Tweet 2017年6月24日(日) マタイ10:24-39 今一度読んでどんな気持ちだろうか? 39節にある、「わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」と言われて、世に伝道の業のために派遣された弟子たちを覚えたい。特にイエスの復活・昇天後に、力強い聖霊の働きの中で、初代教会群を立てていった弟子たちのうち10人の弟子は殉教したと伝えられている。 2017年06月26日(火) ヨハネ黙示録 2:8-11 黙示録の1章ー2章には、7つの初代教会へ宛てた手紙が記されている。どの教会も問題を抱えていた。与えられた箇所はスミルナ(現在トルコのイズミルという都市)にあった教会。貧困と激しい迫害があったと思われる。しかし、11節「耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者は、決して第二の死から害を受けることはない。」とある。 では第一の死とは何なのか? 父と子と洗礼の名によって受けた洗礼における死と復活なのだろう。 2017年6月29日(木) エレミヤ25:1-7 エレミヤが伝えているイスラエルの実状は、預言者に従わない民の存在。実際には偽預言者も出現していた(例として金曜に与えられたエレミや28章に出てくるハナンヤ)ので、預言者を受け入れられなかった人々もあったのだろう。 2017年7月2日(日) マタイ10:40-42 イエスが派遣した者とは、社会的には迫害を受ける者であり、そして、その派遣したものを受け入れるものも、同じく迫害を受けることになるかもしれないことを覚えることは大切なのかと思う。現代においても、キリスト者となることが、死にものぐるいのような、厳しい状況を味わうことになる覚悟を。しかし、それでも天の父が報いてくださるものは、この上なく豊かな恵みなのだ。厳しい状況の中でも、うれしくなってしまう喜び、希望が見えてくる。 日曜の礼拝に集まる会衆に、喜び・希望が湧いてきますように! 独立記念日を覚え、主にある自由が絶えませんように! Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace