Tweet マタイ2:13-23 主イエス・キリストの恵みと平安が会衆一同の上に豊かに注がれますように! アーメン あなたの家庭生活はいかがなものだろうか? 正直なところ、あまり聞かれたくないという方、たくさんおられるのが現実ではないだろうか? 特にアメリカに住んでいると、家族のだれかが、ドラッグ、アルコール、セックス等々の中毒などでトラブルになった過去にあるのではないだろうか? 最近の日本の芸能ニュースで、あるカップルが16年前に子供ができてしまったので結婚したが、数年後に離婚、父親が長男をほとんど育てていた。しかし、父親と長男のDNA鑑定をしたら、その長男は自分の子供ではないということがわかったという。 さあ、どうしましょう。その子の、本当の父親はだれなのか、週刊誌はさわぐ。いろいろ傷の深い問題になってくるが、そのような家族の方々こそ教会に来られ、イエスとの関係を持てたら良いと思う。 本日は、ヨセフとマリア、そして、おさな子イエスの家族について考えたい。イエスの誕生の話でも、ヨセフは最初はマリアが妊娠した時、本当の父親はだれなんだという質問をしたことだろう。 それでも、聖霊によって妊娠したという天の御告げを、信じて、マリアとヨセフは信仰生活に入る。ヨセフとマリアとイエスの家族のことを聖家族と呼んだりするが、かといって、なにごとも順調な家族というわけではまったくない。妊娠がわかった時も出産の時も、生活は波乱万丈。 イエスは、ヨセフとマリアがナザレから旅行している最中、ベツレヘムで生まれてしまう。それも宿屋がいっぱいだったため馬小屋で生まれ、馬のえさをいれる飼い葉おけに寝かされる。 すると、エルサレムで神の子が生まれたという知らせを聞いたヘロデ王は自分の権力がどうにかなってしまうのではないかと恐れ、ベツレヘムにいる2歳以下の子供をすべて殺すようにという命令を出した。 そのような状況になって行く中、ヨセフには天のお告げがあって、マリアと幼子イエスを連れて、エジプトへと逃げる。飛行機も自動車もない時代の旅。エジプトのどこに非難したかは書かれていないが、仮にカイロあたりだとして、現代、車に乗っていっても10時間位かかる。当時のことなので、何日もかかって旅をしたに違いない。 そして、幼子の命を狙っていたヘロデが死んだ後、ヨセフにはやはり主の天使が現れて、イスラエルに戻るようにとのお告げがあり、結局、イスラエルのナザレに戻ることになる。 イエスの誕生にいたるまでの過程も、週刊誌ネタのようなところもあるし、誕生した場所は、悲劇的な場所での出産だった。また、幼子イエスの命が狙われたため、エジプトへの難民家族生活にも強いられた。 ナザレに戻るまでの生活だけでもそれはそれは、たいへんな生活を味わう家族だった。 イエスの降誕、クリスマスを祝ったばかりだが、降誕のときだけでなく、イエスが生まれてからの日々のヨセフ一家のたいへんさを通して、神は私たちに、いったい何を語っておられるのだろうか? 今日の聖書の箇所で、預言者を通して言われていたことが実現したという箇所が3箇所出てきている。 ヘロデ王がベツレヘム周辺の赤ちゃんたちを殺してしまう話は、エレミヤの預言に書かれていた。エジプトからイエスが戻ることができたことは、ホセア書に「わたしは、エジプトから私の子を呼び出した。」という預言があった。また、ナザレに住むことになったことに関しても、旧約聖書の士師記やイザヤ書にも関連する預言が確かにあった。 このようなことから、新約聖書でイエスが救い主として誕生すること、また、降誕後のごたごたも、ほとんど旧約聖書に預言されていたということで、だからイエスはこの世の救い主なのだということを、私たちは今日学んでいるのだろうか? 確かに、聖書の研究家や、牧師たちが、旧約聖書と新約聖書がいかに密接に関連しているかということを知的に調べ、だからイエスが救い主だと信じれるようになることは大切だとは思う。 しかし、旧約聖書で言われていたことが、新約聖書で実現したということ以上に、聖書の中で起こっていること、特にイエスの生き様が、現代の私たちの実生活にどれだけ救いになっているかということを実感し心にしみ入ってくる事の方が大切だと思う。 神の子イエスは、いってみれば、恥ずかしくてしょうがないと思うような婚約カップルの中に来て下さった。あるいは、慣れない土地で出産をせざるを得ない女性にも来てくださった。あるいは病院には到達できずに途中で出産してしまうような母親にもイエスは現れる。また、子供をかかえた難民家族にもイエスの愛は届いている。 聖家族、ヨセフ一家は様々な困難に直面した。現代の家族もとんでもない困難に直面する中、キリスト信仰によって、ヨセフ一家が受けた神の恵みと同じ恵みを戴ける。それはイエスの存在であり、その存在を信仰の歩みの中で確認し、イエスに在る希望を持って私たちは困難の中でも歩むことができる。 アーメン。 “A Family is Full of Ups and Downs” Matthew 2:13-23 Pr. Hitoshi Adachi May the Lord’s Grace and Peace be with you in this sanctuary! Amen. How is your family life? To be honest, there are many people who do not want to be asked in detail about his or her family. Especially in the United States, it is a reality that many fathers and mothers do not want to be asked about their private lives due to their own behavior or their children’s behavior like drug issues, sex addiction, and so on. I read an article about a famous actor in Japan, although he divorced his former spouse 8 years ago, he was raising his first son believing that the child was his son. The child is now 16 years old and the father and son did a DNA test to see if that child is his son or not. The outcome was 0% possibility as the biological father. So what does this mean? Who is his real biological father? Of course, tabloid entertainment news/magazines are reporting this news here and there and deepening their wounds. It is my hope that they come to church and have a relationship with Jesus. From the Gospel Text today, I would like to talk about the family of Joseph and Mary. Mary was pregnant due to the Holy Spirit according to the Bible. In this world, there…
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Tweet LCR日本語部週報通算#1288号(日本語) 2013年12月29日の週報 LCR日本語部週報通算#1288E号(英語) Sunday English Bulletin 1288E Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
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December 26th, 2013
2013年12月24日クリスマス・イヴ燭火礼拝説教”A Happy Ending” E. Carl Zimmermann 牧師
No Comments, 牧師説教, by admin1.Tweet “ハッピーエンド” この教会のメンバーなら私がどんなに風変わりなセンスの持ち主であるかご存知だと思います。例えば、映画鑑賞専門家は、“Raging Bull”、“カサブランカ”、“風と共に去りぬ”を三大映画と評価していますが、私の好みはどちらかというと、 “Brazing Saddles”,“Fargo”, “The Life of Brian”で、もう一つ加えるなら、Chevy Chase の “The Griswald Family Christmas”です。コメデイアンのChevy Chaseは主人公のClark Griswaldを演じます。彼は変わり者の親戚や隣人に囲まれているにも関わらず、クリスマスを特別素晴らしい時にしようと頑張ります。彼は、これでもか、これでもかと言うように失敗ばかり繰り返しますが、最後はめでたくハッピーエンドとなります。クリスマスを盗んだグリンチも最後には改心しますし、トナカイのルドルフもサンタを助けて大働きをします。有名なディキンズの小説に出て来る、年老いて憎しみに満ちたスクルージでさえも、最後には心を改めるのです。これらの素晴らしいお話は、ただハッピーエンドで心を暖めてくれるだけではなく、もしかしたら、こんな世の中でも希望が持てるかもしれないと私たちに思わせてくれます。そう解ってはいても、ハッピーエンドはいくら私達が楽観的でも、日々の希望の無い絶望的な現実をみるとただの幻想にしか思えないのです。考えてみて下さい。1日として人が射殺されたニュースや、盗み、飢餓、貧困、治療不可能な病気や不正行為を耳にしない日があるでしょうか?こんな状態の何処にハッピーエンドがあると言えるのでしょうか? 俳優のWoody Allenが言うように、この世は絶望かまたは絶滅に向かっているのでしょうか?こんな状況から、どうすれば幸せな思いや希望や喜びを持てるというのでしょう。それでも、どこか奥深い所で、全ての支離滅裂な現実に反して、人生にはそれら腐敗や詐欺や暴力以外の何かが、それがほんの少しの何かであっても、きっと在るに違いないと私達は信じたいのです。