LCR Peace Journey (平和の旅)
2009年の2月から計画を立て始めたLCR平和の旅が、今年2010年6月に実現した。航空会社から始まって宿泊のホテルは勿論の事、日本での目的を達成する為に時間をかけて細かく計画を立てて行った。日本と連絡を取り合っている時や、様々な問題に直面したときは、このプロジェクトは何時まで続くのだろうかと思ったが、全ての旅行が終了した今、あっと言う間だったと、感慨無量である。
去年の10月までLCR日本語部の牧師を務められた伊藤文雄先生の計らいで、2007年と2008年の2年連続して、日本福音ルーテル教会事務局長の立野泰博牧師に来ていただき、LCR日本語部の特別伝道ゲストスピーカーをお願いした。当時立野牧師は広島ルーテル教会で牧会をされていた。2度目の訪米の際、LCR(復活ルーテル教会)と広島ルーテル教会が今後姉妹教会として交流を始めてはどうかと提案させていただいた所、立野先生は快く受け入れて下さった。LCR主任牧師Zimmermann先生、そして伊藤牧師も喜んで同意して下さり、後にLCR役員会でも正式に承認された。その事が引き金となり、LCRユースグループのコニーに「若者を日本に連れて行かないか?」と話してみた。ユース(青年部)とファミリーのディレクターを務めるコニーは、「今年はもう無理だけれど、来年に向けての計画ならば実現できるかも知れない」とゴーサインを出してくれた。立野牧師は既に市ヶ谷の日本福音ルーテル教会事務局長の職務に就かれていたので、直ぐにJELCに連絡をとり、総会議長の渡邊先生、シカゴELCA本部 Global Mission担当の石田先生及び私達教区の教区長Bishop Finckにも正式に計画表を送った。また、10月に日本に帰国された伊藤牧師とも連絡をとりながら、着々と計画を進めて行った。4月にはLCR教会員に呼びかけ、参加者の募集を始めた。6月には22名の応募者があった。毎年8月に行われるVBS(Vacation Bible Study 夏期聖書学校)では毎年子供達が募金を集める。今年は来年度の広島平和旅行を目指し、佐々木貞子さんの千羽鶴の話を紹介し、子供達ができる平和運動への募金を呼びかけた。そして広島教会がモスクワのナタリア医師と共に、ロシア・チェルノブイリで被爆した子供達の治療の為に設置した団体「Heart of Child」に募金をする事に決定した。総額$1,600が集まった。子供達には、日本語部の皆さんが作った千羽鶴と共に、この募金を広島に届ける事を約束した。
何回もミーティングをし、準備に準備を重ね、いよいよ出発の日が来た。20名全員LAXに11時15分に集合し、シンガポール航空のカウンターでクループチェックインを済ませた後、いよいよ出発である。機上ではそれぞれに11時間を過ごし、無事成田国際空港に到着。税関を出て外にでると、懐かしい伊藤先生と立野先生が出迎えて下さった。その場で両替を済ませた。JRパスは成田で交換する予定が、飛行機の到着が遅れた為に窓口が閉まってしまい、明日に廻す事にする。シャトルバスでホテルヒルトンに到着、チェックインを済ませ、おやすみなさい、とそれぞれに部屋に分かれて行った。明日の朝は10時にロビー集合だ。
