Archive for August, 2011

Tweet 週報通算#1179 (日本語) 2011 8 25W 週報通算#1179E 〔英語) Sunday English Bulletin 1179 WE               Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 日曜日の礼拝が始まる時、聖壇の蝋燭に火を点す奉仕を毎週し続けた盧さん(ローさん、と私達は呼んでいた)が入院したと聞いたのは3週間程前だった。一時体調を崩されて礼拝を休んでいたが、元気になって息子さんと一緒に礼拝に出席し、再び蝋燭に火を点してくれていたのに、と皆で心配していた。 「盧」という名前からもわかるように、盧さんは日本人ではない。私達は日本語で礼拝をしている日本語部だが、典型的な多民族(Multicultural) 教会なので、私のように日本生まれの中国人や、台湾から来られた方や、最近ではまったく日本語のわからないハワイから来たサモワンの親子も礼拝に来ていた。盧さんも韓国人でありながら、全く違和感なく日本語部の礼拝に来られていた。ご家族は韓国の教会に行かれているということで、私達は後に盧さんと一緒に来られた次男のDanさん以外の方にはお会いした事がなかった。盧さんの病院がわかり、岸野先生が何度か病院に盧さんを訪ね、ご家族の皆さんとも話す機会が与えられたことは幸いであった。8月14日の日曜日の礼拝に突然盧さんの奥様が見えた。礼拝が始まって少し経ってから入って来られたので、どなたかわからなかったが、その日受付だった愛子さんが、「盧さんの奥様が来られています」と聖餐式が始まる時に教えてくれたので、即岸野先生に伝えた。岸野先生は礼拝の後、皆さんに盧さんの奥様、エスターさんを紹介された。エスターさんは日本語が解らないけれど、皆さんの親切にお礼を述べたくて来ました、と頭を下げられた。そして数日後岸野先生と大橋さんが盧さんをお見舞いに行った際、病院から出てくるエスターさんと偶然に会い、盧さんが病院からホームに移ったという事を聞いた。そして後日ホームの方にお見舞いに行きますと話したばかりなのに、盧さんはその日天に召された。8月18日の夜か、19日の未明だったそうだ。あっけなく逝ってしまった。 メモリアルサービスを即行いたいという家族の依頼を受け、8月22日の月曜日、午後12時から、先ずは日本語のメモリアルサービスをし、その後韓国語で行うという事が岸野先生とご家族の中で話し合われた。盧さんがイベントの度に皆さんの写真を撮っていたのを覚えているが、盧さんの写真は見た事がない。私はメモリアルサービスのプログラムに盧さんの写真を載せたくて、2年程前に教会の住所録を写真入りで作成したのを思い出した。その写真をカメラで写して愛子さんにも送った。9月25日に行われる召天者記念礼拝の時にもこの写真を使いたかったので、愛子さんに印刷してもらうためである。土曜日の夜遅く、メモリアルサービスの原稿を受け取った私は、どうにか日曜日の朝早く教会に行ってプログラムを完成したいと考えた。Publisherというプログラムを持っている愛子さんに、真夜中で申し訳ないとは思いつつ、とにかく岸野先生から原稿をそのプログラムに入れて教会のコンピューターに送るように依頼した。日曜日の朝、8時半からプログラムの作成をし、10時半には讃美歌の折り込みもきちんと入って、全ての準備が整った。一安心である。盧さんのメモリアルサービスはきっと盧さんが喜んでくれる素晴らしい礼拝になると思った。 月曜日の朝、10時過ぎに教会に着いたが、お花はまだ届いていないようだ。11時までに届かなければ電話しなくては、と思っていると民さんが来た。忙しくなる前に何か食べてこようと二人で簡単な食事にでかけ、11時過ぎに教会に戻ってみると、祥子さん、安松さん、愛子さん、小夜子さんがすでに来ていて、お花も届いていた。祥子さんがてきぱきと礼拝堂の入り口のテーブルに白のテーブルクロスを掛け、聖壇の前に献花用のテーブルも用意された。盧さんの写真入りのプログラムもきちんとテーブルに並べられた。 11時半には Viewingの為に盧さんのご遺体が運ばれ、ご家族の皆さんが盧さんの写真と、メモリアルサービスのサイン帳を持って来られる事になっている。11時45分頃、連絡を受けた盧さんの旧友、また日本語部のメンバーが一人一人礼拝堂に入って来られた。祥子さんとプログラムを手渡しながら、「まだご家族の方はお見えになっていませんので、サイン帳はありませんが、どうぞ中にお入り下さい」とご挨拶をし、お互いに顔を見合わせながら「どうしたんでしょう?」と首を傾げ合った。もうすぐ12時という時に、岸野先生がエスターさんの携帯に電話を入れた。誰も出ないと言う。いよいよどうにかしなくてはと思った私は、祥子さんに受付を預け、礼拝堂の中に座っている愛子さんの所に足早に行き、「愛子さん、盧さんの写真をプリントしてくれた時に、大きいサイズもプリントしたと言ってたけれど、それはまだある?」と聞くと「日本語部の机の上に置いてあるけど」と答えた。よかったー、写真があった。愛子さんが「でも額に入っていないけど」と言う、それはどうにかなる、写真さえあれば、と私は思った。実は愛子さんに写真を送った時、愛子さんは召天者用の5X6の写真と、もひとつ大きなレターサイズの写真も印刷して来てくれたのだ。ご家族の方が大きな写真を用意されるという事だったので、印刷したレターサイズの写真はそのままになっていた。礼拝堂の入り口に戻ると、ちょうど岸野先生の携帯が鳴った。教会の住所を聞かれているらしいが、どうも様子がおかしい。とにかく今やらなければと思い。日本語部のオフィスに走った。階段をものすごい勢いで駆け上り、オフィスの鍵を開け、机の上に置かれた書類の中から盧さんの写真を見つけ、オフィスの中を一回り見回して、これだと思う黒枠の額を見つけた私は、机の上に飛び乗りそれを外し、盧さんの写真をその額のガラスの上に貼った。これでメモリアルサービスが始められる!額を抱えて礼拝堂に戻ると、岸野先生の顔が全てを語っていた。私と祥子さんが心配していた通り、ご家族は葬儀場で私たちを待っていたとのことなのだ。そして韓国語の礼拝はそちらで行うらしい。私達参加者だけで、家族無しのメモリアルサービスを始めるよりほかしかたない。 何事も無かったように、私は盧さんの写真を貼った額を抱え、静かに聖壇に向かって歩いて行った。三脚に盧さんの写真を静かにのせ、聖壇の前に献花のテーブルを置き、「岸野先生、始めましょう」と落ち着いて言う。