今週は、聖書日課から、14日から17 日に与えられている詩編、36編6-10節を読もう。先週、いっしょに食事をしていた友人が、翌朝には、自宅ではしごから落ちて事故で亡くなるということが起こったこともあり、奥様や家族のことを思い、自分も気持ちを表現しえない状況にある。状況は異なるが、先日10日の日曜朝10時のみ言葉の学びでは、カトリック教会が、今年を「いつくしみの特別聖年」としており、教皇フランシスコが書かれた、「イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔」という小冊子をよみはじめた。そのような時期にあって、詩編36編のしかも6-10節だけを、今週読むことには、おおきな意味を感じている。 短い箇所なので、是非、何回か、繰り返し読むことをお勧めしたい。 そして、気になる言葉、あるいはインパクトのあった言葉や節は何かを挙げる。次に、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、考える。そして神は、今の私たちに何を語っているのか、思いを巡らせよう。
詩編 36編
6:主よ、あなたの慈しみは天に/あなたの真実は大空に満ちている。
7:恵みの御業は神の山々のよう/あなたの裁きは大いなる深淵。主よ、あなたは人をも獣をも救われる。
8:神よ、慈しみはいかに貴いことか。あなたの翼の陰に人の子らは身を寄せ
9:あなたの家に滴る恵みに潤い/あなたの甘美な流れに渇きを癒す。
10:命の泉はあなたにあり/あなたの光に、わたしたちは光を見る。
気になる言葉、インパクトのある言葉は何だろう? 私にとっては、6 節と8節にある、「慈しみ」という言葉。
詩編作者の気持ちを覚えつつこの詩編箇所を振り返りたい。詩編作者といつも書いているが、詩編を著した一個人というより、モーセ五書に著された旧約聖書の最初の5巻、そしてイスラエルの信仰の歴史の中で、多くの預言者たちを通じて、神の言葉が著されていく中で、イスラエルの信仰共同体として、この詩編36編にある、「いつくしみ」に関わる描写が著されていると思う。 さて、1節づつ、振り返りたい。 「主よ」という呼びかけではじまった6節は、7節の前半まで、主のいつくしみを、大自然にたとえて表現している。 慈しみは天にあり、その主の真実は大空に満ちている(6節)。 恵みのみ業は神の山々のようにそびえており、主の裁きはどん底のような深い淵のようである(7節前半)。7節後半から10節までは、やはり、「主よ」という呼びかけからはじまり、神と人のふるまいを、見事に表現している。 (慈しみゆえに)あなたは人も獣も救われる(7節後半)。 神よ、慈しみは本来ありえないような貴いことで、(罪深い、被創造物であるにもかかわらず) 親鳥が自分の翼に子鳥をかばうように、神のもとに、人々は身を寄せ、神はかばってくださる(8節)。 あなたの家(神を崇拝する礼拝所と考えてよいのだと思う)には、豊かな恵みがあふれ、また礼拝に漂う甘美な流れのゆえに、霊的な渇きは、癒される(9節)。 命の源泉は、主なる神、あなたにあり、あなたは光となり、わたしたちはその光を見る(10節)。
神の御心は、わたしたちに何を語りかけているのだろうか? ずばり、神は、私たち一人一人がどのような境遇にあろうが、そこに憐れんで、恵みを与え、癒してくださる、「主のいつくしみ」を覚えるように導いているような気がしてならない。 冒頭に、先日の10日の日曜日より、10時のみ言葉の学びで、「父のいつくしみのみ顔」という小冊子を読み始めたことに触れた。 その冒頭には、「イエス・キリストは、御父のいつくしみのみ顔です。キリスト者の信仰の神秘は、ひと言でいえばこの表現に尽きる気がします。」とあった。その学びの中では、集まった兄弟姉妹で「いつくしみって何だろう?」ということを分かちあった。いろいろな表現があったが、「人間にはとてもできないような、神からの愛、神の憐れみ、恵み」、「母親が自分の赤ちゃんをいとおしく見つめるまなざし」、「すぐそばに存在してくださる神からの励み」等々の言葉をわかちあった。
イエスキリスト生誕以来、主イエスを通して、さらにイエスキリストの体である、教会を通して、神が具体的に神のいつくしみを人々に顕されるようになっていることを感じる。教会に集まる者たち、洗礼という不思議な信仰生活のはじまりがある。 それは復活の命のはじまりであり、さまざま人生体験、老い、病、この世の死を過ぎこしていくとき、永遠の命を確かなものとする信仰がある。 その過程で、詩編36編の6-10節にあるようないつくしみや、私たちが上記に表現したような主のいつくしみの体験をし、永遠という中におられる神と、数字で表現してもピントこない何百億年ともいわれる全宇宙・自然と、そして、全人類との信仰体験をあじわう。 冒頭に書いた友人の葬儀のため、これからダウンタウンのお寺に向かう。 彼との交わりは、主の慈しみの介在によって、私にとっても、家族、友人にとっても永遠の記憶となるのだと思う。 葬儀に向かう前に、このようなすばらしい詩編36編が与えられたことを覚え、感謝しつつ。
安達均