2ヶ月頃前の信徒会で芙美さんが「民さんに食事係りの責任とカレーをお願いします」と言った時には芙美さんは気が確かだろうかと思った。うまいカレーとは芙美さんのビーフカレー、林愛子さんの南瓜カレー、深見さんのナスカレーと並べられるが私のカレーは多分、私が健康の為にとツメリック、シナモン、キュミン、ショウガなどを余計に入れるから「おいしい」と言う人は少ないのである。 しかしいつもジョナと鯨の話を思い出して寄付金とビュウテイーコンテスト以外は頼まれたことは断らない事にしているから、文句なしで引き受けた。
1ヶ月前に芙美さんと共にたけださんと会って寿司の注文を話し合った。
7月25日、祭りの5日前だからまた芙美さんと共にたけださんと会って寿司を正式に注文した。その時にカレーの話を持ち出すと親切なたけださんはレストラン用のカレーのルーを原価でゆづって下さった。(感謝)私は述べたように余計なスパイスを加えて味を変えるクセがあるから10歳の孫のジャックからも娘からも『レシピのに通りに従うとちゃんとできるのよ』と言い聴かされているのを思い出して、今回は日本部伝道の名にかかわるという責任感を感じてカレールーの袋の指導通りに従う事にした。
7月28日、 買い物の日、行き慣れている中近東の店アルテイバットで玉ねぎを20ポンド(9kg)買う。次にスマート&ファイナルでカレーに使う皿とチキンを15ポンド買った。それとチキン5ポンドの寄付で合計20ポンド。
7月30日(祭り当日〕
大きい鍋と包丁、玉ねぎチキン、そして「祭りを是非見たい」と言う孫娘を乗せて教会へ11時前に着いた。芙美さん、岸野先生、その他多くの人たちが朝早くから来て飾りの準備をしている。私の鍋と林愛子さん寄付の鍋には50人分づつ出来る事が解った。台所で見つけた鍋は小さめで2/3しか出来ない。後で水を足す事にした。そして玉ねぎを切ることを始める。乾いた玉ねぎ皮は切り難いものである。自宅から包丁と包丁砥ぎを持参してよかった。山ほどの玉ねぎを見て切り出すとジュリアチャイルドがコードンブルーに入学して最初の数日は玉ねぎだけを切らされている事を思い出した。そう思うと大して苦労とは思えずに巨大なボールをそばに置いて切っていった。ジニー下西さんが加わり手伝おうとするのだが切れる包丁が無くて玉ねぎが切れない。日本部の台所に岸野先生が行って包丁を持ってこられたがそれも切れない。しばらく砥いでどうにか切れるようになった。日本の包丁に慣れている身には西洋の包丁は切れなくて歯がゆいと言える。幸いに玉ねぎはあまり涙を誘わなくて助かった。ジニーは玉ねぎに敏感らしいがコンタクトレンズで救われたようだが、後半には諦める事となった。この時点で志垣さんが助けとして加わられた。巨大なボール3つの刻んだ玉ねぎをソテーして鍋に入れると、鍋は玉ねぎでがっしり満ちてしまった。『果てこれは間違いだろうか、これでは肉が入る隙間も、汁となる水分も無い』と内心パニックに襲われて、玉ねぎを取り出そうとも思ったが、しばらく煮込んで様子を見る事にした。3時半ごろにはチキンを入れて煮えたのを確かめた。そして4時5分ほど前にルーを入れたが、ルーが溶けるようにかき回すとチキンが崩れる事が解り、ルーは別鍋で溶かしてから加える事にした。
4時、祭り開始
一皿サンプルを作り寿司と同じテーブルに置いた。
出だしは割りとゆっくりとしていて「果たして売れるのだろうか?」と思った。人が並び出したのはゆうかりコーラスは始まった頃である。セールスの助けの白井さんはコーラスで席をはずしている。そんなときに人の列はだんだんと長くなってきた。「カレー一つお願いします。2つお願いします。4つお願いします」と台所に叫ぶと志垣さんが盛り付けをして、盆に載せたカレーをお客様に渡す。ジェインとバートが受け持ちのレジでお客様はお金を払う。そうしているうちに23合炊いた釜の底が見えてきた。もう一つ23合炊いてあるが、もう一釜炊くべきではないかと思うのだが、お米は日本部の倉庫にあるので、長い列を作っているお客様を放って売り場を去るわけには行かない。丁度芙美さんが通り過ぎたが、芙美さんも忙しい。見回すとボランテイァは皆超急がし….なのだ。
それで、『仕方が無い、ご飯が終ったら、売り切れにしよう』と言う事になった。
日本部の毎週の出席は20人前後、その中でボランテイァとして体が動けるのは10人以下と言えるだろう。日本部主催のジャパンフェッステイバルと言ってもFTFの協力やユースグループの協力、会員の家族、友人のボランテイァがあってこそ可能となったので、この10人以下の日本部の会員は皆それぞれの役目で精一杯で余分な人は何処にもいない。また広子さんのように病気の看護で日本へ行き、デイビッドのように急にスイス行きと決まり、少ない上に更に少なくなった当日である。と言うわけでカレーのセールは2釜分のご飯が終ったら売り切れとする事となった。
当日午後7時。バーコーホールでこころ太鼓の人々にカレーを出す。
私の孫娘、2日後に10歳になるシャナが「カレーが欲しい」と言ってきた。私の娘、シャナの母はカレーを作るがシャナは1度も手をつけた事がない。「本当に欲しいの?」と確かめてわりと大きい量を盛ってシャナの前においた。好き嫌いの激しいシャナがカレーを食べている。(翌日全く自主的に『カレーおいしかった』とシャナが言ったのにはビックリ)
7月31日
「カレーがおいしかった」とE-mail が入る。
8月1日
「子供夫婦と孫がカレーがおいしかった。と言うのですがコツを教えてください。」と留守電に入っている。レシピを聞くメールが来る。
VBS で通りすがりの人から「カレーがおいしかった」と白人の会員たちから声がかかる。FTFは次回はカレーの値を$5.00にしようと話したとか。
さてこう書いてみると自分のカレーの自慢話と誤解されるかもしれないが、そのつもりで書いたのではない。最初に述べたように私個人のカレーは評判にならない。このジャパンフェステイバルのカレーには神が台所に来て小指を差し込んで味付けをされたに違いないと信じるから書いたのである。(民 Day)