今週は先月9月4日に引き続き、詩編119編から41-48節を読む。詩編119編は22文字あるヘブル語アルファベットの各文字ではじまる22の詩が集められている。41節はヘブル語の”v”の文字ではじまる言葉が最初に位置されている詩。新共同訳聖書には、41節の前に(ワウ)と書かれていて、これがなぜ”v”なのかと思われるかもしれない。「ワウ」を「ヴァウ」という英語のv、ヴイ、の音に近いと思っていただければ、vとの関係を想像していただけるのではないかと思う。いずれにしろ、いつものように詩編を読んだ後、気になる言葉や節は何かを挙げる。次に、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考える。そして神はこの詩編箇所を通して何を語りかけているか思いを巡らせて行きたい。
詩編119編
(ワウ)
41:主よ、あなたの慈しみと救いが/仰せのとおり、わたしを訪れますように。
42:わたしを辱めた者に答えさせてください。わたしは御言葉に依り頼んでいます。
43:真実をわたしの口から奪わないでください。あなたの裁きを待ち望んでいます。
44:わたしがあなたの律法を守る者でありますように/常に、そしてとこしえに。
45:広々としたところを行き来させてください。あなたの命令を尋ね求めています。
46:わたしは王たちの前であなたの定めを告げ/決して恥とすることはないでしょう。
47:わたしはあなたの戒めを愛し/それを楽しみとします。
48:わたしはあなたの戒めを愛し/それに向かって手を高く上げます。わたしはあなたの掟を歌います。
気になった節や言葉はどこだろう? 私は42節にある、「わたしは御言葉に依り頼んでいます。」
詩編作者の立場を思って、今週の詩編を読んでいきたい。詩編作者の状況を想像する上で、やはり42節にある言葉だが、「わたしを辱めた者に答えさせてください。」と書かれている部分に大きなヒントがあると思う。詩編作者は、何者かによって、「辱め」つまりあざけられたり、痛烈な批判を受けたりしたのだと思う。したがって、詩編作者は心の閉塞感を覚えながら、この詩を作ったように思う。一節づつ、読んでいきたい。主よ、あなたが約束してくださっていたように、あなたの慈しみと救いが、わたしを訪れますように(41節)。わたしを痛烈に批判したものに対して返答できるようにしてください。わたしはあなたの御言葉を信頼しています(42節)。 わたしの口から真実が語られるようにして、あなたの裁き(わたし辱めた者への)を待ち望んでいます(43節)。私を、どのような状況でも常にあなたの律法を永遠に守る者としてください(44節)。私の語るべき言葉を命令してください、そして(今の心の塞がった状況から)、広々とした状況に導いてください(45節)。わたしは(裁判所で)、王やほかの政治家たちのいる前で、あなたの定めを述べ、決して辱められたままにはならないでしょう(46節)。わたしはあなたの戒めを愛して、楽しみ(楽しい歌)にさえしています(47節)。わたしはあなたの戒めを愛して、手を上げて、あなたの掟を(音楽にあわせて)歌っています。
この詩編を通して、主なる神は現代の私たちに何を教えてくださっているのだろうか? 10月26日の礼拝の中で読まれる福音書は、宗教改革記念礼拝でヨハネ福音書8章の御言葉になるが、聖書日課で与えられている福音書は、マタイ22章後半の「最も重要な掟」の箇所。イエスが「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、神なる主を愛する」ことと、「隣人を自分のように愛する」こと、この二つの掟が最も重要であるという話をされた。 今日読んでいる詩編が作られたのは、イエスが最も重要な掟の話をされるより、数百年さかのぼる。しかし、主なる神の思いが働いて、神が最も重要な掟として与える掟のことを想像しながら、この詩編は作成され、歌われるようになってきたのかと思う。どのような時代が来ようが、あるいは、信仰者であるがゆえに、非難されたり、嘲笑を受けるようなことすらありうることもある。にもかかわらず、主が与えてくださった最重要な二つの掟、その御言葉に頼り、確信し実践しつつ、主をいつも賛美する信仰生活を歩めますように。アーメン
安達均