September 10th, 2015

2015年9月10日 詩編を読もう: 日々,この世の死に近づく中 (詩編116編1-9節)

詩編を読もう, by admin1.

今週は9月10 日から13 日の聖書日課に与えられている詩編116編1-9節を読もう。 以下、いつものように、詩編を読み、気になった箇所、あるいはインパクトのあった言葉や節は何かを挙げる。次に、詩編作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考える。そして神はこの詩編箇所を通して現代のわたしたちに何を語りかけているか思いを巡らせよう。

詩編116編
1:わたしは主を愛する。主は嘆き祈る声を聞き
2:わたしに耳を傾けてくださる。生涯、わたしは主を呼ぼう。
3:死の綱がわたしにからみつき/陰府の脅威にさらされ/苦しみと嘆きを前にして
4:主の御名をわたしは呼ぶ。「どうか主よ、わたしの魂をお救いください。」
5:主は憐れみ深く、正義を行われる。わたしたちの神は情け深い。
6:哀れな人を守ってくださる主は/弱り果てたわたしを救ってくださる。
7:わたしの魂よ、再び安らうがよい/主はお前に報いてくださる。
8:あなたはわたしの魂を死から/わたしの目を涙から/わたしの足を突き落とそうとする者から/助け出してくださった。
9:命あるものの地にある限り/わたしは主の御前に歩み続けよう。

気になる言葉として、「弱り果てたわたし」と言っている詩編作者の状況。

詩編作者の状況を推察しつつ、詩編作者がこの詩編をどんな気持ちで詠っているのかをよく考えたい。 この詩編から伝わってくることは、詩編作者は、この世を生きる時間はもう短くなってきているように思う。もう体もまともには動かせないような状況があるようにも感じる。しかし、まだ息は絶えておらず、たとえ肉体的な死が訪れようが、魂は生き続ける、そんな様子を詠っているように思える。。。。そのようなことを思いつつ、一節づつ振り返りたい。 嘆き祈る声を必ず耳を傾けて聞いてくださる主を私は愛し、生涯、主を呼び続ける(1-2節)。 死が網のように私にからみついて、地獄の恐怖を覚え、苦しみと嘆きを前にしているが、「(肉体的な死はやむをえないが)どうか私の魂を救ってください。」と私は主の御名を呼ぶ(3-4節)。主は憐れみ深く、正義を行なう方で、情け深い(5節)。 哀れな人々を守ってくださる主は、弱り果てている私の魂を救ってくださる(6節)。私の魂よ、安らかであれ、主が報いてくださるから(7節)。主はわたしの魂を死から助け出してくさり、涙がとまらない状況から救い出し、歩行できないような状況になっても、救い出してくださった(8節)。肉体的にはもうなにもできないような状況ではあるが、世の命が続くかぎり、信仰をもって、主とともに生き続けよう(9節)。

この詩編が現代の私たちに伝えてくれていることを考えたい。 この詩編を読んでいて、ふっと思ったのだが、いつの時代に生きる人間も、「おぎゃー」と言ってうまれた日から、一日一日、この世の死に近づいていく日々を送っていく。この世に生きる日々は、一日一日、少なくなっていく。 そのような中で、この世をどう生きるかということは真剣な問題。 詩編116編を通して、信仰の大切さ、日々主を讃えつつ、生きることの大切さを覚える。その信仰の中で、肉体的には、どんなひどい状況がおとずれ、この世の死がおとずれようが、魂の救いがあること。主とともに、永遠の命があることを、示唆されているように思う。永遠の命があることは、主イエスの顕現によって、この詩編が詠われるようになってから、数百年後に明らかになったことではあるが。 アーメン。 
安達均

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