July 31st, 2014

2014年7月31日 詩編を読もう: 世々に賛美し続ける (詩編145:8-9, 14-21)

詩編を読もう, by admin1.

今週は詩編145編8 – 9節および14 – 21節を読む。実は、同じ詩編の8節から14節を7月3日にもとりあげたばかりで、多少、重なっているが、すばらしいところなので、またこの詩編箇所を開いていることに喜びを覚える。 全部で150編ある詩編のなかで、終盤の138編から145編までは特にダビデの賛歌と呼ばれ、146編以降、150編までは、それぞれ「ハレルヤ」ではじまり「ハレルヤ」で終わるパワフルな賛歌で、詩編は閉じられている。そのような詩編の構成の中で、ダビデの賛歌の最後を集中的に読むことになる。いつものように気になる言葉は何かを挙げてみよう。次に、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考えてみよう。そして神はこの詩編箇所を通して何を語りかけているか思いを巡らせよう。

詩編 145編 
8: 主は恵みに富み、憐れみ深く/忍耐強く、慈しみに満ちておられます。
9:主はすべてのものに恵みを与え/造られたすべてのものを憐れんでくださいます。
14:主は倒れようとする人をひとりひとり支え/うずくまっている人を起こしてくださいます。
15:ものみながあなたに目を注いで待ち望むと/あなたはときに応じて食べ物をくださいます。
16:すべて命あるものに向かって御手を開き/望みを満足させてくださいます。
17:主の道はことごとく正しく/御業は慈しみを示しています。
18:主を呼ぶ人すべてに近くいまし/まことをもって呼ぶ人すべてに近くいまし
19:主を畏れる人々の望みをかなえ/叫びを聞いて救ってくださいます。
20:主を愛する人は主に守られ/主に逆らう者はことごとく滅ぼされます。
21:わたしの口は主を賛美します。すべて肉なるものは/世々限りなく聖なる御名をたたえます。

気になる言葉や節はなんだろう? 今日は21節の「わたしの口は主を賛美します。すべて肉なるものは/世々限りなく聖なる御名をたたえます。」を挙げたい。 

詩編作者の立場を思って、今週の詩編箇所を読んでいきたい。冒頭にも書いたように、ダビデの賛歌の一部が今日の詩編箇所。 詩編作者はダビデと思っても良いし、ダビデの生涯を良く知る人が、ダビデの生涯を思いつつ、この詩を作ったということも考えられる。 いずれにしろ、ダビデの生涯から、またこの世に命を賜った一人としても、生きている限り「主がすばらしい」と賛美し続けたくなる最たる理由を今日の詩編箇所で詠っているように思う。大きく分けて三つの理由をこの箇所で表現しているように思う。 一つめは、8-9節で、「主がいかにすばらしいか。」 主が恵みに富み、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに満ち、すべてのものに恵みを与え、憐れんでくださっていると詠う。 二つめは、14-16節で「主がいかに養い支えてくださっているか。」 主は倒れそうな者を支え、うずくまっている人を起こし、主に待ち望むと適切に食べ物を与えてくださり望みを満足させたくださる。三つめは、17-20節で、「主がいかに近くにいてくださるか。」 主の道がことごとく正しく、御業は慈しみを示し、主を呼ぶ人の近くにいて、主を畏れる人々の望みをかなえ、叫びを聞き救い、主を愛する人を守り、主に逆らう人は滅ぼされる。 そして、最後の21節は、だから、「私の口は主を賛美します。」と詠い、すべて命を与えられた肉なるものは、代々引き継がれて、聖なる御名を讃えます。という言葉で145編は閉じられる。

この詩編箇所を通して、主なる神は現代の私たちに何を語っているのか、思いを巡らせてみたい。 来る聖日、8月3日に与えられている福音書箇所は、イエスが5つのパンと二匹の魚から「五千人に食べ物を与える」話。その話との関係から上記のさまざまな主を賛美する理由のなかで、二つ目に挙げた、主がいかに養い支えてくださっているか。の部分と関係があり、なかでも15節の、「ものみながあなたに目を注いで待ち望むと/あなたはときに応じて食べ物をくださいます。」の一節が浮かび上がってくる。この15節にあらわされている光景は、何千人もの人々のまなざしが、主イエスに向かっていて、そして、イエスが食べ物をとりあげ主に感謝・賛美して、さらにそれを分かち会うために裂き、そして、それらを弟子たちも手伝って、何千人もの人々に分け与えた様子が、15節に表現されていたように感じる。 それは、また食べ物を望んだ時だけではなく、19節に表現されているように、「主を畏れる人々の望みをかなえ/叫びを聞いて救ってくださいます。」にもつながってきていて、主にかしこまって従うなかで、主によって奇跡的に人々が救われることが、この現代においても、教会の活動を通じて起こっていることを思う。 具体的には、説教の話になっていってしまうので、ここには書かないが、要は、主イエスキリストとのわかちあい、そして信仰者同志のわかちあいのなかで、わたしたちの人知にはおよばない、驚くべき御業が遂行されている。 だから、145編の21節にあるように、わたしたちの口は、主を賛美しつづける。この21節は146編から150編の讃美歌につながっているし、また現代の私たちの信仰生活にも直結している。アーメン  

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