Archive for December, 2017

Tweet 午前8時半「わたしたちの望み」ーーー>2017-12-24-Jpn Our Hope 午後4時キャンドルライトサーブス説教「すべてお任せ」ーーー>2017 12 24 Jpn Perfect Submission 4PM Candlelight Service “Perfect Submission” ーーー>2017-12-24-Eng-Perfect-Submission Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

December 22nd, 2017

今週の聖書観想

No Comments, 聖書観想, by admin1.

Tweet 2017年12月17日(日) ヨハネ1:6-8, 19-28 日本語の説教では、「私たちはヨハネと同じように、救い主でもなく、エリヤでもなく、預言者でもないのだから、ただ救い主・イエス・光を証しよう」と述べた。ヨハネがイザヤ書を引用して「私は荒れ野で叫ぶ声、主の道をまっすぐにせよ」と語っていたこととも現代の私たちに重なってくるように感じる。待降節、そして降誕節を迎える中で、現代は荒れ野にもたとえられそうだが、そこにゆたかなイエスの愛・主の光がゆたかに注がれることを感謝し喜んで証しよう! 2017年12月18日(月) エフェ6:10-17 パウロが強調していた神の武具を今一度かみしめたい。真理が帯、正義が胸当て、平和の福音を告げる準備が履物、信仰が盾、救いが兜、そして霊が剣。 2017年12月22日(金) サムエル下6:12-19 神の箱とは、契約の箱のことをいっているのだと思う。日本のおみこしとそっくりの形のもの。ここに出てくる光景は、日本の神社でおみこしをかついで「わっしょいわっしょい」といって踊っている姿とも重なってくる感じがする。最後に出てきた、輪形のパンはドーナツのようで、なつめやしと干しぶどうの菓子は、クリスマスによく食べる乾燥したフルーツだけでつくるフルーツケーキのようでもある。 2017年12月24日(日) ルカ1:26-38 おとぎ話のようでもある。しかし、そこには深い意味が神の思いによってこめられている。何十曲もアベ・マリアが作詞作曲されているという話を聞く。28節の「おめでとう、恵まれた方」が歌になっているのだろう。アべとはラテン語で、「喜べ」の意味。原語のギリシャ語聖書では「Chaire」カイレという言葉が使われており、歓呼の言葉でもある。 マリアは「結婚もしていない私に子供が生まれるなんて何事?なんで喜べるの。」と当惑する。普通に考えたらとても喜べない状況の中に、実は喜べること、福音はあるのだと感じる。 だれかが真理は矛盾に満ちているといっていた。たとえどんな社会状況が家庭事情があろうがメリークリスマス! 24日クリスマスイブは、朝8時半の礼拝、4時、6時、9時の4回の礼拝がありますが、それぞれに集まる方々に豊かな光が注がれ、新たな希望がわいてきますように! メリークリスマス!! 主の恵みと平安 安達均 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 日本語はここをクリックーーー>2017 12 17 Jpn The Light in the Darkness Revised 英語はここをクリックーーー>2017 12 17 Eng The Light in the Darkness Revised docx Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet LCR日本語部週報通算第1435号 2017年12月17日の週報 Sunday English Bulletin 1435E Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

December 16th, 2017

今週の聖書観想

No Comments, Uncategorized, by admin1.

Tweet 掲載がしばらく滞ってしまいましたが今週の聖書観想をお送りします。 2017年12月10日(日) マルコ1:1-8 あらためてマルコ一章の最初の8節を読みながら、ヨハネはイザヤが「荒れ野で叫ぶ声がする」と預言していた通りに、救い主の道を整えるために遣わされたことを覚える。ヨハネのこの世の一生はイエスと同じ位30歳位で終わるが、今も人々の中に生きていることも覚える。 2017年12月12日(火) 使徒11:1-8 割礼を受けていない、また食べ物の規定を守らない異邦人にも神の愛が注がれ、イエスの言葉を信じるようになった。キリスト教、特にルター派教会で述べ伝えているのは、律法を守ることで義と認められるのではなく、「信仰義認」とよく言われる。しかし、人々が信仰心を持ちさえすれば、という条件により義とされるのか、イエスが人々を徹底的に愛しているというイエスの信仰(faithfulness)があるから人々は義とされるでは、考え方には大きな違いがあるように思う。しかし、その違いが本当に問題なのかというと、神の愛が大きすぎて、とるにたらない問題のようにも思えてくる。  2017年12月14日(木) ハバクク2:1-5 週の後半の旧約聖書は、三日とも預言者ハバククに幻で示された神の言葉が、対話形式で与えられている。ハバククはイスラエルの民が紀元前6世紀はじめに新バビロニアに完全に征服されてしまう直前に記されたとされている。世の不義がまかり通ってしまうことについてハバククと神との対話が書かれているようだ。「遅くなっても待っておれ。それは必ず来る。遅れることはない。」待降節にあって含蓄ある言葉として響いてくる。 2017年12月17日(日) ヨハネ1:6-8, 19-28 使徒の中でも一番若かったとされるヨハネによる福音書において、洗礼者ヨハネのことが福音書の冒頭に書かれており、いったい使徒のヨハネが自分のことを言っているのか、洗礼者ヨハネのことを言っているのか紛らわしい。しかし、どちらでも良いとも思えてくる。大切なのは、ヨハネが言っているように、イエスのこと、光のこと、神の愛のことなのだから。 礼拝に出られる方々の気持ちはさまざまでも、そのひとりひとりに、全能なる神の愛が豊かに注がれる礼拝になるように、主の導きを祈りつつ。 恵みと平安 安達均 12月3日の週の聖書観想はここをクリックーーー> 2017 12 07 Reflection 11月26日の週の聖書観想はここをクリックーーー>2017 11 30 Reflection Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 日本語ここをクリックーーー>2017 12 03 Jpn A Sure Thing Cannot Be Seen 英語ここをクリックーーー>2017 12 03 Eng A Sure Thing Cannot Be Seen Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 2017 December Calendar Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 12月3日LCR日本語部週報通算第1434号 2017年12月3日の週報 Sunday English Bulletin 1434E Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet ここをクリックーーー>2017 11 26 JPN Final Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 日本語ここをクリックーーー> 2017 11 19 JPN Mysterious Talent 英語ここをクリックーーー>2017 11 19 Eng Mysterious Talent Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace