July 9th, 2015

2015年7月9日 詩編を読もう: 平和を宣言する主 (詩編85編 9-14節)

詩編を読もう, by admin1.

今週は7月9日から12日の聖書日課に与えられている詩編85編9節からを読もう。とても短い箇所を読むが、第二次世界大戦の終了から70周年を迎える年にあって、含蓄のある言葉が多く含まれている。いつものように気になる言葉、あるいはインパクトのあった言葉や節は何かを挙げる。次に、詩編作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考える。そして神はこの詩編箇所を通して現代のわたしたちに何を語りかけているか思いを巡らせよう。

詩編85編
9: わたしは神が宣言なさるのを聞きます。主は平和を宣言されます/御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に/彼らが愚かなふるまいに戻らないように。
10:主を畏れる人に救いは近く/栄光はわたしたちの地にとどまるでしょう。
11:慈しみとまことは出会い/正義と平和は口づけし
12:まことは地から萌えいで/正義は天から注がれます。
13:主は必ず良いものをお与えになり/わたしたちの地は実りをもたらします。
14:正義は御前を行き/主の進まれる道を備えます。

気になる言葉としては、「主は平和を宣言されます」という言葉。

詩編作者の気持ちになって、一節づつ、読んでいきたい。 主なる神が、平和を宣言・約束される、それは、主の慈しみに希望をおいて生きる人々に昔のような神に背く行いをしないようにするため(9節)。 主を畏れる人にこそ、救いは近く、神の栄光は、その主を畏れる私たちの生きる地に留まるでしょう (10節) ――栄光が地に留まるという、栄光が人格化されていることに注目。神の慈しみは人々の地上のまこと(ヘブライ語ではwe-e-metという言葉が使われており信仰深いという意味もある)と出会い、また神の正義は人々の間に存在する平和と口づけする――さらに神の”慈しみ”と”正義”も人格化されていることに注目(11節)。 人々のまこと(信仰)は植物が地上から芽を吹いて成長するかのように天に向かって萌え出でて、神の正義は天から雨が降るかのごとく地に注がれる(12節)。 主はかならず良いものを地に与え、私たちの地に実りがもたらされる(13節)。 神の正義が主の前を先行し、主の歩む道を整える(14節)。 

さて、この詩編85編の後半部分を通して、主なる神は、現代に生きる私たちに何を語りかけているのだろうか? 私は、栄光・慈しみ・正義―――これらは神に供えられているのだと思って、上記では、わざわざ「神の」という言葉をつけて表現したが、紀元数百年前にすでに、「地に留まる」「まことと出会う」「平和に口づけする」などの動詞から、人格化されて詩編に詠われていたことに驚かされる。そして、神はイエスという人において、顕われてくださったことと、結びつき、そして、現代においても、聖霊という神の存在が、人格化されてこの世に生きていることにも、通じているのだと思う。また現代に生きる人類が抱く信仰(上記に書いたように「まこと」と訳されているヘブライ語は信仰に置き換えることもできる)は、植物が成長するように、この地から天に向かって伸びていくかのごとく成長していく様子を思い浮かべる。植物が天からの雨が注がれて育っていくかのごとく、地上の人々が抱く信仰も、天から良い恵みを注がれて、どんどん成長していくことが、現代においてもおこりうることを覚える。 そして、そのような民は、神の意志に背いて戦争をしてしまうような振る舞いに戻るようなことをしないようにしてくださり、聖霊なる神は平和を宣言してくださる。第二次世界大戦終了から70年が経つ年にあって、まさに主の平和の宣言が、いまこそ、起こりうるのだと思う。 平和には、人々の信仰が鍵なのかと思う。    
アーメン
安達均

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