September 17th, 2015

2015年9月17日 詩編を読もう: 御名によって (詩編54編)

詩編を読もう, by admin1.

今週は9月17 日から20 日の聖書日課に与えられている詩編54編を読もう。 以下、いつものように、詩編を読み、気になった箇所、あるいはインパクトのあった言葉や節は何かを挙げる。次に、詩編作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考える。そして神はこの詩編箇所を通して現代のわたしたちに何を語りかけているか思いを巡らせよう。

詩編54編
1:【指揮者によって。伴奏付き。マスキール。ダビデの詩。
2:ジフ人が来て、サウルに「ダビデがわたしたちのもとに隠れている」と話したとき。】
3:神よ、御名によってわたしを救い/力強い御業によって、わたしを裁いてください。
4:神よ、わたしの祈りを聞き/この口にのぼる願いに耳を傾けてください。
5:異邦の者がわたしに逆らって立ち/暴虐な者がわたしの命をねらっています。彼らは自分の前に神を置こうとしないのです。〔セラ
6:見よ、神はわたしを助けてくださる。主はわたしの魂を支えてくださる。
7:わたしを陥れようとする者に災いを報い/あなたのまことに従って/彼らを絶やしてください。
8:主よ、わたしは自ら進んでいけにえをささげ/恵み深いあなたの御名に感謝します。
9:主は苦難から常に救い出してくださいます。わたしの目が敵を支配しますように。

インパクトのある言葉として、3節にある「神よ、御名によって」と詠いはじめる力ある言葉。

詩編作者の状況を推察しつつ、詩編作者がこの詩編をどんな気持ちで詠っているのかをよく考えたい。 1-2節は前書きで、1 節にある言葉、「マスキール」というヘブライ語は、32編をはじめ、全部で13の詩編の前書きに現れている。あまり意味は明確ではないが、教えとか教授的な意味がありそうだ。2節にはダビデの置かれた状況が書かれている。簡単に説明すると、ダビデが、主の御心から逸脱して行動していたサウルのすぐ近くに来ているという情報がサウルに報告され、サウルの部隊がダビデの命を狙っている。サムエル記上23章19節参照。 3節以降の詩編の内容に触れていきたい。サウルがダビデを見つけだして殺されるかもしれないが、ダビデは、「神よ、御名によって」という力強い言葉を述べて、さらにそのパワーを増し加えるように「力強い御業によって」と述べた後、びっくりすることに「わたしを裁いてください」と詠う(3節)。ダビデの心境は、すべてを主の御心に自分を委ねている様子が伺える。そして、ダビデの口から出るすべての祈り・願いを、神がすべて聞いてくださるようにという嘆願(4節)。御心に従わない横柄な者たち(サウルの部隊)が私に逆らい、命を狙っている、彼等は主の御名を第一にしていないのです(5節)と訴える。見よ、神はわたしを助け、魂を支え、陥れようとする者に報いてくださる、あなたの真理によって、彼らを絶やしてくださるように(6-7節)。主よ、わたしは感謝して、恵み深いあなたの御名に感謝し、いけにえを捧げます(8節)。主は常に苦難から救い出してくださり、わたしの目が敵を支配しますように(9節)。

この詩編が現代の私たちに伝えてくれていることを考えたい。この詩編の全体の流れは、ダビデはピンチに立つが、主の御名によって、祈願し、現状を訴え、主を信頼して、主が救い出してくださることを確信する。 それを、ダビデより後世の人々が、民が主の御名に感謝し讃えるのが、詩編54編。 後世というのは、イエスキリストの降誕後も含まれ、現代においても、主の御名において、常識では考えられないような、神の救いがあることを覚える。現代を生きる人々に、本当に健康面でピンチにたたされたり、とてつもない多忙な日々に置かれてやりきれないと思えるような窮地に立たされている人々も大勢いる。 そのような状況の中にあって、詩編54編は、現代の私たちに、主の御名によって祈り、願い、主なる神を第一に生きているかどうかが、鍵であることを教えているように思う。 
とくにイエスキリスト降誕後、紀元後に生きている私たちは、どんなピンチにあろうが、力強い主の御名、十字架上で死にて追いやられ、墓に葬られても、復活なさる、三位一体なる主を第一に生よう。常に自分を第一にするのではなく、主なる神を第一に生きているかチェックしつつ、この混迷の時代を、神の救いに与って歩み続けよう。アーメン
安達均

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