第一日目:10時にロビーに集合。既に立野先生と伊藤先生がロビーで待っていて下さった。全員LCRのTシャツを来てこれから東京ルーテル教会へと向かう。シャトルバスが行ってしまったので、歩いて新宿JR駅へと向かう。そこから新大久保の東京ルーテル教会は総武線に乗って直ぐである。教会の前に大学生のように見える関口牧師が立って皆さんを出迎えていた。この日は丁度、崩壊した元東京教会に取り付けられていたステンドグラスを再び新しくなったこの教会に戻す記念展でもあった。東京ルーテル教会にとって歴史的なこの喜びを私達が共に分かち合えたのは幸いであった。礼拝の後、私達が皆さんに紹介され、コニーの挨拶に続いてLCRのTシャツを関口牧師に進呈し、皆さんには遥々アメリカから担いで来たキャンディーの袋詰めをプレゼントした。解散前に全員で写真を撮った。前任の伊藤先生、今回お世話して下さっているJELC事務局長の立野先生、そして2006年までLCR日本語部にいらした田中牧師ご夫妻も一緒に合同写真に参加していただいた。良い記念である。礼拝の後、青年部のボランティアによって2−3組に分かれた私達は、それぞれに東京の町へと観光に繰り出した。私は伊藤、立野、両牧師と一緒に新宿のみどりの窓口へと急ぎ、そこで20人分のJRパスを2時間かけて交換の手続きをし、22日からの京都、広島行きの新幹線の予約を全て滞りなく終わらせた。狭いみどりの窓口Officeで待たされながら、20人全員が並んだらどれほど大変だっただろうと想像し、冷や汗が出た。夜は全員が市ヶ谷センターに集合した。そこで立野先生や伊藤先生が東京教区長の大柴先生のご協力も得て準備して下さった御弁当、飲み物、果物、そして伊藤靖子牧師婦人のお手製ケーキをおいしくいただいた。解散前にコニーがその日のDevotionを行った。皆第一目の日本を満喫したようすでホテルへ帰った。 明日の朝は8時15分ロビー集合だ。
二日目:この日は午前中に東京観光が入っている。8時15分に全員が集合し、胸にスティッカーを貼る。Tokyo Morning Tourと印刷されたスティッカーを全員が貼ってバスに乗る。あいにくの小雨だったが、東京タワー、明治神宮、御所、銀座と回り、銀座で解散する。伊藤先生が出迎えて下さり、そこから本郷の学生センターへと向かう。すでに12時を回っていたので、通りがかりの「木村屋本店」によってパンを買い、暫し「腹の足し」にした。本郷教会では、学生センターの安井先生が何人かの方と出迎えて下さった。東京大学の真向かいにあるこの教会には、毎週50名の学生が集まるそうだ。机の上に沢山並べられた素晴しい折り紙の傑作は私達の為に準備して下さった。安井牧師のお話しの後、遅いお昼を東京大学の学食で済ませ、そこからホテルに戻る組と、浅草に行く組に分かれた。浅草組は伊藤先生が案内して下さった。浅草で買い物を楽しんだ後、疲れてホテルに直行するつもりだったのだが、そのまま新宿のデパ地下に行く。そこで簡単な夕食を買ってホテルに戻ると、丁度「これから町に繰り出す組」に出会う。「Have a good time!」と手を振って、私は部屋に入って足を椅子に投げ出した。明日はいよいよ京都だ。
三日目:11時33分の新幹線で京都に向かう。先ず10時にロビーで集合した私達は、ホテルのシャトルバスにスーツケース共々乗り込む。他のホテル客に申し訳ないとは思ったが、この際仕方がない、20人同時に乗り込ませてもらった。新宿駅の中をガラガラとスーツケースを引いた20名が一列になって改札を通る有様は何とも絵になる。問題なくJRパスを見せて改札を通り抜け、中央線に乗って東京駅に無事到着。なんと早く着いてしまったので、皆スーツケースをホームに置いて、ランチを探しに行く。新幹線の中でランチを済ませ、京都到着。 駅前からタクシーに乗る。3—4人一組でタクシーに乗り込み、京都烏丸ホテルに向かう。20名を誘導するのも容易ではない、何しろ私だけが日本語を話すわけだから、各タクシーの運転手に説明し、お願いし、私は最後のタクシーに乗り込んだ。大変な騒ぎだ。よかったことに、この烏丸ホテルは四条にあり、自分達で歩き回っても決して迷う事はない。チェックイン後、5時にロビーに集まり、京都のスペシャルナイトに参加するグループを祇園まで送って行く。タクシーで行く人達の為にタクシーの手配をし、あとは全員が歩いて祇園へ。鴨川を越えると古い京都がそのまま目の前に現れる。歌舞伎座も町並みも風情があって良い。スペシャルナイト組を送り届け、残りの「ぶらつき組」は祇園をぶらつきホテルに戻る途中のおそばやで夕食を済ませる。近くのお店でアイスクリームを楽しみ、ホテルに戻ったら丁度スペシャルナイト組が帰って来た所だった。それぞれに京都の第一日を楽しんだ。明朝8時10分ロビー集合。
四日目:京都一日観光の日だ。昨日のスペシャルナイトを担当した同じガイドさんが今日も私達の担当だ。生まれた時から京都にいる彼女の巧みなガイドで一日名所を回る。金閣寺から始まって最後は清水寺で終わったが、8時半から6時まで、びっしりの京都観光を満喫してホテルに戻った。コニーが若者達を連れて夕食に繰り出してくれた。私はもうその気力も無い。青年達が食べ放題のしゃぶしゃぶを喜んで終わりを知らずに食べたと次の朝報告があった。
五日目:京都から広島に向かう。新幹線は新神戸で乗り換えるが、プラットフォームを換えなくて良いと解り一安心。この日の朝早く朝市で買ったあれやこれやを袋に積め新幹線に乗りこむ。皆さんだんだん慣れて来たようで、座る場所もすぐに見つけて、スーツケースも若者達が上に上げてくれる。この旅行の始めに、若者達と年配者達が混合しているこのグループは、結構難しいかも知れないと思っていた私は、目の前で若者達が年配のメンバーを喜んで助けている姿をみて、神様の素敵な計らいに心から感謝。広島に到着すると、駅に立野先生の長女、華美さんと広島ルーテル教会のメンバーで保育園にも勤めている陽子さんが迎えに来てくれていた。市電よりもバスでアステールプラザに行くほうが良いという事。二班に分けなくてはならないかと思ったが、広島駅始発のバスだったので、20名とそのスーツケース、そして華美さんと陽子さんもどうにか乗り込む。他の乗客にじろじろ見られてもしかたない。運転手さんが気をきかせて真ん中のドアを開けて降ろしてくれた。何時ものように、バスの前ドアから一人一人スーツケースを引きずって下りていたら何時までかかることやら。そして無事アステールプラザ到着。フロントのお二人は何度もメールでやり取りをしていたので、初対面とは思えないのが嬉しかった。それぞれの部屋にチェックインしてから、5時に7階の研修室で広島ルーテル教会の鷲見牧師と役員の何人かと対面する事になっていた。西田さんの通訳で鷲見先生並び役員のかたが自己紹介をされた。私達も自己紹介をし、その後コニーが今日のDevotionを始めた。広島教会の皆さんもそれに参加し、平和への思いをそれぞれが語った。私達は、広島教会の皆さんの証しに感動した。佐々木さんは、両親が亡くなった後、仏教だったので毎月お坊さんを雇って供養をしていたが、自分に何かあった時、誰も優しくしてくれなかったが、友達が教会に連れて行ってくれた時、そこの牧師がとても親身になってくれた。それがクリスチャンになる始まりだったと証をされた。そして原爆の被害者かどうか、その事を語りたがらないので、亡くなった後に解る事が多いことなど、私達にはとても想像がつかない貴重なお話を伺った。皆さんのお話を伺った後、感想としてクリスが話した事も印象的だった:「アメリカでクリスチャンであることは、親の代からとか、自然にそうなっている事がほとんどだから、取り立てて考えた事もないが、今皆さんの話をきくと、日本ではクリスチャンになることは“GIFT”であり、自分たちのような “GIVEN”とは違う新鮮さがある。」と彼は語った。夜は東京から着いたばかりの立野先生と合流し、居酒屋へ行く。立野先生は広島で12年間牧会をされていた間、いろいろな交わりがあったのだろう、とにかく顔が広い。居酒屋でおいしい第一夜の食事を済ませ、ホテルへ帰る。夜から雨となった。
