を読む。毎週読んでいる詩編は、LCR日本語部のカレンダーの裏に記載している聖書日課に沿っており、だいたいはその週の木曜から土曜に読む詩編である。木曜から土曜の聖書箇所も、翌週の月曜から水曜に読む聖書箇所も、その間にはさまれた聖なる日曜に読む福音書個所と関係している。
さて、いつものように気になる言葉や節はなにか? 詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているのか、よく考えてみよう。そして神はこの詩編箇所を通して何を語りかけているか思いを巡らせよう。
 
詩編 145編8-14節
8:主は恵みに富み、憐れみ深く/忍耐強く、慈しみに満ちておられます。
9:主はすべてのものに恵みを与え/造られたすべてのものを憐れんでくださいます。
10:主よ、造られたものがすべて、あなたに感謝し/あなたの慈しみに生きる人があなたをたたえ
11:あなたの主権の栄光を告げ/力強い御業について語りますように。
12:その力強い御業と栄光を/主権の輝きを、人の子らに示しますように。
13:あなたの主権はとこしえの主権/あなたの統治は代々に。
14: 主は倒れようとする人をひとりひとり支え/うずくまっている人を起こしてくださいます。

気になる言葉や節はなんだろう? 私の場合は14節の「主は倒れようとする人をひとりひとり支え/うずくまっている人を起こしてくださいます。」 

詩編作者の立場を思って、与えられた詩編箇所を読んでいきたい。詩編145編は最初の1-2節および最後の21節の言葉から、あきらかな賛歌である。賛歌は138編から続いていて、詩編最後の150 編まで続いており、全体の詩編を締めくくる。 多くの詩編の特徴として、「賛美します」「たたえよ」「ハレルヤ」等々の言葉にはさまれて、主を賛美する理由が詠われている。8節9節では、美しい言葉を連続して、まさに賛美する理由が詠われている。主なる神は、「恵みに富み、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに満ちて、」まさにそのようなお方(8節)。 さらに主なる神は、実際に行動している方で、「すべてのものに恵みを与え、(ご自分が)造られたすべてのものを憐れんでくださいます。」(9節)  そして10節から13節では、祈りとなる。だから主に造られたすべてがあなたに感謝し、あなたの慈しみに生きる人があなたをたたえ、(10節)、主なる権限とその栄光を告げ、主の力強い御業についてわかちあうように(11節)。さらに、その栄光と御業が、次の世代の子供たちにも示されるように(12節)。主権も統治も代々、永遠に続くように。(13節)  そして14節では、主の御業がより具体的に表現されている。 主が倒れそうな人をひとりひとり支えて、うずくまっている人を起こしてくださる。 

この詩編の箇所を通して、主なる神は現代の私たちに何を語られているのだろうか? 14節の言葉が気になると書いたが、幼少の時の出来事を思い返している。 私は2歳の時に、母方の祖父を結核で亡くした。2歳の時なので、祖父のことはほとんど覚えていない。しかし、後にはっきり知ったことは、それから私も結核になったこと。その時は幼かったので、祖父と同じ恐い結核にかかったとは教えられなかったが、今思うとよく助かったと思う。当時は、良い抗生物質がやっと出回りはじめた時代で、私は3歳か4歳かの短いこの世の一生かもしれなかったところが、結局55歳の今となっても生かされている。 五十数年前に良い薬が出回りはじめたというタイミングもあるが、その背後では、主なる神が、倒れそうな私を支えてくださったという思いがする。 その時の結核のおかげて、私は大人になっても胸のエックス線検査の度に、細かな影というか、跡があることを指摘されてきた。 跡があることについて、「心配ない」と医者からは言われてきたが、私の肺は、100パーセントではないのだと思っている。かぜをひいたり、ウィルスが入ったりで、咳がではじめると、数週間止まらないことを、なんどか経験してきた。そのような時に、つらい思いもあるが、聖なる日曜には、礼拝に導かれ、主イエスを賛美し、生きて働かれる御言葉に生かされる生活の中で、やはり、主に支えられることを実感する。7月6日に与えられた聖書箇所に、イエスの語った言葉、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」がある。 現代を生きる私たち、それぞれに目に見えない重荷をたくさんしょって生きている現実がある。 しかし、その重荷を、目には見えない聖霊なる神、救い主イエスがいっしょに背負って歩んでくださっている。アーメン
安達均

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