December 10th, 2015

2015年12月10日 詩編を読もう:その日には (イザヤ12章)

詩編を読もう, by admin1.

今年のアドベント、待降節は、第二週から第三週に向かいつつある。駆け足で過ぎていくような感じがする。日本語で十二月は「師走」と言い、普段は落ち着いている師匠すらも走るという季節なのかと思う。 しかし、この時期、立ち止まって、しっかり、御言葉に聴き入る時間を持つことをお勧めしたい。 今週も聖書日課では、通常は詩編を読むところで、詩編ではない箇所が読まれる。今週はイザヤ書が与えられた。12章を読むが、たった6節だけの短い章。 いつもの詩編を読むように、このイザヤ書12章でも、気になる、あるいはインパクトのある言葉や節を挙げる。次に、イザヤが預言した時の気持ちになってどのようなことを語っているか、よく考える。そして神はこのイザヤ12章を通して今日私たちに何を語りかけているか思いを巡らせたい。 

1:その日には、あなたは言うであろう。「主よ、わたしはあなたに感謝します。あなたはわたしに向かって怒りを燃やされたが/その怒りを翻し、わたしを慰められたからです。
2:見よ、わたしを救われる神。わたしは信頼して、恐れない。主こそわたしの力、わたしの歌/わたしの救いとなってくださった。」
3:あなたたちは喜びのうちに/救いの泉から水を汲む。
4:その日には、あなたたちは言うであろう。「主に感謝し、御名を呼べ。諸国の民に御業を示し/気高い御名を告げ知らせよ。
5:主にほめ歌をうたえ。主は威厳を示された。全世界にその御業を示せ。
6:シオンに住む者よ/叫び声をあげ、喜び歌え。イスラエルの聖なる方は/あなたたちのただ中にいます大いなる方。」

気になる言葉やインパクトのある節はどこだろう? 私にとって、インパクトがある言葉は、1節と4節にある「その日には」という言葉。 

預言者イザヤの気持ちを覚えつつ何を語っているか読んでいきたい。イザヤ書は66章からなり、一人のイザヤという預言者だけではなく、複数の預言者によって記されたと思われる。 66章のうち、最初の39章は第一イザヤと呼ばれ、神に背を向けてしまう紀元前8世紀ごろの指導者や民に向けて、辛口の預言がなされている。 そこには、人間の傲慢、神ではない人間の高ぶりが、大きなテーマとなっている。 しかし、「その日には」という言葉ではじまる12章では、そのようなイスラエルの民に、大きな変革の時代が来ることを、イザヤは預言している。1-2節では、イスラエルの民は、神は救い主であることがわかり、その神に感謝する時代が来ることを語る(1-2節)。 そして、枯渇した、いわば瀕死と思われるような状況に陥った民が、喜びのうちに救いの泉から水を汲むことができるようになると述べる(3節)。さらに、イスラエルの民は、その神を賛美し、世界の民に、神の救いを述べ伝えるようになる(4-6節)。

さて、このイザヤ12章を通して、主なる神は21世紀を生きている私たちに、今日何を語っているだろうか? 1節、4節にある「その日には」というその日とはいつのことを言っているのだろうか? 私は、紀元前から紀元後になる、イエスキリストの誕生以降の時代のことを言っているのだと思う。 一人の人間の誕生が、それは救い主の誕生だったが、2000年経っても、祝われ続けている。 それも、イスラエルからはじまって、西にも東にも、救い主降誕の知らせはひろまった。 さらに南半球にも、ひろまっていって、世界中で救い主降誕を祝う時代になっている。 人々は、神とは救い主、イエスであったことに気がつき、喜んでほめ歌を歌い、そして、さらに救い主がこの世に顕われたことを告げ続けている。 クリスマスである。 しかし、現実には、クリスマスを祝う人々は、世界中にひろまり、クリスチャンは25億人と言われても、とてもイエスキリストが救い主だとは信じられない人々、45 億人が世界中にいる。またとくに日本語を話す人々の中では、イエスを神と信じられる人の割合は圧倒的に少ない。主イエスの体である教会に集い、そのイエスの体の一部となっている一人一人のキリスト教徒が、全世界の民に、聖書の御言葉を伝え、クリスマスキャロルを歌い、主イエスの御業・主の憐れみと愛を、示し続けるように、このイザヤ12章を介して、神は導いておられると思う。 アーメン
安達均 

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