October 31st, 2013

2013年10月31日 詩編を読もう: (続詩編84) 牧師:安達均

詩編を読もう, by admin1.

先週は詩編84編1-8節を読んだ。今週はその続きで84編の9節から13節を読もう。たった5節なので、3回は読んでみよう。 また、先週の84編1-8節も再度読むのも良いと思う。そして先週と同じように、この詩編を窓のように読む場合と鏡のように読む場合で、それぞれ光景を思い浮かべてみよう。 
詩編 / 84編
9:万軍の神、主よ、わたしの祈りを聞いてください。ヤコブの神よ、耳を傾けてください。〔セラ
10:神よ、わたしたちが盾とする人を御覧になり/あなたが油注がれた人を顧みてください。
11:あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。主に逆らう者の天幕で長らえるよりは/わたしの神の家の門口に立っているのを選びます。
12:主は太陽、盾。神は恵み、栄光。完全な道を歩く人に主は与え/良いものを拒もうとはなさいません。
13:万軍の主よ、あなたに依り頼む人は/いかに幸いなことでしょう。

さて、皆さんは、この詩編を「窓」として読んだ時、どんな光景を思い浮かべられただろうか? また「鏡」のように現代の光景をも映しているだろうか? 今週も先週に引き続いて私が思いを巡らせたことを書き留めたい。

「窓」として読んだ時? 「エルサレムに上る決意」
先週の8節までを読んだ限りでは、詩編作者自身は、まだ神殿のあるエルサレムに上って行く決断をしていなかったように思う。しかし、この詩編の後半では、詩編作者自身も、その仲間たちとともにエルサレムに上って行く決意をしているように見える。 それは9節、10節の祈りの言葉からわかる。 9節では主なる神への呼びかけが詠われており、10節には、エルサレムへの旅の途中で遭遇すると思われる困難や危険に対しても、私たちを守ってくださる方、つまり救い主(ヘブライ語で「油注がれた人」とはメサイア、救い主を指す。ここで詠われたメサイアについてこの記事の最後に記したい。)がいっしょについているので、その方を神がしっかりと、ご自身が油注いだ救い主として認めて、私たちが旅の途中に守られるようにと祈っているように思える。11節では神殿の庭で過ごす一日は、神殿から離れたところでいただける恵みに比べて千倍の恵みにも相当する。 それは、当時、エルサレムから遠く離れて詩編作者が生活していた土地では、神を崇拝しない人々との暮らしであり、耐え難い暮らしだったのだろう。そして12節では主なる神を賛美し、そして神殿のあるエルサレムへ向かうことが正しい道を歩くことであり、その道を歩く人々に豊かな恵みを与えてくださると詠う。そして13節で、主に信頼して生きることこそ、幸せなことと詠って、この詩編は終わる。

「鏡」として読む時?「教会を離れた方々が教会に戻る決意」
先週は、復活ルーテル教会で毎週礼拝に参加していたが、引越しやあるいは病等のなんらかの理由で、毎週の礼拝に来られなくなった方々のことを覚えると書いた。今週は、もっと広い意味で、復活ルーテル教会に限らず、なんらかのキリスト教会との接点があったのに、真のキリストの教えから遠ざかってしまっている方々のことを覚えている。 それは、幼稚園でも小学校時代でも、なんらかのキリスト教会の催しに来た時でも、礼拝堂に入って天井との空間に驚いたり、オルガンの響きや聖歌隊の讃美歌を聴いた時でも、なんらかの神との接点が起こった時のことを憶えている方。そのような方々が、また教会に戻って来ようという決意をしていることを覚える。 ただ、一人では戻ることは難しく、家族や友人たちと、もし、そのような身近な方がいない場合でも、最も強力な友である、イエスキリストというお方、聖霊、と共に礼拝堂に戻って来ることができる。 そして毎週、礼拝に集う生活がどんなにか素晴らしく幸せであるかと気がつき、讃美歌を日々歌う生活をするようになる。 
上記、「窓」として読むときの内容で、メサイアのことを書いた。詩編作者が生きていた時代は、イエス降誕以前なので、メサイアは世の中に登場していない。またイエスをメサイアとするのはキリスト教であり、現代のユダヤ教では、今でもメサイアは登場していない。それでも、詩編作者が、「あなたが油注がれた人を顧てください」と詠っているのは興味深い。ダビデの子孫のだれかを指して詠っているのか、あるいは、メサイアの登場を預言して詠っているのかとも思う。詩編作者がこの詩を詠った当時の明確なことはわからない。比較的短い詩編84編を二週間に渡って読んだ結果、21世紀の今という時代にあって、2000年前にキリストが到来したのは歴史的事実でも、それを認めずにキリストから目を背けて暮らしている方々に、大きな変化の時期が訪れていると考えさせられた詩編だった。本日10月31日はハローウィンかつ宗教化改革記念日である。この時期にふさわしい詩編だと思う。この詩編を本日読むように導かれたことに感謝し、礼拝に来ようとしている方々がいることを確信し、その道が守られるように祈る。  

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