神様、どうぞ導いてください、このメモリアルサービスが盧さんを偲ぶ良い礼拝となるよう、あなたが私たちの心を整えてください、と祈りながら。 始めに盧さんへの献花をしていただく。お一人お一人に花を渡す時に涙をこらえるのが辛かった。そして礼拝が始まった。心を合わせて盧さんを思い、讃美歌を歌った。岸野先生が、盧さんがいつも蝋燭点火の奉仕をされていたこと、食事の交わりの時に、いつも悪ふざけをして、皆から「盧さんだめよ」と言われていた事、などを話した。確かにいつも盧さんは私のお皿から食べ物を取ったり、毎月最終日曜日に行うお誕生日会では、「今月のお誕生日の方、手を挙げて下さい」というと一番先に、毎月手を挙げていた。とにかく冗談がすきな盧さん、悪ふざけが好きな盧さんだった。礼拝の後は全員で盧さんの写真を囲んで記念写真を撮り、参加者の皆さんにサインをしていただいた。その後、ご家族の方が既に行かれているレストランへと、何人かが日本語部を代表して参加された。 私と祥子さんは後片付けもあるので、レストランでの集まりはご遠慮させていただいた。礼拝堂の片付けをし、私は最後に入り口の鍵をかけ、盧さんの写真の貼った額を胸に抱えて日本語部のオフィスへとゆっくりと歩いて行った。盧さんの顔を見ながら、「盧さん、最後まで悪ふざけはないよ、今日の冗談はちょっときつかったよ。」と言うと、まるで盧さんが、「私は何もしていませんよ」といつものように含み笑いをしながら私を見ているように思えた。急におかしくて、おかしくて、笑いがこみ上げて来た。盧さん、最後の最後まで私を笑わせてくれて、本当にありがとう。天国ではあまり悪ふざけはしないようにね。全く私達が計画した通りには行かなかった今日のメモリアルサービスだったが、全てが神様に守られ、全てに神様のみ力とお導きがあってこそ、行う事ができたメモリアルサービスであったことは、参加者の全てが感じたことであろう。泣いたり笑ったり、岸野先生にとっては冷や汗だった今日のメモリアルサービス、きっと誰よりも、いたずら好きの盧さんが一番喜んでくれているに違いない。 2011年 8月22日 芙美 Liang 記             Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 「転覆しない人生」 1992年、経験を積んだマイケル プラントと言う船乗りは単独で北大西洋を越えてフランスへ向かう目的でアメリカを立った。2週間目にプラントに大変な事が起こり、行方不明となった。プラントが準備万全であることを知っていた家族や友達はショックを受け、また非常な悲しみに襲われた。プラントの船には救急用のラジオを含めて最新の器械が設置されていて万が一の時には単に短い4っのシグナルを送りさえすれば彼の居場所はすぐ解り助けを得る事ができるようになっていた。 プラントは最新の連絡機能がつけてあり大海でも恐れる事が無い船を持ち、そして深い経験を積んでいるセーラーでありながら11日目に跡形一つ残さずに行方不明となってしまった。コヨテと名づけられた彼の船の捜査がはじめられた。大西洋を飛ぶ航空会社のパイロットには「助け」を求めるシグナルに注意を払ってくださいとの依頼が出された。何日も経過したが幸運は向いていないようだった。しかしコヨテはアゾレス*から450マイルも離れている所に逆様に浮かんでいるのを飛行中の航空会社の一員に見つけられた。しかしプラントの姿は見つからなかった。 捜査によると11日目にカナダとUSAで緊急の連絡を伝えるシグナルが受け取られた事が分かった。しかし正常では4っのシグナルであるべきが、短い3つであったことから無視されたのだった。もう一つ不思議なのはコヨテが逆さまで見つかったことだった。普通では、ましてわりと穏やかな海では逆さまになる事はありえなかったのである。計算以外の事は起こるものだが、造船会社は災害予防に最善を尽くしている。それには転覆予防計と言うのがあって船の幅、重さ、角度を計算して船の横幅や重さを決めるからである。 漕ぎボートと帆船とはどう違うか知らないが、一般知識としては、転覆しないためには船の水面下の重さが水面上より大きくなければならない。プラントの船には転覆予防に8000ポンドの重みが付けてあったが発見された時にはそれは失われていた。どうなったのだろうか?何かに打ち当たって外れたのだろうか?きちんと装着されていなかったのか?それとも設計に欠けたところがあったのだろうか?それは誰にも分からない事で8000ポンドの錘もプラントも不明となった。(*アゾレス 大西洋中間、リスボンから930マイル西方にあるポルトガル領の島の集まり。)水面下に余分につけてあるこの錘が船の転覆を予防しているように、私達の生活が転覆したり沈没しないためには聖霊的な錘を水面下につけておかなくてはいけないのではないでしょうか。 夫婦が結婚のカウンセリングに行った。二人とも大学卒で良い職を持ち年毎に収入は増えてハワイやヨーロッパにバケーションホームが買えた。高級な車に乗り豪華な服装をして何事もスムーズに暮らしていたのだが、ある日妻は夫がオンラインで猥褻な事を楽しんでいる事を発見した。妻が夫に対面して話すと夫は恥を感じながら行動を認めたのだがその理由はわからなかった。夫は自分の子供時代、成長期に父親から辛い思いをさせられた事をカウンセラーに打ち明けた。 父は彼は何事にも絶対失敗する人間だと繰り返し言って精神的な苛めをしていた。母は母で彼は絶対高校は勿論大学などは行ける様な人間ではないと言い続けたのだった。その反抗心で彼は精神力を全部そそぎ金融関係の成功者となり社会的な成功者となった。彼は週に80時間働いて「立派な生活」を保つ事で親に「それ見ろ」と言うのに成功したのだ。彼の水面上の暮らしは素晴らしいものであったが、水面下には錘は何も無かったのだ。人生の嵐に襲われた時に頼りになる錘の準備は全く準備されていなかった。そして彼のオンラインでの破廉恥な行動で妻を無くし、職も名誉も無くしてしまったのだ。それは彼の中には彼の人生を真っ直ぐに舵をとる備えが何も準備されていなかったからだ。 別の男性の話をしましょう。チェ・ソンボンと言う21歳の韓国人で最近「アメリカ ゴット タレント」に似た様な番組の「韓国ゴット タレント」というショウに出て歌う前に彼は照れ屋でバツが悪いような様子がみえました。そして審査員達は彼の生い立ちを尋ねました。何と言う話でしょう! 彼が3歳の時に両親は彼を見捨てて孤児院に入れました。