Archive for November, 2011

Tweet   週報通算#1191  2011 12 4W Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 2011 Christmas Invitation Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 「嘆きから希望に」   “Desperation to Hope” イザヤ書64章1-9節 神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平和が、あなた方にますます豊かに与えられるように。アーメン。 今日から教会は4週間にわたってアドベントのシーズンに入ります。今日の説教は3つの話でアドベントのシーズンとはどういうものかを皆さんに話したいと思います。 まず最初に、ソーレン・キルケゴールと言うデンマークの牧師さんで、神学者である人の書いた話を紹介しましょう。 あるヨーロッパの国の王子様は、年頃になり、自分の后、将来のQueenになる人を探し始めました。ある日、父であるKing から頼まれた田舎、それも貧しい町を訪れていた途中に 美しい小作人の娘を見つけ、一目惚れしたのです。しかし、ここに問題があります。どのようにこの娘さんをPrincessとして迎え入れるかと言うことです。もちろん、この娘さんに無理やり奥さんになってくださいと言うことも出来るかもしれませんが、それはよろしくない。王子様の勲章のついた正装でこの娘さんのところに言ってこの娘さんの両親と娘さん自身に跪づいて結婚して下さいと言っては、娘さんは慌てふためくでしょう。ではどうしたらいいか。そこで考えた結果、王子様は、自分の服を脱ぎ捨てて、小作人の服をまとい、この村に入り、そこに住んで、まったく小作人となって娘さんと知り合いになる。そして自然と同じ村の人間となってはじめて、むすめさんに自分の愛を打ち明けるという形をとったのです。時間をとってお互いに信頼できる関係になって始めて王子様はこの娘さんに、求婚したのです。 これと同じように、イエス様は神様によって一人の人間としてこの世に送られました。お母さんのマリアさんは普通の人間です。成人になったイエス様も普通の人間として生活してきたのですが、時が来て、神様の御心がイエス様を通して語られたのです。  二つ目の話は、二人の子供、それは6歳の男の子と4歳の女の子がある土曜の夜に両親に連れられておじいちゃんとおばあちゃんの家にやってきた話です。夕食が終って子供たちはベットに寝かされ、お母さんがそうっと子供たちに言いました。「お母さんとお父はこれから、スーパー・マーケットに行ってきます。ちゃんとねんねしてちょうだいね」と。 子供たちはお母さんとお父さんにキスしてお休みなさいと言って目をつむったわけですが、両親の車のドアが閉まる音と車の走り出す音をはっきり聞いたのです。子供たちが次にお父さん、お母さんとの連絡があったのは、それから11年たってのことでした。二人の子供に宛てた手紙の中に、両親はこう書いたのです。「ごめんなさい、お母さんとお父さんはこの11年にいろいろ苦労をしました。職もな、貯金もない、パートの支払いもできないで、行くところもなく、あなたたちのめんどうをみることができなくなってしまったのです。夜は公園のベンチで寝て、食べ物は、ごみ籠の中をあさったのです。わびしくて、自殺しようかと何回も思いました。でもね、その度に、あなたたちの顔が目の前に現れたのです。いつか人生の生き方を取り戻してあなたたちを迎え入れることを信じています。こんな悪いお父さんとお母さんを赦してはもられないだろうけれど、また一家、一緒に住めるその時が来ることを祈ります」と。 さて皆さんから「岸野先生、今日から待ちに待った待降節、アドベントのシーズンに入る、そしてクリスマスと続くのに、そんな時に、どうしてこんな悲しい話をするんですか?」と言われてしまうでしょう。しかし、この話をした理由は同じような歴史をユダヤ人はイエス様の到来する紀元前7百年も前に経験してきたからです。 それは何かというと、イスラエルの国がユダとイスラエルと言う二つの国に分かれた後、アッシリアと言う国によってユダヤ人は外国に捕虜として連れられていかれたのです。ユダヤ人が自分たちの土地、財産、将来の夢もすべて奪われて奴隷として自分の住み慣れた土地から追い出されたわけです。この後バビロンと言う国もユダヤの地を治めるようになり、続いてローマ帝国がイエス様の時代にはイスラエルの人たちの土地を占領したのです。 皆さんは旧約聖書の中で出てくる預言者といわれる人たちの事を聞いたことがあると思います。17人もの預言者がユダヤ人はいつも神様に忠実でありなさい、神様の戒めを守りなさい、同じユダヤ人同士の戦い、分裂をなしてはいけないととの忠告をしていたにもかかわらず、神様の御心に反する行動に走っていった時、預言者たちはユダヤ人に、暗闇の時代が長い、長い時間続く、しかし哀れみ深い神様はいつの日にか、ユダヤ人だけでない、すべての人類を救う救い主を送ってくださるとの予言をしてきたのです。預言者イザヤは聖書の中で出てくる17人の預言者たちの中で、救い主は苦難の僕の形で到来し、すべてこの救い主に従うものは、ユダヤ人を超えた、すべての人類に神様の愛を示すと述べ伝えたのです。 