今週は詩編85 編9節から14節を読む。私事になるが、神学校時代に詩編の授業をとった。学期末に、最後のレポートを書くとき、どんな理由でもよいから詩編の一編を選び、それについて決められた質問にしたがってレポートを書くことが課題だった。その時、私が選んだ詩編が85編だった。 もう何を書いたかほとんど覚えていない。。。それはそれとして、今日新たに、85編をフレッシュな気持ちで読み、いつものように気になる言葉は何かを挙げる。次に、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考える。そして神はこの詩編箇所を通して何を語りかけているか思いを巡らせて行きたい。
詩編 85編
9: わたしは神が宣言なさるのを聞きます。主は平和を宣言されます/御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に/彼らが愚かなふるまいに戻らないように。
10:主を畏れる人に救いは近く/栄光はわたしたちの地にとどまるでしょう。
11:慈しみとまことは出会い/正義と平和は口づけし
12:まことは地から萌えいで/正義は天から注がれます。
13:主は必ず良いものをお与えになり/わたしたちの地は実りをもたらします。
14:正義は御前を行き/主の進まれる道を備えます。
気になる言葉や節はなんだろう? 私の場合は、9節の「彼らが愚かなふるまいに戻らないように。」という言葉。とくに広島と長崎の両原爆記念日の間にあって、ずっしりくる。
詩編作者の立場を思って、今週の詩編箇所を読んでいきたい。今日の箇所は9節以降の後半のみだが、簡単に1節から8節に何が書いてあったかを触れておくと、1-4節では良き時代に、神がイスラエルの民にしてくださったこと。5-8節では、現在は、その神と自分たちの関係がおもわしくなく、その関係改善を求める祈り、というか駆け引きのような様相すらある。そして、9節以降は、びっくりするような表現の賛歌なってくる。では9節から一節づつ触れていきたいが、9節は神の約束を信頼してあらたに詠い始める感じで、「私は神が平和を宣言されるのを聞く。自らが創造した民に対して、そして、神の確かな愛の中に生きる人々に。愚かに神に背を向けてしまわずに神に向き合う人々に。」10節で、「主を畏れる人には(今の神との関係がおもわしくない状況から変わって)神の救いは近く、神が私たちの地にとどまってる。」11節では、とても面白い詩的な表現をしており、慈しみ、まこと、正義、平和という四つの単語が擬人化されて、「いつくしとまことの二人が出会って、正義と平和が口づけする」と詠う。12節、さらに詩的な表現は続き、今度はまことは植物のように、また正義が植物が育つのに必要な雨にたとえられているかのようでもあるが、「まことが地面から萌えいで、正義は天から降り注がれる」と詠う。13節では、イスラエルの民を植物にたとえているようで、「わたしたち自身(イスラエルの民)が育つ地に、主なる神は良い栄養を与えてくださり、その地がわたしたちに実りをもたらす。」 14節では正義の擬人化表現がまた登場し、「正義が主なる神の前を行進して、主の歩まれる道を備える。」と詠って、詩編85編を閉じるが、9節以降で、イスラエルの民が誤まった行動をしてしまった中にも、力強い神の約束を詠い、静かに神を賛美している。
この詩編箇所を通して、主なる神は現代の私たちに何を語っているのか、思いを巡らせてみたい。本日のタイトルは「愚かなふるまいに戻らない。」とし、上記にも、今は広島と長崎の両原爆記念日の間にある、と書いたが、また世界の雲行きがあやしげになってきていることを危惧している。そのような状況におかれている人類に、今日の詩編の9節の言葉から、いかに戦争が罪深く、主なる神の思いからソッポを向いてしまっている、まさに「愚かなふるまい」なのかと思う。 人類は、それぞれ自分の国、あるいは自分の所属する団体なりの「正義」を掲げているが、この詩編12節で詠われているように、「正義」は天から注がれているもので、人類自身から勝手に沸いてくるようなものではないように感じる。「まこと」が萌えいでるという表現があったが、それはあくまで、地に生息する人類に、天から正義の雨が地に注がれるからこそ、「まこと」、真理、がそこに存在しうるのかと思う。「正義」と「平和」が口付けすると詠われていたが、正義と平和が一体であるということなのだと思う。つまり「正義」そのものは、「平和」なのだと教えられているように思う。今日の詩編の最後には、正義が主の御前を行進していて、主の進まれる道を整えているという描写があったが、そこには、主イエスが十字架を担がされて歩いている姿が浮かんできてしまう。主イエスが神の示される正義に従うゆえに。そして、今日与えられた詩編箇所の最初「主は平和を宣言される」は、十字架に架けられても復活し、弟子たちを赦して、「あなたがたに平和があるように。」と語ってくださったイエスの平和宣言をも思い出させてくれる。 アーメン
安達均