February 5th, 2015

2015年2月5日 詩編を読もう:打ち砕かれた心の人々を癒す (詩編147編1-11, 20)

詩編を読もう, by admin1.

私はマレーシアにいたが、湯川遥菜氏に続いて、今度はわたしたちクリスチャンにとっては主にある兄弟である、後藤健二氏もイスラム国に殺されたという報道が2月1日の聖日の早朝に流れてきた。そのような状況を覚えつつ、今週後半に聖書日課で与えられている詩編をしっかり読もう。 気になる言葉、あるいはインパクトのあった言葉や節は何かを挙げる。次に、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考える。そして神は、いまのような状況の中で、わたしたちに何を語っているのか、私たちにどのように行動するように示唆しているか思いを巡らせよう。

詩編/ 147編
1: ハレルヤ。わたしたちの神をほめ歌うのはいかに喜ばしく/神への賛美はいかに美しく快いことか。2:主はエルサレムを再建し/イスラエルの追いやられた人々を集めてくださる。3:打ち砕かれた心の人々を癒し/その傷を包んでくださる。4:主は星に数を定め/それぞれに呼び名をお与えになる。5:わたしたちの主は大いなる方、御力は強く/英知の御業は数知れない。6:主は貧しい人々を励まし/逆らう者を地に倒される。7:感謝の献げ物をささげて主に歌え。竪琴に合わせてわたしたちの神にほめ歌をうたえ。8:主は天を雲で覆い、大地のために雨を備え/山々に草を芽生えさせられる。9:獣や、烏のたぐいが求めて鳴けば/食べ物をお与えになる。10:主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく/人の足の速さを望まれるのでもない。11:主が望まれるのは主を畏れる人/主の慈しみを待ち望む人。
20:どの国に対しても/このように計らわれたことはない。彼らは主の裁きを知りえない。ハレルヤ。

気になる言葉や、インパクトのあった言葉や節はどこだろうか? 私の場合は、「打ち砕かれた心を癒し、その傷を包んでくださる。」という3節の言葉。

詩編作者の気持ちになって、一節一節読んでいきたい。1節の「ハレルヤ」とは、「主を賛美すること。」そして主を賛美することが、いかに喜ばしく、いかに美しく快いことか、という二つの考察を詠っている。2-6節では、なぜ主を賛美するかの理由が連続的に詠われる。まず、主なる神は、エルサレムを再建し、イスラエルから他の国(エジプトやバビロン)へ追いやられた民を再びイスラエルに呼び戻してくださる(2節)。奴隷となった時代や捕囚されたために、たいへんな苦しみあるいは命を失った民もおり、心がずたずたになってしまった民ではあるが、民を癒し、傷を覆ってくださる(3節)。主は星の数さえもわかっており、ひとつひとつ名前をつけられているように、主の民、一人一人のことを覚えておられる(4節)。主は偉大でその英知なる行いは計り知れない(5節)。主は貧しい者を励まし、主に逆らう者を倒す(6節)。そして7節では、命令形で、主に感謝の奉献をして歌え、竪琴(チェロのような楽器)の調べにあわせて主なる神を賛美せよ。8-9節では、また主を賛美する理由が詠われる。主は傷ついた民がいる時代でも、雨をもたらしてくださり、山々を緑にしてくださる(8節)。動物や鳥が食べ物を求めて鳴けば、主は与えてくださる(9節)。そして10-11節は考察。主は馬の勇ましさや人の足の速さ(武力のことを意味しているように私には感じる)を喜ばれるわけでも、望むわけでもない(10節)。主が望んでいるのは、主を畏れ、主の慈しみを待ち望む人々(11節)。イスラエルの民以外には、主はこのような計らいをされなかったため、異邦人には主の裁きを理解しえないだろう、だから民よ、主を賛美せよ(20節)。

この詩編147編を通して、主なる神が、現代の私たちに呼びかけていることはどのようなことか、思いをめぐらせたい。 イスラム国の人質となった日本人二人に加え、人質となっていたヨルダン人パイロットも、実に悲惨な殺され方で、亡くなった模様。そのような中で、147編の結論である「主を賛美せよ」という気持ちには、なかなかなれないかもしれない。日本の首相、ヨルダン国王、米国大統領、イギリス首相等が、こぞって許しがたい行為として、イスラム国へ武力を持って破壊していくような様相を感じるが、果たしてそこに主なる神の思いが働いているのか、という質問をしたい。これまでテロの犠牲者となった方々の気持ちや、今、悲しみ苦しみの中にある遺族の気持ちを覚える。後藤健二さんの母は、後藤さんが殺害されたとみられる映像が流されたあと、「この悲しみが憎悪の連鎖となってはいけない。」というメッセージを読み上げている。911の犠牲となった方々の遺族たちにとって、アフガニスタンへの攻撃や、もろもろの連鎖的に起こった戦争が、心の癒しになったのだろうか? 詩編147編の3節の言葉から、打ちひしがれた心の人々は、いったいだれによって癒されるのか、考えたい。また10節、11節の意味も、今一度よく吟味したい。今とるべき行動はなんなのか?憎悪の連鎖が起きない様に祈ると主を賛美したい気持ちが湧いてくるように思う。
アーメン 安達均

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