July 30th, 2015

2015年7月30日 詩編を読もう:後世に伝える (詩編78編23-29節)

詩編を読もう, by admin1.

今週は7月30 日から8月2日の聖書日課に与えられている詩編78編23-29節を読もう。8月2日の聖日には、ヨハネの福音書6:24-35が与えられており、あわせて読むと良い。 いつものように、まず気になった箇所、あるいはインパクトのあった言葉や節は何かを挙げる。次に、詩編作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考える。そして神はこの詩編箇所を通して現代のわたしたちに何を語りかけているか思いを巡らせよう。

詩編78編
23:それでもなお、神は上から雲に命じ/天の扉を開き
24:彼らの上にマナを降らせ、食べさせてくださった。神は天からの穀物をお与えになり
25:人は力ある方のパンを食べた。神は食べ飽きるほどの糧を送られた。
26:神は東風を天から送り/御力をもって南風を起こし
27:彼らの上に肉を塵のように降らせ/翼ある鳥を海辺の砂のように降らせ
28:彼らの陣営の中に/宿る所の周りに落としてくださった。
29:彼らは食べて飽き足りた。神は彼らの欲望を満たしてくださった。

気になった言葉としては、「翼ある鳥を海辺の砂のように降らせ」という言葉。またインパクトのある言葉として、「神は彼らの欲望を満たしてくださった。」 

72節もある長い詩編78編をとりあげるのは初めてのこと。その23-29節だけを詩編作者の気持ちになって読んで行くまえに、78編の全体像をつかむ必要を感じ、簡単に全体のポイントを4つに分けて書いておきたい。1-4節は、詩編78編の前文のような部分で、次世代の子供たちへ、主がなさってくださったこと(歴史)を教えていくと詠っている。5-11節では、神の御業・神との契約をことごとく忘れてしまった世代があったが、そのような頑固で反抗の世代となってしまわないようにと詠う。12-66節は、イスラエルの民が過去から当時(紀元前数百年前)までに学んだ教訓が詠われている。67節から72節では、神がユダ族(無垢な心を持つダビデ)とシオンの山を選ばれたことをもって詩編78編は詠い終わる(ひいてはダビデの子孫に希望があることを示唆しているように思われる)。以上のような全体像の中で、23-29節は、歴史上の一つの大きな出来事を詠っている。 イスラエルの民が紀元前1200年ごろに、エジプトでは奴隷となっていたが、解放されて、イスラエルへの帰路に着く。 ところが、その旅は過酷であり食べ物も貧しく、イスラエルの民はリーダのモーセに文句を言い始める。そのような民であったが、神が雲に命じて天の扉を開く(23節)。そしてイスラエルの民にマナを食べさせ、神が天からの穀物を与えられた(24節)。民は力ある方のパンを食べ、神はさらに民が飽きてしまうほどに糧を送り続けた(25節)。神の力をもって、東からも南からも、風を起こされた(26節)。 そして塵が降るように、肉を降らせ、海辺に砂が舞うかのごとく鳥を舞わせた(27節)。イスラエルの民が宿っているところに、大量の食べ物を落としてくださった(28節)。民はそれらを食べ、その欲望は満たされた(29節)。 

今日、この詩編78編を通して、主なる神は、私たちに何を語っているのだろうか。とくに与えられた23-29節を読む時、わたしは日本の第二次世界大戦後の食糧難の時代から現代の日本を思い出す。私が生まれる10数年前の話しだが、日本の民がいかに日々の食糧に困ったか、両親から子供の時によく聞かされた。その食料難の前には、両親が私たちになかなか語ることも難しい、悲惨な戦争があった。父は19歳の時、本当に仲の良かった21歳の兄が戦死している。それから70年後、国会では、安保法制の問題が大きな論点だ。「世界の平和を守るための日本の安保関連法案の整備について話し合っている」と言うと聞こえは良いが、少々きつい言い方をすれば、日本がもっと武装して何かの兆候があれば、戦争にも参加していくかどうかを話し合っているとも言える。現在の日本の民に、第二次世界大戦時の、民の痛みが本当に伝わっているのだろうか? またその後の食料難がどれほど厳しいものであったかを意識しているのだろうか? さらに、食料難時代から復興していくにあたり、どれだけの援助、その背後には神がどれだけ働かれたか、を覚える人々がどれだけいるのだろうか? 現代は飽食の時代のようでもあり、78編29節に描かれた様子と重なるような気がする。  
詩編78編は、紀元前数百年前に詠われ始めた。さらに時代は進み、私たちは、イエスというお方が、この世に降りてこられ、「神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」と言われ、「わたしが命のパンである。」と教えてくださったことを学んだ民である。詩編78編を読み、さらに、聖日に与えられているヨハネ福音書を読み、観想し、祈り、さらに主が私たちにどう行動するように働きかけているか、思いをめぐらせて、行動したい。 
安達均

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