March 19th, 2015

2015年3月19日 詩編を読もう: 敬天愛人について熟考 (詩編119 編9-16)

詩編を読もう, by admin1.

今週は聖書日課では3月23-25日に与えられている詩編119編9-16節を読む。いつものように、主なる神に心を集中させて読んでいこう。そして、気になる言葉、あるいはインパクトのあった言葉や節は何かを挙げる。次に、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考える。そして神は、現代の私たちに何を語っているのか、思いを巡らせよう。

詩編 119編
9: どのようにして、若者は/歩む道を清めるべきでしょうか。あなたの御言葉どおりに道を保つことです。
10:心を尽くしてわたしはあなたを尋ね求めます。あなたの戒めから/迷い出ることのないようにしてください。
11:わたしは仰せを心に納めています/あなたに対して過ちを犯すことのないように。
12:主よ、あなたをたたえます。あなたの掟を教えてください。
13:あなたの口から与えられた裁きを/わたしの唇がひとつひとつ物語りますように。
14:どのような財宝よりも/あなたの定めに従う道を喜びとしますように。
15:わたしはあなたの命令に心を砕き/あなたの道に目を注ぎます。
16:わたしはあなたの掟を楽しみとし/御言葉を決して忘れません。

気になった言葉は何だろうか。 私の場合は、15節の「あなたの命令に心を砕き」という言葉。「心を砕く」というと、「心配する」とか「配慮する」という感覚で使われていることが多いかと思う。しかし、原語のヘブライ語や英語に訳された言葉などを参考にして、つきつめて行くと「熟考する」という意味なのだと思う。

詩編作者の時代にさかのぼってみて、作者がこの詩編の言葉にこめた意味を想像していきたい。 詩編119編には22文字あるヘブライ語のアルファベットの各文字ではじまる22の詩が収められている。本日の箇所は、二文字目のBに相当する言葉ではじまる詩。 1-8節はAではじまる言葉で、基本中の基本ともいうべき教訓が書かれているともいえる。 そして二つ目の詩では、最初の節の言葉から若者への教訓にフォーカスしているようだ。 一節づつ考えていきたい。 いったい若者はどのように清き道を歩んでいけば良いのか、それは主の言われたとおりの道を歩み続けること(9節)。 心を尽くして主に尋ねもとめて、主の教えからはずれてしまうことがないように(10節)。主の言われたことを覚え、主に過ちを犯すことがないようにすること(11節)。主よ、賛美します、あなたの掟を教えてください(12節)。主が語られた裁きも自分で物語ることができるように(13節)。財宝などを喜ぶのではなく、主の定められた道を歩むことこそが宝であり喜びとなりますように(14節)。主の訓示をじっくり観想し、主の定められた道を敬って歩むように(15節)。主の掟こそ楽しみとし、主の言葉を覚えるように(16節)。

この詩編箇所を通じて、主なる神は現代のわたしたちに何を語りかけてくださっているか考えたい。 ユダヤ教信者の家族では、現代でも、親が子に、じっくりユダヤ教のトーラ(律法)を教えるという。日本語ではトーラを律法と訳してしまうが、どちらかというとさまざまな生活上の基本であり、旧約聖書のなかでも最初のモーセ五書に残された掟、「教訓」として捉えたらよいと思う。そして主イエスキリストは、最も重要な掟に関して次のように語られていたことを思い起こす。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」 現代の生活では、モーセ五書や詩編が著された時代とは大きく異なる環境の中に置かれており、モーセ五書では語られていない教訓や掟を自分たちで決めなければならないこともあるのかと思う。たとえば、夜中でも電気をつけて、本を読んだりすることもできる。あるいは夜中に映画を見に行ったり、あるいは友人と遊びにいったりもすることができてしまう。 しかし、いろいろな自由度があるなかで、行動規範は、常に「主なる神を愛する。隣人を愛する。」を年頭におき行動するかどうかになるのかと思う。四文字熟語で「敬天愛人」という表現もできるが、その意味は深く、熟考して行動する必要がある。 現代の親や教師たちは、こどもや生徒たちに、このようなことを教える大切さがあるのだと思う。 ルーテル教会が母体となって100年以上前に建立された九州学院を1月に訪問したが、学院の教訓が「敬天愛人」であることを思い出す。 
安達均

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