与えられる食事は少量で、住居はひどく、そして色々な乱暴を受けたので5歳でそこから逃げ出しました。次の10年間はチューインガムやエネルギードリンクを売り道路で寝起きして生活しました。今は肉体労働者です。彼が歌い始めると、丁度イギリスの「ブリテン ゴット タレント」でスーザン ボイルが歌うのを人々が始めて聞いたときと同じように人々に絶大な感動を与えました。 その素晴らしいパフォーマンスの後チョイは記者から彼の厳しかった子供時代の事を繰り返しインタヴューされました。どうやって路道で生き延びたのか?なぜギャングの仲間に入ることもなくまじめに生きたのか?何処で歌うことを学んだのか?どうやって生き続ける勇気を得てここに至ったのか? チョイは「どうやって生きる勇気と希望をを持って強く生き続けてこられたのか自分では解らない」と答えた。だか何かが彼をここまで真っ直ぐに導いて来たのだ。 チョイと異なり、私達クリスチャンは何故か、言い直せば誰が私達を転覆(転落)から守っているのか知っています。水面下の錘が何か、誰が船を浮かばせて転覆を予防しているか、大波や大風に立ち向かう力を与えて下さっている、それは私達を創造なされた愛情深い神でしかない。 詩篇のなかで神は言われる、『民が荒波の中に放り込まれた時にその民をしっかり守るのは私である。』 マイケルプラントのボートに何が起こったかは知る由も無い。しかし8000ポンドもの錘を失くし彼には全く勝ち目はなかった。オンラインで不埒なことをしていた男は転覆を予防する何物も持っていなかった。 ところで、皆様はいかがでしょうか? 私達は水面上の事;金銭、パワー、社会での地位そして人気、見かけ、容貌、社会での成功などには大変興味を持っています。しかし水面下はどうなのでしょう? いざと言うときの充分な錘がつけてあるのでしょうか。若しあなたが神を自分の錘として自分に装着させているなら、どのような激しい嵐に見舞われても、どのように海が荒れても、風が激しくても必ず守り、転覆させないと神は約束されているです。 Tami Day(山本民子)要約   Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 2011年9月のCalendarを掲載します。 2011年9月Calendar 先にお知らせ致しましたが9/25日は召天者記念礼拝が行われます。                                                  2011年9月の予定 9/4     合同礼拝・Kick Off BBQ      10: 00AM     LCR 毎木曜日     聖書を読む会      10:00AM  Joyce’s Library  9/8 、22    事務打ち合わせ        1:00PM  JMオフィス     9/11、18   キリスト教101                   10:00AM     T. Hall  9/11                  信徒会                                   礼拝後               T. Hall          9/12、26  英会話教室           12:30PM  Joyce’s Library         Line Dance                            1:45PM      T. Hall 9/13、27    アーバイン家庭集会     10:30AM  愛子G.宅  9/25      召天者記念礼拝・昼食会   11:15AM   LCR            Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet マタイによる福音書16章13-20節「彼らが言うには・・・」  “They say….”  私たちの父である神と主なるイエス・キリストより恵みと平安があなた方の上にありますように. アーメン。 今日の福音書の記事の中でイエス様が、「人々は、人の子のことを何者だと言っているのか」と書いてあります。英語でそれは、 “Who do they say that I am?” です。 そこで、弟子たちは答えました。「あなたは洗礼者ヨハネだ」、「エリヤだ」、「エレミヤだ」とか、預言者の一人だと言う人もいます」。さてこの後、イエス様が、弟子たちへ、単刀直入に「あなた方は私を何者だというのか」との質問をなさったのです。 この礼拝堂の中にいる私たちはイエス様のこの質問にどう答えますか? 長い信仰生活の人は、「イエス様、あなたは神様の子、私の罪を負って十字架にかかって死に、しかし神様の偉大な力で甦った方」と信仰告白をなさるでしょう。ある人は、私はもう少し納得がつくまで時間をください。イエス様が偉大な方とは信じています、でも聖霊に触れてそれが力強くできるまで時間をくださいと言われるかもしれない。またある人は言います。「私は仏教の仏様を今でも拝んでいます。クリスチャンになると今までの信仰のすべてを捨ててイエス様だけを神様として生きていかなければならないのですか?」 これは大きな信仰の問題です。私たち一人ひとりがこの問いへの答えを出すのです。キリスト教の信仰はただ聖書を読むことだけでは育ちません。聖書の中で言われているイエス様の隣人との関係をわたしたちの人生の中で実行する中で信仰も育つのです。ですから私は出会った人の中に神様の姿を見ることが良くあります。それは本当です。ある人から一緒に祈ってくださいと頼まれ、心からその人のことを思って祈る時、祈りを受けた人は神様の存在を感じるのです。 イエス様は弟子たちへの質問「それでは、あなた方は私を何者だと言うのか」と聞いた時、ペテロが真っ先に答えました。「あなたはメシヤ、生ける神の子です」。その次のイエス様の言われた言葉は大きな責任をペテロに与えているのです。「シモン・バルヨナ、これはペテロの別名、あなたは幸いだ。あなたにこのことをあらわしたのは、人間ではなく、私の天の父なのだ。私も言っておく。あなたはペテロ。私はこの岩の上に私の教会を立てる。黄泉の力もこれに対抗できない。私はあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは,天上でも解かれる」。 このようにイエス様から言われて、ペテロは自分を誇りたいような気持ちになったかもしれない。この私が、この世で神の国への鍵をイエス様から頂いたとは、これほどイエス様は私のことを信頼しているに違いないと思ったことでしょう。それは神様に選ばれた私という誇りですが、その反面、これはとても大きな責任です。しかしこれはイエス様に従って生きてゆく決心をした私たちの責任でもあります。英語でこの責任をStewardship という言葉を使って言いますが、私たちの生活、他人に対しての思いやり、お互いを大切にすることは、神様から私たちに託された責任です。 しかしここで心に留めていただきたいのは、これは単に、イエス様を、神様を信じる方だけにする行為、思いやりではありません。世界中のすべての人は私たちの隣人、私たちの愛の対象です。宗教の違う人他にも、Sexual orientation の違う人にも、自分と異なるPolitical Party を支持している人にも、私たちはイエス様から教えられた愛をもってお互いの人生を大切に生きてゆきたいのです。私のMentor であったフィラデルフィアの牧師さん、ボブ・ハイソン 先生は彼の教会の部屋の壁に、 “To confess Christ as Lord is to have a healthy respect for all people” と言うポスターを掲げていました。日本語で言うならこれはイエス・キリストを告白することはすべての人々と尊敬すべき関係を持つことです」。 ところでペテロの話に帰ります。皆さんがご存知と思いますが、シモン・ペテロは12弟子の中で、一番、福音書の中に名前が出てくるリーダーであることは確かです。彼は自分でも私はイエス様に一番近いものと思っていたに違いありません。彼の名前はシモン・ペテロです。イエス様に従って行ったその前はシモンと呼ばれていたのですが、イエス様がこのシモン・ペテロのペテロに大きな彼の性格を見抜いていたのです。ペテロ、その名前の意味は岩です。岩は硬い頑丈なもの。置かれている場所でちょっとやそっとでは動きません。ニューヨークのマンハッタンは固い岩の土地で、その土地がしっかりしているからこそ大きな高層ビルが建てられるんです。それは人間についても同じことで、人の土台がしっかりしていないと人生でいろいろな問題を持つことになると言われます。 イエス様は自分のことをよく「人の子」、Son of man と言う言葉を使ってあらわしていましたが人の子とはメサイア、救い主という意味でもあります。イエス様は自分で選ばれた12弟子をご自分の始められた仕事、それは人々に神様の愛を知ってもらいたい、いやそれ以上にその神の愛をお互いの生活の中で、実行していくように教育したのです。12弟子ほどラッキーな人達はいなかったでしょう。毎日の生活の中でイエス様の説教、奇跡、癒し、そして人間の悲しみが喜びに変わったその姿を見てきたのです。 そんな12弟子に、「あなたは私をだれと呼ぶか」との問いは私たちにも語られているイエス様の質問です。To be Christian means believing that Jesus is the Christ, the Son of the living God. 私たちが「主よあなたはメサイヤ、救い主です」と呼ぶ時,そして「あなたこそキリストです」と告白する時、私たちはイエス様が油を頭に注がれた者、それは父なる神からおくられた者であることを確認することです。 すべてを捨ててイエスについてきた12弟子が始めの頃イエス様をどう思っていたかはっきりわかりませんが、一日が過ぎる度にイエス様の偉大さを心に感じたに違いありません。そこで、「イエス様あなたこそ私、私たちの救い主です」との告白ができるようになったのです。 わたし事ですが、人生もうすぐ60年を通って来てイエス様への思いが山の頂上、それと反対に、谷間の底に落ちたような思いを繰り返してきたのです。これからもイエス様に喜ばれないそういう口から出る言葉、思いで、クリスチャンとなんて呼ばれることも出来ない時があるのです。それは私がまだ真面目にイエス様についてゆくことのできない人間であるからなのです。 しかしそんな私、あなたは、私たちに、十字架に架かって私たちの罪のため死んでくださったイエス様は、罪と咎にけがれた私、わたしたちを哀れんでくださったのです。それを思うと私の心は感謝の思いで一杯です。ですから長い歴史の中で、私たちに心の安らぎと喜びを下さってこられたイエス様は、偉大な方であり、私にとってこの神様なしに明日の生活もできません。 今日の説教の最後にイエス様がペテロに約束してくださった天国に入るにあたっての鍵について語ってみましょう。イエス様は弟子たちに「あなたがたはわたしをだれというか」と質問したとき、シモン・ペテロが真っ先に手を上げて、答えました。「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と。 すると、イエスは彼に向かって言いました。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いである。あなたにこのことをあらわしたのは、人間ではなく、私の天の父なのだ。そこで、私はあなた方に言う。あなたはペテロである。そして、私はこの岩の上に私の教会を建てよう。黄泉の力もこれに打ち勝つことはできない」と。さてこれに続くイエス様の言葉は大切な言葉です。「わたしは、あなたに天の国の鍵を授ける」と。 ペテロがその鍵をもらったのでしょうか? カトリック教会はまさにそのように受け取ります。ペテロ自身がカトリック教会の第一代目の法王、Popeです。それは2千年を何百人にも及ぶ法王によって受け継がれてきました。法王はカトリック教会の中では最高主権者であり、彼がこの地上でのキリスト教の頂点です。よく注意して法王の着ているガウンを見てください。底に鍵の刺繍が縫いこまれています。法王はカトリック教会の中でペテロと同じ天国に至る道を示す力を持っているのです。 しかし、新教、プロテスタントと呼ばれるクリスチャン、それは私たちのルーテル教会、メソジスト、聖公会、改革派教会、バプテスト、聖霊派の教会の中で、天国の鍵を持っているのは誰だと思いますか。それはビショップと呼ばれる人、いろいろな教会の一番くらいの高い人でしょうか。いいえ、そうではありません。 天国の鍵は私たち一人ひとりが神様を救い主と信じ、告白する時に私たちにすでに与えているのです。この罪深い私、私たちは心を低くして神様、この罪びとの私を赦し、哀れんでくださいと心の底から祈る時、すでに与えていただけるのです。しかしその鍵はいつも私たちの胸の中にはありません。傲慢になった時の私たち、人を見下ろして自分がもっと神様に愛されていると思った時、私たちはその鍵、天国の鍵をいただくことはできません。 敢えて言うならば、私たち人間は天国の鍵がいただけるような生き方ができない、罪に満ちた人間です。しかし、その罪人を愛してくださった神様、イエス様に心の中で出会った時は人間としての感謝と幸福を感じる最高の時であると信じます。 どうか私たちが少しでもイエス様のように生きることができるようになれたら、それが私たちの人生の中で一番大切な思いと祈りであるのです。アーメン Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet   2011 8 21W 週報通算番号#1178(日本語) Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet マタイによる福音書15章21-28節 「すべての者よ,私の元に来なさい。」 “Come to me all of you” 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなた方にあります様に。アーメン。 皆さんのうちに動物が好きな人がいると思います。猫、犬、あるいは鳥、金魚、熱帯魚。これらは一般のペットですが、私の友達の中には、アライグマを赤ちゃんのときから子供のように育てた人もいます。私も動物が大好きで、小さいころは、家の中で犬も猫も飼えないことを知ってましたから、裏庭で宿無しの犬、子猫にご飯の残り物をやって自分の子供のように育てたことがあります。ご飯と言っても残り物のライスに味噌汁をかけたようなも。それでも味噌汁の中に入っていた煮干を夢中で食べていた子犬、子猫も大人になってどこかに行ってしまった時まで可愛がって育てました。 アメリカで、“Dog is man’s best friendとよくいわれますが、飼っている犬の費用は相当なものです。何処のスーパー・マーケットに行っても何の種類ものDog food が幾つも並んでいます。中には野牛とか鴨の肉を使ってのdog food もあり、そのマーケットには 犬の洋服、犬の歯磨き粉と歯ブラシ、犬の靴まで売っています。まさに犬様、様です。 今日の福音書の話はイエス様がテイルスとシドンというイスラエルの北の地中海に面したところで出会ったカナンの女との会話です。カナンといわれる所はイスラエル人の土地とほぼ同じです。しかしこのカナン人という人達は、昔アブラハムがバビロンの土地からイスラエルの土地に移る以前に住んでいた民族です。ユダヤ人の力が大きくなるに従ってアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ヨシュア、サムエル、サウル、ダビデ、ソロモンと言うイスラエルのリーダー達はすでにそこに住んでいたカナン人と戦争をして自分たちの国、イスラエルの国土を広げていったのです。 イスラエルの人達は自分たちの民族の血がほかの民族、特にそこに住んでいたいたカナン人と結ばれることを嫌っていたのです。つまりカナン人はユダヤ人にとってはアブラハムの子孫でないと言い張るところに自分たちの優越感、自分たちこそ、神に愛されている民族との優越感を持っていたのです。つまりカナン人をユダヤ人は犬のように考えていたのです。勿論それは何千年前のユダヤ人だけに限りません。日本人も自分たちの民族こそ一番優秀であるとの思いで他の民族を見下した罪があります。 さて福音書の記事に戻ってこのカナン人の女は「主よ、ダビデの子よ、私を哀れんでください。娘が悪霊に取り付かれて苦しんでいます」と言って叫び続けたと書いてあります。カナン人のこの女、ユダヤ人の国の中で、ユダヤ人でないということで見くびられて生活していたのです。 この記事の中にこの娘さんのお父さんは出てきません。お父さんはもう亡くなっていたかもしれない,あるいはどこかに出稼ぎに出ていたのかもしれない。あるいは家族を捨ててどこかに行ってしまったのかもしれない。しかし分かっているのは、このカナン人のお母さんは自分の娘が正常に戻れるよう必死だったことは確かです。自分の子供を愛さないものがいるはずないのです。イエス様の行く先には何時もイエス様の奇跡で精神、体の病気を癒されたいと集まっ人たちで一杯だったでしょう。同様に心の苦しみ、人間として他の人たちから嫌われていることを知ると言うことは実に悲しいことです。 わたしは、次のイエス様のカナンの女に対しての答えにいきどうりを感じました。なぜならイエス様のカナンの女に対しての答えがどうもイエス様らしくない答えだったからです。イエス様は、「私はイスラエルの家の失われた羊以外のものには、使わされていない」と答えたからです。何でそんな薄情な言葉を一生懸命娘の救いを求めているこのお母さんに言うんだろうか?しかしこのお母さん、必死になってイエス様に頼みました。「主よ、私を助けてください」。もしこれに付け加えて言うことがあったなら、私はお母さんの心の中を想像して、イエス様にこう言ったでしょう。「イエス様、あなたは心の奥底からあなたが救い主と信じる私を無視するのですか? あなたにしか私は頼れる方はいないのです。あなたはいつも何千人、何万人もの人からこれをしてくれ、あれをしてくれと頼まれて大変なのは知ってます。しかしこのようなはしための私の祈りを聞いてください。そしてこのお母さんイエス様の前でひざまずき、「主よ、私をお助けください」と切願したのです. このような祈りのお願い事に答えないイエス様は心を動かされたに違いありません。近くにいた人たちの前で、こう言いました。「子供たちのパンを取って子犬に投げてやるのは、よろしくない」と。さてイエス様のこの言葉はいったい何を言おうとしているのでしょうか? 私が思うに、イエス様はユダヤ人に与えられる救いの約束を異邦人に与えるのは良くない。なぜなら神の救いの計画はユダヤ人から始まるのだからと。しかしこのお母さんそれに対して、実に素晴らしい発言をしたのです。「主よ、そのとおりです。でも、子犬もその主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます」と。英語に tenacityと言う言葉があります。その言葉は,固執、粘り強さ、不屈と言う意味ですが、食いついた犬がそれを離さないように神様の助け、救いをお願いしたのです。イエス様はどれほどこのお母さんがイエス様を信頼していたかはじめから知っていたでしょうか? 知っていたのはイエス様は奇跡のできる人、いやそれ以上に神様から使わされた者、ですから心の底から娘はイエス様によって癒されると信じたのです。イエス様は異邦人のこのお母さんの信仰をほめたのです。それは同時に、ユダヤ人と異邦人と言う隔たりはイエス様にとって無くなっていたはずです。異邦人のお母さんはもはや犬と呼ばれるものではない、この人も神の国の子供なのです。 まさに今日の福音書の話の裏にはイエス様は全世界の人々のために救いをもたらした神様の子、すべての人は神様に愛されるために生まれたとの心の安らぎを約束をなさったのです。「すべての者よ、私の元に来なさい。」“Come to me all of you”はまさにイエス様の私たちにとっての救いへの招待の言葉です。 今日の説教、それは神様の私たちへの深い愛と考えていた時、英語の讃美歌の言葉が私の口に浮かんできました。それはThere’s a wildness in God’s mercy と言う讃美歌で、さてそれが日本語の讃美歌にもあるだろうかと探しました。教会讃美歌という日本ではルーテル教会で歌われているものの中にありました。「神の恵みは海より深く」という讃美歌です。その歌詞は「神の恵みは海より深く、裁きのうちにも哀れみあふる。この世の過ち、その悲しみを、神は知りたもう, 人にまさりて。罪あるものをも受け入れたもう、主イエスの恵みは限りもあらず。主イエスの血しおは我らを癒し、罪あるものをみ国に招く」。 これはインドで長い間宣教師として働いていた人からの話ですが、あるインドの村で一人の年取った女性が宣教師によりイエス様の福音を受け入れクリスチャンとしての信仰告白をしました。村中の人がこの女性に対して「あなたは私たちの祖先からの信仰を捨てて白人の宗教を受け入れるとは許せません」と言ってこの女性を村八分にしたのです。そして続けて言いました。「あんたは村の中で一番醜い女だ」と。この女性それに答えて次のように穏やかに返答したのです。「この醜い私を愛して下さるイエスは何と素晴らしい神様ではありませんか」と。 話はイエス様のもとに着たカナン人の女性に戻ります。イエス様はこの女性に誰が彼女の両親か、この女性が経済的にも、社会的にもどんな地位を持っているのか、何も聞かなかったのです。イエス様はこの哀れんでくださいと言ったこの女性を今のそのままで愛してくださったのです。それは今、今日、明日においても同じです。イエス様の前で、イエス様から受け入れられない人はいないのです。もう一度大きな声で言います。イエス様の前で、イエス様から受け入れられない人はいません。すべての人がイエス様のもとに呼ばれているのです。 私たちは全て何処からか来ました。私たちのあるものは遠いところで放蕩の生活をしていたかもしれない。あるものは近くにいても家族もなく、友達もなく、一人ぼっちの孤独の生活をしてきたようです。又ある者は人に知られたくない罪の虜で毎日が泣き出したら止まらないような私たちであるかもしれない。しかし、これら全ての私たちはイエス様の身許に来るように呼ばれているのです。「私の体と血を受けなさい。私はあなたが許されるために来たのですよ。あなたは私によって命の力と生きる喜びを与えているのですよ。信仰によって生きる喜びを信じなさい」と主イエス・キリストは私たちの呼びかけているのです。アーメン。     Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 週報通算#1177 2011年8月14日  (日本語) 2011 8 14W 週報通算#1177E 2011年8月14日 (英語) Sunday English Bulletin 1177 english Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet マタイによる福音書14章22-33節                                                            「恐怖、勇気、信仰」 “Fear, Courage and Faith” 私たちの父である主イエス・キリストから恵みと平安があなた方の上にあるように。アーメン。 皆さんに質問があります。神様は私たちのように疲れること、心が痛むこと、悲しみに沈むことがあるんでしょうか? 神様は全能な方、神様にできないことはない。しかし神様が神様であり、同時に人間であるならば、人間の持つ不安も、希望も、心の複雑さを感じていたはずです。イエス様は父なる神に話しかけることを祈りという形でよくなさったのです。 私たちは神様の姿、神様の御心、神様のすべてがわかるものではありませんが、イエス様として私たちの生活の中で私たちにかかわってくださってくれているのです。小さい時に習った子供の讃美歌に「主われを愛す」というものがあります。簡単な讃美歌で、何回か歌っているうちにもう忘れることもない人生を支える信仰告白の歌となります。 「主われを愛す」を一緒に歌ってみてください。「主われを愛す、主は強ければ、我弱くとも、恐れはあらじ、わが主イエス、わが主イエス、わが主イエス、我を愛す」 この歌、讃美歌は、私を不安から守ってくれた歌でもあります。何か怖いことがあった時、夜、停電で、真っ暗になった時、お母さんに叱られた時、何かこの歌が心の中に出てきたのです。 さて、皆さんは怖い時を何度も経験されてきたと思いますが、暗いと言うのは、どうして怖いのでしょう。日本のお墓は昼間はどうっていうことはありませんが、夜にそこへ行くのは大人の私にとっても何か怖いのです。お化けが出る、火の玉が飛んでくる。いまだに遊園地で秋に行われるお化け屋敷は、お金を払ってまで行きたいとは思いません。 もう20年前になりますが、Ghost と言うな映画がHollywoodで大ヒットしたのを覚えていますか?Whoopie  Goldberg が占い師、Patrick Swayze が悪いゴーストをやっけて、いいゴーストとして出てきたこの映画は、お化けのイメージを正義の味方とした私の好きな映画です。 今日の福音書はイエス様の弟子たちがガリラヤ湖で夜、嵐の中でイエス様に出会った話です。すごい嵐で沈没しそうな船にイエス様の弟子たちが乗っていたのです。その暗闇の中にイエス様が海の上を歩いてきたのを見たのです。