神様が私たちに手を差し伸べて下さる時、ただの幻覚や夢ではなくて何か、小さくても必ずハッピーエンドが訪れるのではないでしょうか。それと同じように、クリスマスのお話の一部分は、私たちが完全に希望を失ってはいないという事を語っているのです。 イエスの母マリアをちょっと考えてみて下さい。彼女はただ普通のテイーンエイジャーで王女さまでも貴族や高貴な家柄でもありません。彼女は他の娘と何の変わりも無い少女でした。 だからこそドラマテイックなのです。何の前触れも予告も無く、突然天使のガブリエルが訪れ、マリヤに、あなたは身ごもって神の子を生む、と告げた時、彼女がどれ程ショックだったか私たちにも解ります。でもここで彼女は天使に幾つか質問しますが、その後で、「そうなりますように」と素直に受け入れているのです。殆どの女性がそんな事を言われたら心臓麻痺でも起こしてしまいそうなのに、彼女は「おことば通り、この身になりますように」と答えたのです。多分マリアのどこか奥深い所で、神様のご計画が最後には悲劇に終わる事はないと信じていたからこそ、「お言葉通りになるように」と、素直に神様に自分を委ね、選ばれた器として神様に仕え従う事が出来たのでしょう。彼女は、神様が自分の人生に関わって下さる時、そこには勝利と幸せに満ちた素晴らしい終わりが在る事を知っていたのです。 今宵、私たち一人一人が問う事は、キリストの聖誕が、私たちの中に希望と喜びをもたらす事を信じるかどうか、なのです。マリアのように勇気をもって大胆に、キリストに従えば、スクルージやグリズウオルドの世界だけではなく、私たち全てにハッピーエンドが訪れると信じられますか? 家族や友達に囲まれて楽しく食事をしたり、プレゼントの交換をしたりする今夜は、とても「静かな夜(聖しこの夜・Silent Night))の イメージではないかもしれません。でも知っておいて下さい、神の天使があなたの上を舞いながら耳元でこう囁いているのです: 「見よ、私はあなた方に良き知らせを伝えに来た。」そしてこの良き知らせとは: キリストの誕生と共に約束されたハッピーエンドなのです。 皆様、それぞれに祝福に満ちたクリスマスをお迎えください。アーメン。 ”A Happy Ending” Members of this congregation know that I have a peculiar, quirky sense of humor. For instance, while the experts name Raging Bull, Casablanca and Gone With the Wind as three of the greatest movies ever produced but I’d rather watch Blazing Saddles, Fargo and The Life of Brian. Allow me to add one more: “The Griswald Family Christmas.” You know the one-Chevy Chase plays Clark Griswald who tries to make Christmas special even though he’s surrounded by wacky relatives and odd neighbors. The movie is one mis-adventure after another and Christmas appears to be headed for a complete meltdown, but in the end, it has a happy ending and our faith in family is once again restored. Many seasonal films end like that. The Grinch who did his level best to steal Christmas finally came around and Rudolph helped Santa save the day. Even old, bitter Scourge had a change of heart in Dicken’s holiday classic. These wonderful stories with happy endings tug at our heart strings but they do more than that… They help us believe that maybe, just maybe, there is hope for this frail and fragile world of ours. And yet, believing in happy endings seems something of a pipe dream…..Even the most optimistic of us can’t deny or escape the constant barrage of hopelessness and despair that confronts us every day….
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Tweet 心から主イエスキリストの御降誕を喜びたい。今週は詩編97編を読もう。この12月25日のクリスマス、主の降誕日に与えられている詩編。年末年始は、何かと忙しい時期だが、ぜひ、じっくりこの詩編を味わう時間が与えられるように祈る。25日はもう過ぎてしまったが、主の降誕節は1月6日の顕現日まで続くので、この時期に詩編97編を読まれると良いと思う。 詩編97編 1:主こそ王。全地よ、喜び躍れ。多くの島々よ、喜び祝え。 2:密雲と濃霧が主の周りに立ちこめ/正しい裁きが王座の基をなす。 3:火は御前を進み/周りの敵を焼き滅ぼす。 4:稲妻は世界を照らし出し/地はそれを見て、身もだえし 5:山々は蝋のように溶ける/主の御前に、全地の主の御前に。 6:天は主の正しさを告げ知らせ/すべての民はその栄光を仰ぎ見る。 7:すべて、偶像に仕える者/むなしい神々を誇りとする者は恥を受ける。神々はすべて、主に向かってひれ伏す。 8:シオンは聞いて喜び祝い/ユダのおとめらは喜び躍る/主よ、あなたの裁きのゆえに。 9:あなたは主、全地に君臨されるいと高き神。神々のすべてを超え、あがめられる神。 10:主を愛する人は悪を憎む。主の慈しみに生きる人の魂を主は守り/神に逆らう者の手から助け出してくださる。 11:神に従う人のためには光を/心のまっすぐな人のためには喜びを/種蒔いてくださる。 12:神に従う人よ、主にあって喜び祝え。聖なる御名に感謝をささげよ。 詩編97編は1-5節は神が創造されたすべて、自然も含めて、地球全体で、喜び踊って祝うようにと詠っている。 そして6節から9節では、イスラエルの民、共同体で主を喜び祝う様子が詠われている。さらに10-12節では、個人的なレベルで主にあって、喜び祝うようにと言わい、感謝を捧げるように詠われているように思う。 クリスマスが、つまり救い主であるイエス・キリストの降誕が個人的なレベルでいったいどういう意味を持っているのか、黙想されると良いと思う。 「主イエス・キリストという神を信じると楽でいいですよ。」という牧師がおられた。 彼の言いたかったことは、この詩編の7節にある、「神々はすべて、主に向かってひれ伏す」という言葉に現れているように思う。 というのは、日本的な文化では、お寺や神社などさまざまな拝む対象が存在してしまっている。安倍総理大臣が戦争で亡くなった方たちのためと言われて靖国神社を参拝されたようだ。私の伯父も戦死したがクリスチャンだったので、もしできることなら安部総理はキリスト教会の礼拝にも出席されるのが良いようにも思ったりする。そうすると外交上、もっと楽にならないだろうか?。。。。また、お寺や神社だけでなく、もっと広い意味で、何かに没頭してしまって、神聖なる主なる神ではないものに対して、それが自分の神であるかのごとくに行動を取り続けている人々もいる。 しかし、そのような神々はすべて、主に向かってひれ伏す。 つまり、その主なる神を信じれば、他の神々も包括しているような部分がある。 といってもすべての神々が主と仰ぐような神がいったい存在するのだろうか?という疑問がでてくる。。。。そのような主なるお方が、人間の体で2000年前に誕生した。 それも、とても理解に苦しむような形で。常識では考えられない結婚をしていない乙女、マリアから生まれた。生まれた場所は馬小屋。そして馬のえさをいれる飼い葉おけに寝かされた。名はイエスと名づけられた。日本でいえば、「太郎」とでもいったらよいか、要はどこにでもあるような名前がつけられた。それがキリスト(救い主の意)イエスの誕生の次第だった。 24日のクリスマスイブの礼拝の祝祷で語られた言葉を以下に記しておきたい。 救い主誕生の喜びがあなたの日々の生活を喜びで満たす。 救い主誕生による平安があなたの日々の心配事をとりさってくださる。 救い主誕生の光があなたの置かれた暗闇を明るく照らしてくださる。 そしてベツレヘムの星の下に生まれた愛なる御子が毎日のあなたの生活のなかで共に歩んでくださる。 父なる神と、その子・救い主と、聖霊の御名によって。アーメン Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
Tweet 「ひとりじゃないの」 マタイ 1: 18-25 ここに集まった会衆の上に、また、この礼拝を覚えながらもこの場所に集えない兄弟姉妹にも、主イエス・キリストの恵みと平安が豊かにあるように! アーメン 1970年代に日本の国民的スーパーアイドルとなった天地真理さんという歌手を知っている方おられると思う。 数々のヒット曲、水色の恋、小さな恋、ひとりじゃないの、虹をわたって、若葉のささやき、等々、のヒット曲が生まれた。最大のヒット曲は何だったかご存知だろうか? ウィキペディアなどで検索してみたが、「ひとりじゃないの」が最大のヒットだそうだ。私はかってから、たった2-3分の歌なのに、それが世間の注目を集める背後には、主イエスが働いているような思いがしてならない。 カンという歌手の「愛は勝つ」、子門真人の「およげたい焼きくん」なども、讃美歌として歌われるわけではないが、私は主イエスキリストとの関係を無視しないわけにはいかないようなストーリがあると思っている。今日は、本日の福音書と関係のある「ひとりじゃないの」ということに焦点を当ててお話したい。 第四アドベントの聖日に与えられている聖書の箇所、さきほど読んだ通りである。 聖母マリアの妊娠の話は、ルカ福音書ではマリアに焦点があたっているが、マタイ福音書では男性のヨセフに焦点があたっている。 ここにおられる方々は女性が多いが、ちょっと無理な話かもしれないが、仮に婚約中の男性の気持ちになってほしい。そして、婚約相手が、自分に身におぼえがないのに妊娠したとしよう。どんな気持ちになるだろうか? 今日、不思議なことに、というか意味のある偶然だというべきか、礼拝の後、婚約式をされるカップルがおられる。今日の福音書箇所は、聖書の中で、著しく意味深いヨセフとマリアの婚約に関わる話だ。とにかく、婚約中に婚約相手の女性が別の男性と関係を持ったとしか考えられず、妊娠してしまうなんて、ただごとではない、冗談じゃないという話だ。ヨセフの場合は、ひそかに縁を切ろうと心を決める。 どうしようもない状況のヨセフに、天の使いの言葉、「恐れないでマリアを迎えるように。」「おなかの子は聖霊に宿ったのだ。」「マリアは男の子を生み、イエスと名づけるように。」そして「神の民を罪から救う。」が与えられる。そして、マタイが伝えていることは、それは、もともとイザヤ7章14節で預言していた「乙女が身ごもって男の子を生ヨセフは信仰深いユダヤ教徒だったので、このイザヤの言葉はよく覚えていただろうし、天使の言葉を信じることができたのだろう。 それにしても、新約聖書を見る限り、イエスが生まれてから一度も、「インマヌエル」と呼ばれているのはどこにも書かれていない。 いったいこの話、現代に生きる我々とどういう関係があるのだろうか? 私はイエス時代にだれもイエスのことをインマヌエルと呼ばなかったとしても、インマヌエル、「神が共に私たちと居る」という意味のその言葉は、その言葉通り、過去もそうであるし、現在もそうだし、将来に渡って、真実なのだ。 マタイ福音書は28章まであるが、その最後はイエスの言葉で終わっている、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」となっている。 つまり、わたしたちひとりひとりは、ひとりぼっちだと思ってしまうこともあるが、けっして「ひとりじゃないの」ということをイエスの存在から気がつこう。 いろいろな人生がある。長年の結婚生活をするなかでも、離れ離れに生活している夫婦がいたりする。そのような時代を通って行けるのは、たとえ離れていても、神なる主イエスキリストがずっと共にいてくださるという共通の信仰があるカップルは多くの神の恵みに気づいて生きることができるとおもう。 聖書の中に描かれている多くのイメージの中に神が花婿で、私たち人間は男性女性にかかわらず、全人類が花嫁のようなところがある。 そして、花婿がずっと花嫁を愛し続けてくださっている。たとえ花嫁がどっかそっぽを向いてしまうようなことがあったとしても、ときには、花婿の気持ちを理解できないことが起こるようなことがあったとしても、永遠に花婿は花嫁を、愛し続けてくださっている。 その花婿がイエスとして、この世に現れてくださり、インマヌエル、私たちとともにいてくださる。わたしたち一人一人は、決して、ひとりじゃない。アーメン。 “Not Me Alone”- “Hitorijanaino” Matthew 1: 18-25 May God’s Grace and Peace be with you in this sanctuary! We welcome congregants, visitors and those that wished they were here (but illness or obligation prevent them from attending). Amen. In the 1970s, there was a pop superstar named Mari Amachi. Her songs became very popular and many of them ranked No. 1 on the hit charts at that time. Do you know which one was most popular? I googled and researched a bit. Then I found that “Not Me Alone,” which means you are not alone, was the best-selling song among her many hits… Over the years, even in Japan, I wonder how some songs become so popular regardless of who sings them. I am a strong believer that God, Jesus Christ, is working behind these songs. There were songs like “Love Wins” sung by Kan and “Swim On, Taiyaki!” by Masato Simon. I believe those songs, too, are Biblical and I believe Jesus is in those songs, although they are not really sung in church as hymns or praise songs. In today’s message, I would like to talk about “Not Me Alone” which is closely related to the Gospel text today. On this fourth Advent Sunday, the Gospel text is from Matthew Chapter 1. Regarding Mary pregnancy, if you read Luke, the focus is more on Mary rather than Joseph. However, in Matthew, the focus is really Joseph, the guy who was engaged…
Tweet LCR日本語部週報通算#1286号 (日本語) 2013年12月22日の週報 LCR日本語部週報通算#1286E号(英語) Sunday English Bulletin 1286E Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
Tweet 今週は与えられている詩編は80編の1-8節と18-20節を読もう。今週も最初にできる限りこの詩編作者を想像しながら詩を味わってみよう。次に、待降節にあって、主の降誕と再臨を覚えながら、神はこの詩編を通して現代を生きる私たちに何を語っているか黙想してみたい。 詩編80編 1: 【指揮者によって。「ゆり」に合わせて。定め。アサフの詩。賛歌。】 2:イスラエルを養う方/ヨセフを羊の群れのように導かれる方よ/御耳を傾けてください。ケルビムの上に座し、顕現してください 3:エフライム、ベニヤミン、マナセの前に。目覚めて御力を振るい/わたしたちを救うために来てください。 4:神よ、わたしたちを連れ帰り/御顔の光を輝かせ/わたしたちをお救いください。 5:万軍の神、主よ、あなたの民は祈っています。いつまで怒りの煙をはき続けられるのですか。 6:あなたは涙のパンをわたしたちに食べさせ/なお、三倍の涙を飲ませられます。 7:わたしたちは近隣の民のいさかいの的とされ/敵はそれを嘲笑います。 8:万軍の神よ、わたしたちを連れ帰り/御顔の光を輝かせ/わたしたちをお救いください。 18:御手があなたの右に立つ人の上にあり/御自分のために強められた/人の子の上にありますように。 19:わたしたちはあなたを離れません。命を得させ、御名を呼ばせてください。 20:万軍の神、主よ、わたしたちを連れ帰り/御顔の光を輝かせ/わたしたちをお救いください。 今週の詩編もだれが作者であるか断言はできないし、時代も明確ではない。まず2節にある「顕現してください。」、3節にある「来てください。」という願い、さらに、5-7節に書かれている言葉から想定すると、詩編作者が属する国、イスラエルの民が、とんでもないピンチに陥っていることが考えられる。4節、8節、12節の言葉は、ほぼ同じ言葉が繰り返されているが、なかでも「わたしたちを連れ帰り」という表現からして、どこかほかの国へ民全員が捕囚されてしまっているような状態なのかもしれない。そのような状況のなかで、18節の言葉から考えると、神と同等の方が力をもって救い出してくださらないとならない状況を訴えているように思う。 そして、19節では、神への忠誠心を誓っているように思える。 4節、8節、20節で、3回も繰り返されている言葉の中で、「御顔の光を輝かせ」という言葉がある。 毎週の礼拝は、派遣の讃美歌を歌って終わるが、その前にいつも、「祝祷」がある。 祝祷では、 「主があなたを祝福し、あなたを守られます。 主の御顔があなたに輝き、あなたに恵みを与えます。 主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えます。」 という言葉が語られている。 詩編80編のなかで「御顔の光を輝かせ」という言葉と近い言葉が祝祷の中でも使われていることからして、そもそも「御顔の光を輝かせ」や「御顔があなたに輝く」や「御顔をあなたに向け」が、主が民に親密であり、主が近くにいてくださる状況を詩編80編では乞い願っているように思う。 以下は、この80編を私たちが21世紀に読むことを通して、神がわたしたちに何を語ってくださっているかを考えたい。詩編の80編の大きなテーマは、「神にすぐに来てください。顕れてください。」と言ってよいと思うが、作詞された時代と現代とで、「神にすぐに来てください。」という緊急性の違いがあるかどうかということを考えた。 現代にあって、宗教を避けようとする機運が高まっているように感じる。そのような世間情勢は、ある意味、「神様なんて来ていただかなくていいんですよ。」という社会的風潮を感じる。 しかし、本当にそうなのだろうか。しかし、実際問題、人類が自らの努力とか知恵だけでは全く解決できない問題にたくさん遭遇している。もう三年近く前になるが、東日本大震災、また最近のフィリピンの台風やアメリカ各地でおこる竜巻などの自然災害などはもちろん、アメリカの債務が天文学的な数字になってしまっていることや、日本もそのGDPからすればとてつもない債務になっていて、解決策があるとは思いがたい。また諸国間の外交問題も不協和音が響いているように思う。世界的に大きなピンチに陥っているように思う。そこで、礼拝堂で協和している和音を聞き、神に祷り、神にすぐに来てくださいと歌うように、詩編80編が招いているように思う。 復活ルーテル教会の聖餐式で、よく「マラナタ」を歌うが、その意味は、「主よ、来てください。」 アーメン。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace