今週は詩編65編を読む。1-14節のすべてを以下に書き写すが、とくに後半の10-14節に集中したい。いつものように気になる言葉や節はなにか? 詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているのか、よく考えてみよう。そして神はこの詩編箇所を通して何を語りかけているか思いを巡らせよう。
詩編65編
1:【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。歌。】
2:沈黙してあなたに向かい、賛美をささげます。シオンにいます神よ。あなたに満願の献げ物をささげます。
3:祈りを聞いてくださる神よ/すべて肉なるものはあなたのもとに来ます。
4:罪の数々がわたしを圧倒します。背いたわたしたちを/あなたは贖ってくださいます。
5:いかに幸いなことでしょう/あなたに選ばれ、近づけられ/あなたの庭に宿る人は。恵みの溢れるあなたの家、聖なる神殿によって/わたしたちが満ち足りますように。
6:わたしたちの救いの神よ/あなたの恐るべき御業が/わたしたちへのふさわしい答えでありますように。遠い海、地の果てに至るまで/すべてのものがあなたに依り頼みます。
7:御力をもって山々を固く据え/雄々しさを身に帯びておられる方。
8:大海のどよめき、波のどよめき/諸国の民の騒ぎを鎮める方。
9:お与えになる多くのしるしを見て/地の果てに住む民は畏れ敬い/朝と夕べの出で立つところには/喜びの歌が響きます。
10:あなたは地に臨んで水を与え/豊かさを加えられます。神の水路は水をたたえ、地は穀物を備えます。あなたがそのように地を備え
11:畝を潤し、土をならし/豊かな雨を注いで柔らかにし/芽生えたものを祝福してくださるからです。
12:あなたは豊作の年を冠として地に授けられます。あなたの過ぎ行かれる跡には油が滴っています。
13:荒れ野の原にも滴り/どの丘も喜びを帯とし
14:牧場は羊の群れに装われ/谷は麦に覆われています。ものみな歌い、喜びの叫びをあげています。
気になる言葉や節はなんだろう? 私の場合は10節の「あなたは地に臨んで水を与え、豊かさを加えられます。」
詩編作者の立場を思って、与えられた詩編箇所の10節以降を読んでいきたい。10節の最初の一文が、10節以降の大きなテーマを詠っているように思う。 主なる神ご自身が大地を訪れ働かれ、水を与え、豊かさを増し加えている。不思議な神の水路のシステムにより、雨が降って、水がその水路を水で満たし、豊かな大地にさらに豊かさを加えている。 その豊かさゆえに、大地では穀物が収穫できるようになる。その穀物を収穫できる大地を、主が与えてくださっている。(10節) (人間が作った)畝を潤し、土をならす。すなわち、畝に豊かな雨をそそいでやわらかくし、芽生えた植物を祝福、成長させてくださるから(主を賛美する)。(11節) 主は豊作の年をまるで冠として大地に授ける。主が訪れて施された土地の跡には、油(見事な実り)が滴っている。(12節) その油(実り)は荒れ野だった原にも滴るようになり、すべての丘が喜びを帯のようにして (13節)、牧場は羊の群れに装われ(たくさんの羊たちが生息して)、谷(丘にはさまれた大地)は多くの麦が育っている。(主に創造された)すべてのものが歌い、歓喜の叫びをあげ、賛美している。(14節)
この詩編箇所を通して、主なる神は現代の私たちに何を語っているのだろうか? 10節より前では、7節に「遠い海」や、8節に「大海のどよめき、波のどよめき」という表現があった。 詩編作者が生きた時代には、地球を宇宙から見ると青く見えるということはわかっていなかったが、現代、海が地球表面の8割近くをおおっているため、すばらしい青々とした地球であることがわかっている。 その青々としたという表現はこの詩編にはないものの、この地球に神が備えてくださった豊かな水のすばらしさがこの詩編後半に詠われていると思う。 そして、海の水が、蒸発し、雨となり、大地を水で潤し、たいへんな栄養となり、まずは植物が、またすべての動物も、その恩恵を被って、成長し命を維持するという不思議なことが起こっている。 人間は種を植えたり、また土地を耕したりもするが、種が芽を出し、茎や葉となり、花が咲き、そして実となるように、成長させてくださるのは、主なる神が加えてくださる恵みのみによってその命が保たれる。今年の主題聖句である、ヨハネ1章16節には、「恵みの上に、さらに恵みを受けた。」とあるが、上記詩編の10節の「豊かさを加える」という表現と共通していると思う。 わたしたちは、とくに都市部に住むと、上記のような大地に与えられた豊かさを忘れてしまいがちで、地球環境を痛めてしまうようなことを平気でしてしまうと思う。 普段、私たちが食卓でいただくものはすべて、地球上で神から与えられた命をいただいているといっても良い。詩編65編は、その恵みの豊かさを、思い出させる。だから、わたしたちは、感謝し、賛美し神に応答する。日曜日の礼拝は、その顕われである。アーメン
安達均