イエス様がGhostに見えたのですが、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」とイエス様は弟子たちに告げたのです。ペテロは自分の信仰をほかの弟子たちに見てもらいたいばかりに言いました。「主よ、あなたでしたら、私に命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」イエス様の「来なさい」と言葉を受けて水の上をイエス様に向かって歩き始めたペテロは強い風に気がついて怖くなり、その途端沈みかけたのです。イエス様はすぐに「助けてください」と叫んだペテロに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄いものよ、なぜ疑ったのか」と言われたのです。ペテロが目をイエス様に向けて歩いていたときは水の上を歩けたのですが、イエス様から目を離して荒波を見た時、恐怖に駆られたのです。 しかしこれはペテロの経験だけではありません。私たち、一人ひとりも不安を感じる時がたくさんあります。そんな時、神様にしがみつく時,私たちが心のそこから「神様お願いです、私を助けてください、あなたは私を助けてくださる力がありますと信じるとき、そこにイエス様がいて私に生きる力を与えてくださっていると感じる時,勇気がわきます。その勇気はそして神様への信仰と変わるのです。 私たちは人生で荒波に出会ったことのない人は一人もいません。私の不安の心は海で嵐に飲み込まれこみそうになっていたことがありました。今まで働いていたところから解雇届けを受けた。健康保険もなくなった。それが原因でか、憂鬱症に落ちいった。だれからも、リジェクトされたような気分になって、人と付き合う気分にもなれない。これは誰かのことではなく、私が何年か前に自分で経験したことです。家内とも口げんかするようになった。丁度そんな時、日本から電話で両親が自分たちで生活することが難しくなったと毎日2時間両親の面倒を見てくれていたヘルパーさんから、また教会の友達から、どうか日本に帰ってきて、ご両親の面倒を見てくれるところを探してあげてください、あなたの両親はもうお二人とも痴呆症で二人だけでの生活は無理ですからとの電話もあったのです。 ちょうど、次の牧師の仕事を探していた時ですから、しばらく日本に帰って両親が一緒に住めるグループ・ホームを探し、そこに入ってもらったのです。そこは秩父の山の麓で、温泉があるところでしたから、両親は休暇でそこに来たのだと思ったことでしょう。両親にさよならをしてのホームを出たとき、後髪を引かれるような思いで悲しみにふさいだことを思い出します。 ある意味で、荒れたガリラヤ湖の弟子たちの経験は私たち自身の個人的な危機の時なのです。私たちの不安は小さい船の中で嵐に会った、何もコントロールができず、どうしていいのかわからない。そこで何か自分より大きな力のある人、それは私たちにとって神様ですが、その神様に自分のすべてを委ねるのです。  “Jesus help me for my weak faith”. 何年か前にpsychology today という 雑誌の中で次のような統計を読んだことがあります。40%の私たちの不安と心配事は実際起こることではない。30%の不安は私たちが過去に行ったことによるもので今それにくよくよすることはない。12%の不安はある人の気持ちやフィーリングを間違えて受け取ったことによるもの。10%の不安は個人的な健康に対しての不安で、心配すればするほど悪くなる。しかし私たちの一番の不安は私たちのいつか経験する自分の死についてです。 ペテロはイエス様を信じてガリラヤ湖を歩き出したとき、それが出来ました。不安に駆られたからこそ水の底に落ちる経験をしたのです。しかし私たちもペテロと同じく溺れかかったその時、イエス様から差し出される手にしがみつくことができるのです。 イエス様は、死の暗闇を経験したことで、私たちを不安の暗闇から光のところに引き上げてくださることができるのです。イエス様が暗闇の死から復活された、その神様の救いの力で、私たちを陰府の世界から光の世界へと連れて行ってくださるのです。 この水の上を歩くイエス様は人間の不安、死ぬということの恐ろしさも足で踏みつぶし、その代わり、私たちに生きる勇気と信仰を与えてくださっているのです。人生の嵐の中で“Take heart, it is I, have no fear.” 「しっかりするのだ、私である。恐れることはない」と言われたのです。 マタイの福音書には何回にも亘ってイエス様が弟子たちに、「信仰の薄い者よ」と語っている記事に出会います。マタイはそれを「疑う者」とも呼んでいます。マタイにとって教会とは信仰の薄い、疑い者の集まりですが、この小さな集まりも、みんながイエス様に目を向ける時、何か素晴らしいことができるのです。 ペンシルベニアの小麦畑で働くお百姓さんがある年にすばらしい小麦の収穫の時を迎えました。さて明日トラクターで収穫するぞと言っているさなか, ものすごい嵐、それて大きい雹が一時間に渡って降り続けたのです。小麦は全滅です。嵐の後、まだ小さかった息子さんは荒野になった畑を見つめて泣き始めました。お父さんも悲しいだろう、なんか神様に抗議するようなことを言うんではないかと思っていたその時、お父さん、小さい声で“Rock of Ages”と言う讃美歌を歌いだしたのです。”Rock of Ages, cleft to me, let me hide myself in thee.”日本語でこの讃美歌はこう歌われています。「岩なるイエスよ、守りたまえや、脇よりながる、とうとき血にてわが罪とがを洗い清めよ。」 私の両親は第二次世界大戦の終わる寸前アメリカ空軍の飛行機から落とされた焼夷弾で家を失くしました。命は救われたものの家は全焼、自分たちの思い出の写真もすべて灰となってしまったのです。それは悲しいことです。思い出を奪われてしまう、自分の若い時の写真が一枚もない、悲しいけれど、今ここに私がある、私はまだ神様から見放されてはいないと心に感じたとき、神様の愛を泣きながら感謝したと私の両親はいつも語っていました。イエス様を主と受け取った私たちは、人生の大きな荒波を乗り越える勇気を神様からいただいているのです。 神様、イエス様が私の心の中をすっかり分っていてくださる、慰めの言葉を語ってくださっている。そこで勇気が湧いてきます。希望が生まれます。神様が私と共にいてくださると信じる信仰は人生の中で掛け替えのない宝物です。日曜日に一緒に神様を賛美し、神様に感謝をし、私たちの仲間をお互いに支え合って生きる人生を与えられている私たちは幸福です。アーメン。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 2ヶ月頃前の信徒会で芙美さんが「民さんに食事係りの責任とカレーをお願いします」と言った時には芙美さんは気が確かだろうかと思った。うまいカレーとは芙美さんのビーフカレー、林愛子さんの南瓜カレー、深見さんのナスカレーと並べられるが私のカレーは多分、私が健康の為にとツメリック、シナモン、キュミン、ショウガなどを余計に入れるから「おいしい」と言う人は少ないのである。 しかしいつもジョナと鯨の話を思い出して寄付金とビュウテイーコンテスト以外は頼まれたことは断らない事にしているから、文句なしで引き受けた。 1ヶ月前に芙美さんと共にたけださんと会って寿司の注文を話し合った。 7月25日、祭りの5日前だからまた芙美さんと共にたけださんと会って寿司を正式に注文した。その時にカレーの話を持ち出すと親切なたけださんはレストラン用のカレーのルーを原価でゆづって下さった。(感謝)私は述べたように余計なスパイスを加えて味を変えるクセがあるから10歳の孫のジャックからも娘からも『レシピのに通りに従うとちゃんとできるのよ』と言い聴かされているのを思い出して、今回は日本部伝道の名にかかわるという責任感を感じてカレールーの袋の指導通りに従う事にした。 7月28日、 買い物の日、行き慣れている中近東の店アルテイバットで玉ねぎを20ポンド(9kg)買う。次にスマート&ファイナルでカレーに使う皿とチキンを15ポンド買った。それとチキン5ポンドの寄付で合計20ポンド。 7月30日(祭り当日〕 大きい鍋と包丁、玉ねぎチキン、そして「祭りを是非見たい」と言う孫娘を乗せて教会へ11時前に着いた。芙美さん、岸野先生、その他多くの人たちが朝早くから来て飾りの準備をしている。私の鍋と林愛子さん寄付の鍋には50人分づつ出来る事が解った。台所で見つけた鍋は小さめで2/3しか出来ない。後で水を足す事にした。そして玉ねぎを切ることを始める。乾いた玉ねぎ皮は切り難いものである。自宅から包丁と包丁砥ぎを持参してよかった。山ほどの玉ねぎを見て切り出すとジュリアチャイルドがコードンブルーに入学して最初の数日は玉ねぎだけを切らされている事を思い出した。そう思うと大して苦労とは思えずに巨大なボールをそばに置いて切っていった。ジニー下西さんが加わり手伝おうとするのだが切れる包丁が無くて玉ねぎが切れない。日本部の台所に岸野先生が行って包丁を持ってこられたがそれも切れない。しばらく砥いでどうにか切れるようになった。日本の包丁に慣れている身には西洋の包丁は切れなくて歯がゆいと言える。幸いに玉ねぎはあまり涙を誘わなくて助かった。ジニーは玉ねぎに敏感らしいがコンタクトレンズで救われたようだが、後半には諦める事となった。この時点で志垣さんが助けとして加わられた。巨大なボール3つの刻んだ玉ねぎをソテーして鍋に入れると、鍋は玉ねぎでがっしり満ちてしまった。『果てこれは間違いだろうか、これでは肉が入る隙間も、汁となる水分も無い』と内心パニックに襲われて、玉ねぎを取り出そうとも思ったが、しばらく煮込んで様子を見る事にした。3時半ごろにはチキンを入れて煮えたのを確かめた。そして4時5分ほど前にルーを入れたが、ルーが溶けるようにかき回すとチキンが崩れる事が解り、ルーは別鍋で溶かしてから加える事にした。 4時、祭り開始 一皿サンプルを作り寿司と同じテーブルに置いた。 出だしは割りとゆっくりとしていて「果たして売れるのだろうか?」と思った。人が並び出したのはゆうかりコーラスは始まった頃である。セールスの助けの白井さんはコーラスで席をはずしている。そんなときに人の列はだんだんと長くなってきた。「カレー一つお願いします。2つお願いします。4つお願いします」と台所に叫ぶと志垣さんが盛り付けをして、盆に載せたカレーをお客様に渡す。ジェインとバートが受け持ちのレジでお客様はお金を払う。そうしているうちに23合炊いた釜の底が見えてきた。もう一つ23合炊いてあるが、もう一釜炊くべきではないかと思うのだが、お米は日本部の倉庫にあるので、長い列を作っているお客様を放って売り場を去るわけには行かない。丁度芙美さんが通り過ぎたが、芙美さんも忙しい。見回すとボランテイァは皆超急がし….なのだ。 それで、『仕方が無い、ご飯が終ったら、売り切れにしよう』と言う事になった。             日本部の毎週の出席は20人前後、その中でボランテイァとして体が動けるのは10人以下と言えるだろう。日本部主催のジャパンフェッステイバルと言ってもFTFの協力やユースグループの協力、会員の家族、友人のボランテイァがあってこそ可能となったので、この10人以下の日本部の会員は皆それぞれの役目で精一杯で余分な人は何処にもいない。また広子さんのように病気の看護で日本へ行き、デイビッドのように急にスイス行きと決まり、少ない上に更に少なくなった当日である。と言うわけでカレーのセールは2釜分のご飯が終ったら売り切れとする事となった。             当日午後7時。バーコーホールでこころ太鼓の人々にカレーを出す。 私の孫娘、2日後に10歳になるシャナが「カレーが欲しい」と言ってきた。私の娘、シャナの母はカレーを作るがシャナは1度も手をつけた事がない。「本当に欲しいの?」と確かめてわりと大きい量を盛ってシャナの前においた。好き嫌いの激しいシャナがカレーを食べている。(翌日全く自主的に『カレーおいしかった』とシャナが言ったのにはビックリ) 7月31日 「カレーがおいしかった」とE-mail が入る。 8月1日 「子供夫婦と孫がカレーがおいしかった。と言うのですがコツを教えてください。」と留守電に入っている。レシピを聞くメールが来る。 VBS で通りすがりの人から「カレーがおいしかった」と白人の会員たちから声がかかる。FTFは次回はカレーの値を$5.00にしようと話したとか。   さてこう書いてみると自分のカレーの自慢話と誤解されるかもしれないが、そのつもりで書いたのではない。最初に述べたように私個人のカレーは評判にならない。このジャパンフェステイバルのカレーには神が台所に来て小指を差し込んで味付けをされたに違いないと信じるから書いたのである。(民 Day)         Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace