May 14th, 2015

2015年5月14日 詩編を読もう:教会はいらないと云う皆様へ (詩編115編)

詩編を読もう, by admin1.

アメリカ福音ルーテル教会のパシフィカ教区内では10以上の原語で伝道が行なわれている。アメリカ合衆国には、いわゆる出稼ぎに来た、そしてそのままいることになった方々、普段の経済的生活は苦しいという方々にとって、英語ではない自国の原語で伝道が行なわれていることは、ニーズも高く人々が集まる。しかし、何世代か前からアメリカ合衆国に移民してきた家系あるいは移民一世でも、経済的には困ることはないと思われている方々には、はっきりいってキリスト教は必要ではないと思う方々が多くなってくる。そんなことを思いつつ、今日読む詩編は115編。詩編を読もうでは初めてとりあげる。気になる言葉、あるいはインパクトのあった言葉や節は何かを挙げる。次に、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考える。そして神はこの復活節にあって現代のわたしたちに何を語りかけているか思いを巡らせよう。

詩編115編
1:わたしたちではなく、主よ/わたしたちではなく/あなたの御名こそ、栄え輝きますように/あなたの慈しみとまことによって。
2:なぜ国々は言うのか/「彼らの神はどこにいる」と。
3:わたしたちの神は天にいまし/御旨のままにすべてを行われる。
4:国々の偶像は金銀にすぎず/人間の手が造ったもの。
5:口があっても話せず/目があっても見えない。
6:耳があっても聞こえず/鼻があってもかぐことができない。
7:手があってもつかめず/足があっても歩けず/喉があっても声を出せない。
8:偶像を造り、それに依り頼む者は/皆、偶像と同じようになる。
9:イスラエルよ、主に依り頼め。主は助け、主は盾。
10:アロンの家よ、主に依り頼め。主は助け、主は盾。
11:主を畏れる人よ、主に依り頼め。主は助け、主は盾。
12:主よ、わたしたちを御心に留め/祝福してください。イスラエルの家を祝福し/アロンの家を祝福してください。
13:主を畏れる人を祝福し/大きな人も小さな人も祝福してください。
14:主があなたたちの数を増してくださるように/あなたたちの数を、そして子らの数を。
15:天地の造り主、主が/あなたたちを祝福してくださるように。
16:天は主のもの、地は人への賜物。
17:主を賛美するのは死者ではない/沈黙の国へ去った人々ではない。
18:わたしたちこそ、主をたたえよう/今も、そしてとこしえに。ハレルヤ。
気になる言葉、2節にある「彼らの神はどこにいる。」という人々の言葉。

詩編作者の立場を想像しながら、115編を振り返りたい。全部で18節と長いので、4つの部分に分けてまとめてみる。1-2節は、わたしたちの栄光ではなく天にいる主の栄えが輝くようにという祈りではじまり、諸国の民はわたしたちの主の存在が見えないから「彼らの神はどこにいるのか」と非難する。3—8節では、わたしたちの神は天におられ、主の思いのまま、すべてが行なわれている。諸国の民が崇拝している偶像は、なにもすることができない。 9-16節では、ユダヤの民の中でも、偶像に頼ってしまったもの、主に頼ることができない者もいたが、助け、岩となってくださる主を皆が頼るように。頼れずにいるユダヤの民を祝福してください。天地の創り主で、天におられる主によって、地上にいるすべての民を増やし、祝福してください。天は主の領域で地は民に与えられた賜物。17-18節で、主を賛美することは決して虚しいものではない。わたしたちこそ主を永遠に賛美しよう。18節の「わたしたちこそ」と書いた「わたしたち」には、ユダヤの中で主を崇拝してきた者だけではなく、ユダヤの中で偶像礼拝をしてしまっている者、あるいは諸国の民で偶像礼拝している者にも、主の御心により、皆が心をあわせて主を賛美するようにという思いがあるようだ。 

主なる神が、詩編115編を通して21世紀に生きるわたしたちに語りかけてくることは何なのか、思いを巡らせたい。 現代、発展途上国においてキリスト教もたいへんな勢いで伸びているし、また、イスラム教はもっとその勢いは強いのかもしれない。経済的な困窮におかれている者の方が絶対なる神、宗教へのニーズが高まってしまうという現象はおこるのだろう。しかし、その逆は、経済的に豊かな状態になると、概ね、宗教へのニーズは下がってくるというのが社会現象なのかと思う。 この詩編115編の、偶像に頼る諸国の民、あるいはユダヤの民の中でも主に頼れなかった者も含め、彼等は、現代でいう裕福な人々でその中でも「わたしには宗教はいりません。」あるいは「これまでとくに困ったことはないので、救い主は必要としていません。」といっておられる方々に思えてくる。 実は、主なる神は、そのような方々に語りかけているような気がしてならない。偶像というのは、現代でいえば、お金やその数字が示している大きさに頼ってしまっていることではないだろうか。いくら順調な生活を送っていても、実は主なるお方がいなければ、その主なるお方が私たちの自分勝手な思いを赦してくださっていなければ、私たち(信仰者もそうでない方々も)の命はありえない。 
アーメン 
安達均 

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