六日目:朝9時に研修室に集合し、Devotionの時が持たれた。立野先生から今日のツアー内容が書かれた資料を昨日いただいた私は、今朝早くそれに目を通しながら、既に涙が出て仕方が無かった。始めのページに赤インクで書かれている言葉に先ず目が止まった:ゆるすこと あいすること そして希望を! と書いてある。立野先生が12年間広島に過ごし、見えて来た彼の「ヒロシマ」、そして真の平和を伝えたいと願う強い思いがこの30ページに書かれてある一言一言から感じられた。9時のDevotionの前にコニーに今日のスケジュールを説明しながら、立野先生のガイドブックを既に読んで感極まった事を打ち明けた。彼女は即、「今朝のDevotionはそれにしよう。」と決め、立野先生にもお話をしていただく事になった。
20名全員が真剣に聞いた。これから平和資料館、平和公園、佐々木貞子さんの像、本川小学校、原爆ドーム、原爆が実際に落ちた場所である島外科、相生橋、原爆供養塔、朝鮮人供養塔と回って行く前に、先生はご自分の信念である「被害のみを語ることでは平和はつくり出せない」事を力説された。アステールプラザを出発する時にぱらついていた雨が、平和資料館に着く頃にはかなりの雨になっていた。1時間半資料館を見学し、それぞれがいろいろな感想を抱いたまま雨の中を平和公園の中を歩いた。平和資料館から直線でドームが見える慰霊牌の前で止まる。ここにある石の棺には、原爆被害者で名前の解っている方の名簿が入っているという。「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」と碑に彫ってあった。佐々木貞子の像まで来た。アメリカから各自袋に入れて持って来た千羽鶴の房を取り出す。一房50の鶴が繋げられているから、20人で千羽になる。去年の8月に子供達とした約束を今ようやく果たせる。VBSの子供達集めた募金と、日本語部の有志が作成し、平和祈祷礼拝の際教会に飾った千羽鶴を私達20名が広島の地に持って来たのである。雨が降り続ける中、佐々木貞子の像の前で皆が鶴を手に取って記念撮影をした時は、LCR全員の平和の祈りをこの地に運んで来る事ができた幸いを神様に深く感謝した。千羽鶴の献納を終え、LCRの名前を記入し、メッセージの箇所には、コロサイの信徒への手紙3章15節から:「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。」と書いた。この聖句は、始めに平和旅行を企画した時、コニーが聖書を開いたとたんに飛び込んで来た聖句であり、今回のテーマ聖句である。私達が毎日持ち歩いているDevotionの表紙にも、Peace Journey to Japan 2010と書いてある下に、“Let the Peace of Christ rule in your hearts, since as members of one body you were called to Peace.”と書かれている。このあと私達は本川小学校へと歩いた。この小学校の校庭で多くの死体を燃やした為に、いまでも掘れば骨が出て来るという。この学校の地下は当時捕虜収容所であり、7名のアメリカ兵と2名のドイツ神父がいたそうだ。原爆投下後、2名のアメリカ兵が生き延びたが地下牢から出て来たとき、それを見つけた日本人達が相生橋の欄干にくくりつけて殴り殺されたという。その話を聞いた後、一人のLCR参加者で大学生のZがこう言った。「もし自分がその時の日本人だったら、原爆を落としたのがアメリカ人だからアメリカ人をみたら憎くて同じ事をしたと思う。」と感想を述べた。確かに戦争を知らない私達には解らないことが沢山ある。戦争で死んだ人達は普通に生活をしている市民だった。広島でその朝「行って来まーす。」