May 21st, 2015

2015年5月21日 詩編を読もう:神の息次第で (詩編104編24-35b)

詩編を読もう, by admin1.

今年は5月24日が聖霊降臨祭。ペンテコステとも言われる。クリスマスやイースターのように、非宗教的な世界でもお祝いするような面があるお祭りと異なり、聖霊降臨祭はキリスト教会独自のお祝いなのかと思う。といっても、ペンテコステという言葉自体は、50日目という意味で、ユダヤ教ではイスラエルの民が奴隷としてエジプトで仕えてきた時代が終わるきっかけとなる過越祭から数えて50日目にエジプトからイスラエルに旅をするリーダだったモーセにシナイ山で律法が与えられるという記念の日でもある。さてそのようなことも覚えながら、与えられた詩編104編後半を読んでいきたい。 いつものように気になる言葉、あるいはインパクトのあった言葉や節は何かを挙げる。次に、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考える。そして神はこの復活節にあって現代のわたしたちに何を語りかけているか思いを巡らせよう。

詩編104編
24:主よ、御業はいかにおびただしいことか。あなたはすべてを知恵によって成し遂げられた。地はお造りになったものに満ちている。
25:同じように、海も大きく豊かで/その中を動きまわる大小の生き物は数知れない。
26:舟がそこを行き交い/お造りになったレビヤタンもそこに戯れる。
27:彼らはすべて、あなたに望みをおき/ときに応じて食べ物をくださるのを待っている。
28:あなたがお与えになるものを彼らは集め/御手を開かれれば彼らは良い物に満ち足りる。
29:御顔を隠されれば彼らは恐れ/息吹を取り上げられれば彼らは息絶え/元の塵に返る。
30:あなたは御自分の息を送って彼らを創造し/地の面を新たにされる。
31:どうか、主の栄光がとこしえに続くように。主が御自分の業を喜び祝われるように。
32:主が地を見渡されれば地は震え/山に触れられれば山は煙を上げる。
33:命ある限り、わたしは主に向かって歌い/長らえる限り、わたしの神にほめ歌をうたおう。
34:どうか、わたしの歌が御心にかなうように。わたしは主によって喜び祝う。
35b:わたしの魂よ、主をたたえよ。ハレルヤ。

気になる言葉としては、24節にすべての創造が「知恵によって成し遂げられた。」と書いてある。神のお考えの中で、すべての創造が続いていることを覚える。

詩編作者の気持ちになって、与えられた詩編箇所を振り返りたい。 24節から26節では、いかに主の御業がすばらしいことか、地も海も、地上に住むものも、海の中に住むものも、すべて主の知恵、つまり神の考えによって創造された。27節から30節では、すべての生物の創造は今も続いており、創造されたものは主に望みを置き、主から与えられるもので満たされる。主が見渡してくださらなかったら恐れが生じ、生物の存続は、主なる神の息を注いでくださるかどうか次第である。 30節から最後までは、その息によって、地は新たにされる。主が見渡せば、地は震え、主が地を触れると噴煙もあがる。主の栄光が続くように、主のお考えが喜び祝われるように。だから私も生きる限り、主を賛美しよう。 以上振り返る中で、与えられた詩編箇所での詩編作者の大きなポイントは、神の知恵があって、地も海もそこに住むものも創造された。その知恵は現代の言葉でいえば、エコシステムとも言うべきものなのかもしれない。またユダヤ教のペンテコステを思う時、そのエコシステムには、イスラエルの民に与えられた戒め(律法)も含まれているように思う。

さらに、与えられた詩編箇所が21世紀に生きるわたしたちに何を語っているのか思いをめぐらせたい。 現代の言葉でいうエコシステムが神の知恵であることを書いた。そして来る日曜日には、キリスト教会では聖霊降臨日を控えている時に、そのエコシステムの中に、絶対に欠かすことができない、神の息、聖霊の存在を覚える。この詩編は紀元前数百年前に詠われはじめたものだが、ユダヤ教の伝統、そしてそれを引き継ぎキリスト教の伝統の中で、現代の21世紀にも詠われる。主なる神の息の大切さを思い出させてくれる。 私たちの目にははっきりとは見えるものではないが、主なる神の知恵、考えが秘められている、聖霊の働きについて、聖霊降臨日に向けてさらに思いを巡らせていきたい。

この時期、復活ルーテル教会の信仰者たち、またその家族や友人でも、病の中にある者が多い。ICUに入っている者も私の知るだけで二人いる。 聖霊の働き、癒し、励ましが注がれるように祈りつつ。 
アーメン
安達均

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