November 13th, 2014

2014年11月13日 詩編を読もう:生涯の日々を正しく数える (詩編90:1-12)

詩編を読もう, by admin1.

今週は詩編90編を読む。教会の暦では今年は11月23日が聖霊降臨後最終主日となる。聖書日課では11月9日、16日、23日に与えられている福音書箇所がマタイ25章で終末がテーマと言える。イエスの語られていた終末を覚えつつ詩編90編を読むのも良いと思う。いつものように、詩編を読んだ後、気になる言葉、あるいはインパクトのあった言葉や節は何かを挙げる。次に、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考える。そして神はこの詩編箇所を通して現代の私たちに何を語りかけているか思いを巡らせて行きたい。

詩編90編 1: 【祈り。神の人モーセの詩。】主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。
2:山々が生まれる前から/大地が、人の世が、生み出される前から/世々とこしえに、あなたは神。
3:あなたは人を塵に返し/「人の子よ、帰れ」と仰せになります。
4:千年といえども御目には/昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。
5:あなたは眠りの中に人を漂わせ/朝が来れば、人は草のように移ろいます。
6:朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい/夕べにはしおれ、枯れて行きます。
7:あなたの怒りにわたしたちは絶え入り/あなたの憤りに恐れます。
8:あなたはわたしたちの罪を御前に/隠れた罪を御顔の光の中に置かれます。
9:わたしたちの生涯は御怒りに消え去り/人生はため息のように消えうせます。
10:人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても/得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。
11:御怒りの力を誰が知りえましょうか。あなたを畏れ敬うにつれて/あなたの憤りをも知ることでしょう。
12:生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。
気になった節や言葉はどこだろう? 私は、12節にある、「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができるように」と古代に生きた人々が祈ってくれていたこと。
詩編作者の立場を思って、今週の詩編を読んでいきたい。最初に【祈り。神の人モーセの詩。】となっているが、モーセがこの詩を作ったというより、後世の詩編作者の一人が、モーセ五書の最後の書、申命記最後32章にあるモーセの歌や、33章のモーセが生涯を終える時にあたって人々に語った祝福の言葉を振り返る中で作った歌なのかと思う。 12節ある詩編箇所を、大きく4箇所に分けてそのポイントだけに触れていきたい。 主よ、あなたは山々、大地、人類を創られる前から永遠に存在しておられる神。私たち人類は世代を超えて神の中で存在している(1-2節)。あなたの永遠という単位から考えれば、私たちが生きる時代がたとえ1000年だとしても、それは朝に花が裂き、夕方にその花が枯れてしまうような、とても短い時間にしか過ぎない(3-6節)。神の「怒り」の中で、私たちの罪はあらわにされ、私たちの人生は、70年、80年といえども、あっと言う間で、労苦と災いに過ぎず、あなたの憤りに気づかされる(7-11節)。生涯に日々を正しく認識して知恵を心得て生きることができるように祈る(12節)。

この詩編を通して、主なる神は現代の私たちに何を教えてくださっているのだろうか? この詩編なんども読み返すと、神が私たちに語ろうとしていることは、非常に根が深く、また空中に大きく広がる大樹のようなイメージが沸いてくる。その大樹のなかに埋もれそうな多くのことのなかから三つほど抽出してみたい。ひとつは、私たち個人の人生は平均は80年程度だが、詩編作者の詠っているように、罪に満ちていて、労苦と災いを感じるだけの人生になってしまうのかもしれない(信仰心無しに生きると)。 二つ目として、個人のはかなさだけではなく、人類全体のはかなさも詠っていると思う。そして三つ目、数十年という単位にしろ、数千年あるいは数万年という単位にしろ、永遠という単位に生きる神の存在からは、人類の生存期間は本当にわずかと思う。にもかかわらず、個人個人をしっかり知っておられる神の存在に畏れをいだいて生きるように。
12節の「生涯の日を正しく数える」という言葉から、50代半ばを過ぎた知人と食事をした時、「残りの人生を25年とすると、夕食を食べられる回数はもう9000回程度だから、一回一回の夕食を大切にしたい。」と言っていたことを思い出した。個人個人が神から与えられた時を大切にすることはすばらしい。同時に、それを与えてくださっている神を畏れ神に感謝し、社会に生かされている一員として、神と隣人を愛し続ける生活を送れるように願い祈る。それが、喜びと希望にあふれるイエスの再臨、終末に備えることで、神を畏れる知恵(箴言1:7)を持って生きることのように感じる。アーメン 安達均

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