と出て行った学生達だったのだ。そして殺された捕虜のアメリカ人が原爆を投下したのではないし、彼らも戦争の被害者だということに違いはない。皆戦争はいけない、非道だということは頭でよく理解できている、しかし、本当に私達は何を解っているのだろうか?解っていたら戦争の無い平和な世の中になっているはずだとおもうのだが。そこから私達は原爆投下の真下にある島外科を通り、原爆投下地点であった相生橋のT字の箇所を通り、本来はこの場に落ちるはずだったが風があった為に投下地点が少しずれたことなどの説明を聞きながら、原爆供養塔へと歩き続けた。雨は酷くなるばかりだった。
お椀を伏せたような小さな丘が原爆供養塔だった。ここには何万という名前の解らない遺骨が納められている。多くの強制労働を強いられていた朝鮮人や中国人、モンゴル人、そして捕虜のアメリカ人ドイツ人も皆差別無くここに眠っている。そしてその側には、やっと平和公園内に移された韓国・朝鮮人慰霊牌がある。韓国の方に顔を向けている亀の像が背負っているその牌には、韓国の人々の平和への願が刻まれている。全ての怨みと憎しみを忘れて安らかに眠って下さい、このような悲劇の種を蒔く者も受ける者もないように、皆が助け合い親しく仲良く暮らすことができるように見守って下さい、と記されている。まさに相手を赦す事によって始めて得られる平和をそこに見ることが出来たと思った。そこから私達は雨の中を歩いて広島ルーテル保育園へと向かった。立野先生が「歩いて10分ですよ」と言われたので安心して歩き始めた私達だがいつまでたっても「あと10分です」で、本当に到着した時には雨の中を30分以上も歩いた為に、全員びしょぬれだった。でも、私達を待っていてくれた4歳児と5歳児の子供達の笑顔に迎えられ、びしょぬれな事等すぐに忘れてしまった。なんとも可愛い子供達がお歌を披露してくれ、手作りの折り鶴を一人一人にプレゼントしてくれた。その後剣玉の披露もあり、私達に教えてくれたりして、和やかに楽しいひと時を送った。雨はひどくなる一方なので、タクシーでアステールプラザまで帰った。この夜は立野先生がお好み焼きをごちそうして下さる事になっていた。 おいしいお好み焼きに皆さん感激したのは勿論の事、その場に同席された橋本さんは、毎朝4時に起きて、原爆供養塔の回りを清掃されている事を聞き、感動した。そこに彼の両親が眠っていると信じて、毎朝通ってそこを守っているそうだ。ここにも平和への強い願が感じられる。私達は、橋本さんが書かれた水彩画の絵葉書を記念にいただいた。大切にしたい。その夜は疲れて直ぐに眠りについた。明日は宮島観光だ。天気が良いといいのだが.....
七日目:大雨。宮島観光は大雨に関係なく続行した。広島駅までバスで、そこからJRで宮島のフェリーがある駅まで、そしてフェリーで宮島へ。宮島に着いても大雨。皆傘をさして歩くので何も見えない。残念。この日は立野先生の他、華美ちゃん、陽子ちゃん、そして華美ちゃんの双子のお友達春菜ちゃんと若菜ちゃんもガイドで来てくれた。厳島神社の後、それぞれのグループが別々に行動する事になったのだが、なんとも雨が降っているのでどうにもならず、結局メインは「牡蠣」料理で、その後はお土産屋をみて3時にはフェリー場に集合となった。この夜は立野先生の知り合いで「豆匠」という有名な豆腐料理に行った。雨なのだが、お庭がとても奇麗で、日本の首相が良くここに来られたという理由が理解できる。皆さん多分一生二度と見る事はないだろう豆腐料理が次から次に出て来るのを心行くまで楽しみ、お座敷での記念撮影もしっかりと終えた。楽しい雨の一日だった。
