今週は6月29日から7月1日の聖書日課に与えられている詩編88編を読もう。はっきり言って、暗い詩編だ。ここまで暗い詩編はほかにないのではないかと思う。 しかし、神の御心があって、この詩編は加えられているのだと思う。詩編作者の立場にたって、また、21世紀に生きる私たちにとって、その御心はなんなのか、考えたい。いつものように気になる言葉、あるいはインパクトのあった言葉や節は何かを挙げる。次に、詩編作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考える。そして神はこの詩編箇所を通して現代のわたしたちに何を語りかけているか思いを巡らせよう。
詩編88編
1:【歌。賛歌。コラの子の詩。指揮者によって。マハラトに合わせて。レアノト。マスキール。エズラ人ヘマンの詩。】
2:主よ、わたしを救ってくださる神よ/昼は、助けを求めて叫び/夜も、御前におります。
3:わたしの祈りが御もとに届きますように。わたしの声に耳を傾けてください。
4:わたしの魂は苦難を味わい尽くし/命は陰府にのぞんでいます。
5:穴に下る者のうちに数えられ/力を失った者とされ
6:汚れた者と見なされ/死人のうちに放たれて/墓に横たわる者となりました。あなたはこのような者に心を留められません。彼らは御手から切り離されています。
7:あなたは地の底の穴にわたしを置かれます/影に閉ざされた所、暗闇の地に。
8:あなたの憤りがわたしを押さえつけ/あなたの起こす波がわたしを苦しめます。〔セラ
9:あなたはわたしから/親しい者を遠ざけられました。彼らにとってわたしは忌むべき者となりました。わたしは閉じ込められて、出られません。
10:苦悩に目は衰え/来る日も来る日も、主よ、あなたを呼び/あなたに向かって手を広げています。
11:あなたが死者に対して驚くべき御業をなさったり/死霊が起き上がって/あなたに/感謝したりすることがあるでしょうか。〔セラ
12:墓の中であなたの慈しみが/滅びの国であなたのまことが/語られたりするでしょうか。
13:闇の中で驚くべき御業が/忘却の地で恵みの御業が/告げ知らされたりするでしょうか。
14:主よ、わたしはあなたに叫びます。朝ごとに祈りは御前に向かいます。
15:主よ、なぜわたしの魂を突き放し/なぜ御顔をわたしに隠しておられるのですか。
16:わたしは若い時から苦しんで来ました。今は、死を待ちます。あなたの怒りを身に負い、絶えようとしています。
17:あなたの憤りがわたしを圧倒し/あなたを恐れてわたしは滅びます。
18:それは大水のように/絶え間なくわたしの周りに渦巻き/いっせいに襲いかかります。
19:愛する者も友も/あなたはわたしから遠ざけてしまわれました。今、わたしに親しいのは暗闇だけです。
気になる言葉としては、11節から13節に書かれた質問。しいて一つあげるとすれば、「滅びの国であなたのまことが語られたりするのでしょうか。」
詩編作者の気持ちになって、この詩編箇所を振り返りたいが、長いので、三つの箇所にわけて、要点だけ。 1節の詳細説明は避けるが、楽団を形成して、この詩編が歌われる様子が思い浮かぶ。2-10節の内容は、社会から疎外されてしまった詩編作者自身と、ほかにも、疎外されてしまった人々がいて、みな、閉ざされた墓、暗闇の地にいると詠う。しかし、2節の最初は「主よ、私を救ってくださる神よ」との神への問いかけではじまり、10節は「あなたに向かって手を広げている。」との言葉があることから、詩編作者が神に祈り続けており、神への希望を捨てていない状況がわかる。11-13節は、決定的ともいえる質問をしていると思う。死者に神の御業が起こるのか、滅びの国にあなたのまことが語られるのか、等々。これらの質問に対して、答えが明確に書かれているわけではないが、真っ暗闇にいる詩編作者は、「いやそんなことはありえない。」という考えに陥っているのだと思う。14節から19節は、さらに真っ暗闇に入っていく様相で、神からも突き放されてしまうと詠う。そして、「私に親しいのは暗闇だけだ。」という言葉で終わっている。しかし、それでも、詩編作者は、その心境を神に向かって、詠っていることに注意したい。
詩編88編を通して、神は何を現代の私たちに語ろうしているのか? 社会からも疎外され、神からも見放され、墓にいるしかないような自分、あるいは滅びの民のようではあるが、それでも主なる神に語り祈り続けようとする信仰に、とてつもないパワーを感じる。21世紀、教会ですら悲しい銃撃事件がおき、本当に暗い世の中だと感じている人々が多いのが現実なのかと思う。実は、墓にいる死者をも蘇させることができる神に徹底的に祈る信仰が求められている。 安達均