March 31st, 2011

LCR日本語部宣教開始22周年記念礼拝

活動報告, by admin1.

LCR日本語部宣教開始22周年記念礼拝

立野泰博牧師を迎えて

私達日本語部にとって、11月に迎える宣教記念礼拝にどなたをゲストスピーカーにお呼びするか、それが毎年の大きな課題である。今年は再びJELC(日本福音ルーテル教会)事務局長の立野泰博牧師をお迎えすることができた。立野牧師は私達の宣教20周年の時にも御祝いのメッセージをして下さり、私達にとっては親しみ深い先生である。特に今年の夏にLCRから20名の英語部教会員が日本を訪問した。その際、立野先生に大変お世話になった英語部のメンバーたちも、今年は私達日本語部のメンバーと一緒に立野先生のLCR訪問を心待ちにしていた。

立野先生が今回LCRに来られたのは、JELCからの公式訪問であった。前回は日本語部の礼拝だけ出席されたが、今回は公式訪問ということで、11月21日の8時半と10時15分の英語部の主日礼拝にも出席された。8時半の礼拝では、LCRの英語部と日本語部の聖歌隊が合同で「慈しみ深き」を日本語で合唱した。また、LCR主任牧師のZimmermann先生から、立野先生の紹介があり、立野先生からLCRとZimmermann先生に特別なギフトが送られた。広島の地に原爆の後再び芽を出し、成長した竹で作ったパン・フルートと、パレスチナで倒されたオリーブの木で作られた十字架である。どちらも「平和」を願って作られた物であり、立野牧師が平和ミッションの為に広島の地だけでなく、パレスチナの地にも何度も訪問し、福音の伝道を続けている事は、これらのギフトから無言のうちに語られて来た。

11時半からの日本語礼拝では、「主の年輪は語る」というテーマでメッセージを下さった。先生はパレスチナの人達が、倒されたオリーブの木を大切に家の外に置いているのを見て、どうしてか質問したそうだ。「これは私達の生まれ育ったこの地の歴史を語っている木だから、大切なのです。」という答えに心を打たれた先生は、そのオリーブの木をどうにか出来ない物かと考えた。そして倒されたオリーブの木からフルートを作り、そのフルートでコンサートをし、CDも制作し、集まったお金でパレスチナの子供達にピアノを寄付した。パレスチナの子供たちの心に、平和をもたらす音楽教育の為である。オリーブの木に刻まれた歴史の年輪のように、私達日本語部が迎えた22周年も年輪である、と先生は語られた。LCRに日本語部が創立されてから、3人の牧師がJELCから派遣された。前任牧師であった伊藤文雄先生は、立野先生の神学校時代の恩師でもあり、立野先生が前回LCRに訪問されたとき、伊藤牧師が先頭に立って日本語部を引っ張っている様子が印象的だったが、今回は、アメリカの神学校を経て牧会をされてきた岸野牧師が日本語を「ほんわか」ムードで包んでいるように感じる、と立野先生は話された。私達の日本語部は、22年の間に様々な牧師を迎え、様々な出来事があった。辛い事もあったし、楽しい事もあった。毎日毎日の積み重ねが今に至っているのである。22周の年輪一つ一つが大切な輪であり、その輪を終わらせてはならない。今22周目の輪に存在している私達一人一人が、神様に用いられて次の輪に繋げて行く大切な仕事をしているのだ。それぞれの生活の場は違い、毎日起こる出来事は違っていても、そこに関わって下さる神様と私達の関係によって、私達は繋がっている。そして神様によって繋がっていることによって、それぞれの場に置かれている私達が、それぞれの年輪を築きながら、神様の世界を広げて行く事ができるのである。

立野先生は、この日の週報にある「今日の福音」にこう書かれている:

神様から平等に与えられているものがあります。命と時間です。同じように与えられている時間も、質には違いがあります。同じ時間を過ごしても、ある人は苦しみの中で、ある人は喜びの中で過ごします。しかし、どちらにも神様が関わっておられ、その人にしかない年輪が出来上がっていきます。アメリカと日本は場所が違うけれど、神様から与えられた同じ時間の中で、主の来臨を待ち望んでいます。この別々の場所で生かされた年輪が共に歩む時、神様の世界は広がっていくのです。主の年輪はどこをみても神様がそこにおられることの証です。

立野先生の楽しくも力強いメッセージを今回も聞く事ができたことは私達日本語部が新たな年輪を重ねるこの時に、最もふさわしい神様からの贈り物であった。礼拝の後は、久しぶりに日本語部の礼拝に出席された方々も交えて、楽しい愛餐のひと時となった。短い自己紹介の中で、立野先生の説教を聞きながら、自分がこの教会に導かれた時はどんな時だったか、様々な思い出が胸にわき起こって来たと、感想を述べられた方もあり、私達がそれぞれに、立野先生のメッセージを通して語られた「主の年輪」をしっかりと聞く事ができた事が確信できた。

温かい食事の交わりの中で、これからもこのハンティントンビーチの地に置かれた私達の小さな群れが、ますます神様に用いられ、喜ばれる群れとして年輪を重ねて行こうという願いと祈りがこみ上げて来た。来年の11月はどのような宣教記念礼拝になるだろう? どのような将来が待ち受けていようと、毎日毎日を神様と共に歩み、確かな年輪を重ねて行ける私達でありたい。芙美Liang 記録

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