May 28th, 2015

2015年5月28日 詩編を読もう:わたしは知った (詩編20編)

詩編を読もう, by admin1.

今週は、三位一体主日の翌日6月1日から3日の聖書日課に与えられている詩編20編を読もう。いつものように気になる言葉、あるいはインパクトのあった言葉や節は何かを挙げる。次に、詩編作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考える。そして神はこの詩編20編を通して現代のわたしたちに何を語りかけているか思いを巡らせよう。

詩編20編
1:【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。】
2:苦難の日に主があなたに答え/ヤコブの神の御名があなたを高く上げ
3:聖所から助けを遣わし/シオンからあなたを支えてくださるように。
4:あなたの供え物をことごとく心に留め/あなたのいけにえを快く受け入れ〔セラ
5:あなたの心の願いをかなえ/あなたの計らいを実現させてくださるように。
6:我らがあなたの勝利に喜びの声をあげ/我らの神の御名によって/旗を掲げることができるように。主が、あなたの求めるところを/すべて実現させてくださるように。
7:今、わたしは知った/主は油注がれた方に勝利を授け/聖なる天から彼に答えて/右の御手による救いの力を示されることを。
8:戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが/我らは、我らの神、主の御名を唱える。
9:彼らは力を失って倒れるが/我らは力に満ちて立ち上がる。
10:主よ、王に勝利を与え/呼び求める我らに答えてください。

インパクトのある言葉として、7節の「今、わたしは知った。」

詩編作者の気持ちになって、与えられた詩編を振り返ろう。1節にはダビデの詩となっているが、おそらくダビデ王にしたがっていたイスラエルの民のための礼拝で詠う賛歌なのだと思う。2節以降で「あなた」となっているところは「ダビデ」におきかえても良いのだろう。2-4節では、苦難を経験しているダビデとその民だが、ダビデが支えられ、ダビデの神への供え物が受け入れられますようにと祈る。セラとなっているので、休止符か間奏が入る。そして5節にはいっても、祈りは6節まで続く。ダビデの願い、計画が実現するように。ダビデの勝利によって私たちは喜びの声をあげ、神の御名によって、勝利の旗を掲げることができるように。主がダビデの求めることをすべて実現してください。7節で「今、私は知った」と詠いはじめ、曲想はガラッと変わるようだ。主は油注がれたダビデに勝利を与え、救いの力を示される。戦力を誇るものがあるが、ダビデの民である我らは、主の御名を誇りたたえる。戦力を誇るものは倒れ、我らは主の力に満ちて、立ち上がることができる。10節では、再び、祈りの詩に戻り、ダビデに勝利を与え、呼び求めている我らに答えてください。

21世紀の現代にある私たちが、この詩編20編を読むとき、「あなた」はイエスに置き換えて、イエスに従うキリスト者たちの賛歌にもなるのだと思う。紀元前の世界と紀元後の世界で、人類が体験する苦難は同じように訪れる。しかし、「あなたの供え物・いけにえ」である十字架に供えられたイエス自身により、神が救いの力をさずけてくださっている救い主イエスが、イスラエルの民ばかりでなく、全世界の民に与えられている。イスラエルからしてみれば異邦人である私たちにも、勝利・救いがある。たとえ、イスラエルから東方の地の果てのような日本の民にも、また西方の地の果てのようなカリフォルニアにおいても、同じ救いがある。神とイエスが一体でさらに、神とイエスと一体である聖霊が、神の息が、世界中に吹き込まれている。私たちは、どんな苦難や困難や失敗を体験することがあっても、イエスの信仰を通して与えられる聖霊の力によって立ち上がる。
アーメン
安達均

Back Top

Comments are closed.