八日目:荷造りを終え、チェックインを済ませ、帰り支度をして広島ルーテル教会の主日礼拝に出席した。佐々木さんを始め、立野牧師婦人や広島ルーテル教会の有志の方が車でスーツケースを教会まで運び、私達の移動もして下さった。お陰で全員歩く事無く広島教会に到着。偶然にもシカゴのGlobal Mission担当の石田先生もシカゴに帰る前にこの教会に来られたので共に礼拝に出席する事ができた。礼拝の後、婦人部の心温まるお昼をいただいた。おいしいカレーをお腹いっぱいいただいた後。広島ルーテル教会メンバーでもある茶道の先生が、生徒さん達と一緒にお手前をご披露して下さった。そして私達も一人一人茶道の体験をさせていただいた。何よりもの土産話である。広島ルーテル教会の皆様と、楽しく交流できたことは本当にありがたかった。前任牧師の立野先生が市ヶ谷センターに事務局長として行かれた後、鷲見牧師が牧会をされている。立野先生とちがって、個人的に馴染みの無いLCRの私達を快く迎い入れて下さったことに心からお礼を述べた。そして私達は新幹線で東京に帰るべく、広島駅へと急いだ。何度も広島に行った事がある私に取っても、今回の広島は一生忘れる事がないだろう。
九日目:朝6時にロビー集合。皆さん昨晩は遅くホテルヒルトンに到着したにもかかわらず、しっかり6時に集まってくれた。歩いて大江戸線に乗り築地市場へ。改札で私の従姉妹と待ち合わせをしていた。彼女が築地市場内に案内してくれるコネをつけてくれたのだ。築地市場内でマグロの解体や、珍しい魚を沢山見学したあと、寿司三昧でおいしいお寿司を食べ、買い物をしてからホテルに戻る。この後はそれぞれ自由行動。秋葉原へ行くひと達もいれば、デパートをぶらつくひと達もいる。皆さんそれぞれに「勝手知ったる新宿」とまでは行かなくても、自分でホテルヒルトンまではどうにか帰れるようになっている。この日は最後の日なので、最後のDevotionを6時にロビーに集合してする事になった。立野先生も広島からすでに東京に戻って来ていて、6時に伊藤先生と共にホテルヒルトンのロビーに来ていた。明日アメリカに帰る組が14名、日本に残る組が5名、サイパンに朝一番で発つ人が1名、日本滞在最後の集合だ。全員異口同音に伊藤、立野両牧師に心からお礼の言葉を述べた。そしてこの旅行で得た掛け替えのない体験をお互いに分かち合った。 夕食は地下街で簡単に済ませるという事で、近くに有名な丸亀製麺があるという事を聞いていたので、それを立野先生に話すと早速場所を調べてくれた。「歩いてすぐですよ」と言われ、それを信じた私達は、再び永遠に歩き、やっとたどり着いた時にはもう皆おなかがペコペコ、ところがそこは既に長い列ができていて、皆ただ黙々と列に並んで順番を待った。さすがにおいしかった。
最終日: 14名が2時5分のシャトルで成田に向かう。コニー達は友人が迎えに来て11時半にホテルを出る。皆さんチェックアウトは12時なので、11時半頃からロビーに集まっている。先ずはコニー家族が手を振って別れを告げホテルを出た。私は14名がバスに乗るのを見届ける為に午後まで残ってから弟の家に行く予定になっていた。2時5分のバスに乗る前、一人一人とハグをし、挨拶を交わしながらこの十日間の平和旅行が、これで終わる事無いようにと願った。今から私達20名の使命が始まる。今回の忘れられない体験と、キリストにあって得られる真の平和を忘れずに、「ゆるすこと あいすこと、そして希望を!」の信念を、私達が世界中にまき散らさなければ、と心から祈った私である。
戦争は世界各地でまだ行われている。毎日の生活の中にも、人を赦せない事が多々起こる。そんな時に、私達はキリストに戻り、キリストの助けによって人を赦す心を得る事ができる。全能の神様、私達が家族を、友人を、他人を、他国の人を、神様が生命を与えた全ての人々を大切にできるように、どうぞ神様私達の心に、あなただけが与えられる平和をもたらして下さい。アーメン。 2010年7月8日 芙美Liang 記録