今日の第一の旧約聖書の日課イザヤ書64章は捕虜として捕らわれていたユダヤ人たちが何世代の後、先祖のユダヤの土地に戻ってきた時に見たこと、感じたことを預言者イザヤによって書かれた言葉です。その一部をもう一度聞いてください。 「喜んで正しいことを行い、あなたの道に従って、あなたを心に留める者を、あなたは迎えてくださいます。あなたは憤られました。私たちが罪を犯したからです.しかし、あなたの御業よって私たちはとこしえに救われます。主よ、あなたは我らの父。私たちは粘土、あなたは陶工。私たちは皆、あなたの御手の技。どうか主が、激しく怒られることなく、いつまでも悪に心を留められることなく、あなたの民である私たちすべてに目を留めてくださるように」。 ユダヤ人が、外国での捕虜、奴隷の生活から開放されて、イスラエルの地に戻ってきたのですが、すべてのこと、すべてのものが混乱状態です。エルサレムは荒れ果て、神殿も破壊され、彼らの住むところもない。捕虜を逃れてこの地に残った少数のユダヤ人は、外国人と結婚して、その子供たちは誰が本当の神様であるかも知りません。イザヤの話す言葉は捕虜から帰ってきた者の大きな泣きごと、また神様に私たちを見捨てないでくださいと言う願いです。 これは最も捕虜として暮らしていたユダヤ人に限ってのことではありません。心の嘆き、心の苦しみは、今現在、私たち一人ひとりも経験しているはずです。そこに神様の私たちへの愛を感じたいのです。神様に抱かれたいのです。それなのに、神様が近くにいてくださって、私たちを見守ってくれていると言う思いになれないのです。 はっきり言ってそれは紀元前7世紀に書かれた預言者イザヤの時代だけでなく、現在今、私たちの経験していることではないでしょうか?経済の問題で、多くの人たちが解雇通知を受け、失業によるある程度のお金は約束されていると言っても、それにも限りがあります。クリスマスはプレゼントの交換の時などと言いますが、そんなお金を使う余裕もないと感じている人達は今時沢山いるはずです。さて、ここで今日の3回目の話を聞いてください。 Maryland州のBaltimore の新聞、Baltimore Sunが何年か前に次の話を載せました。それを紹介しましょう。フィリップは無職の松葉杖に頼って歩く40歳の男で、住んでいた家の家賃が払えなくなり、今では、ボルチモアの市が建てた仮の宿に寝泊りしています。彼には奥さんと4人の子供たちがいたのです。彼は新聞のリポーターとしてこの貧民街をクリスマスに訪れていた人にこう言いました。「クリスマスの朝、子供たちが、順番に、サンタから贈られたプレゼントを目を丸くしてサンタさんありがとうと、はしゃいでいた姿を思い出すと、それがなんと幸福の時であったか思い出すのです。その幸福な思いをこの世から離れる前に、もう一度感じることができたら、どんなに素晴らしい事だろう」と。一人ぼっちで生活するのは淋しいことです。切ないことです。涙が出てきて止まらないほど悲しいことです。 私もこのクリスマスの時に母と一緒にいてあげたい気持ちでいっぱいです。私の母は、東京老人ホームと言うルーテル教会の経営している処に入ってもう4年過ぎます。一年ほど前までは自分の部屋に電話があったので、週に何回か電話で話をしました。しかしこのごろは電話の使い方もわからなくなってこちらから電話をしてももう電話に出ないようになったのです。ですから母が昼ご飯を食べるような時を見計らってホームの事務所に電話をし、その携帯電話を母のところまで持っていってもらってやっと話ができるのです。 「お母さん、豊ですよ。元気にしてますか?」「誰ですか?」「息子の豊ですよ。ゆうちゃんですよ」。「ええ、ゆうちゃんなの?今どこにいるの?」「アメリカからですよ」「あんたに会いたい。お父さんね、どこかに行っちゃったよ。どこにいるんだろうね。」私の父は去年の6月に亡くなったのですが、母は父のお葬式にも出ていたのにその覚えがないんです、これがこのごろの電話の会話でそれ以上長く続きません。「また電話するからね、元気でいてね。 私は日本から離れ、アメリカで生活するようになって今年で37年目です。その間両親は私と私の家族をフィラデルフィア、ダラス、そしてリバーサイドにも3年に一回訪れてくれたのですが、母はもう飛行機の旅はできません。ですから私が年に1,2回母を訪ねるのです。私の日本の家族は、毎年クリスマス・イブの礼拝を心待ちにしていました。その日にはお赤飯もありました。宣教師の家族は大きなケーキを焼いて持ってきたのです。礼拝の時も、食事の後も何曲ものクリスマス・キャロルを歌ったのは最高でした。 私の家族は毎年、クリスマスの後の一週間、ペンシルベニアの家内ナンシーの実家で過ごします。ナンシーの兄弟、姉妹の7人とその奥さん、旦那さん、孫たちもアメリカ中から集合するので全部で24人の集まりです。それは楽しい時でありますが、義父がこの6月に亡くなったのです。ナンシーは今年はなんだか物悲しい時になるのではと言ってます。私たち一人ひとり、アドベント、クリスマスに関する思い出、それは素晴らしい、あるいはその反対に物悲しいものかもしれません。憶えて欲しいことは、神様、イエス様が、私たちと共にいてくださることです。一緒に祝う時も、悲しみに沈むときも神様がいつも私たちと共にいることです。私たちを励まし、私たちに希望を与えてくださるのです。 そのことを覚えて、これからのアドベント、神様に祝福されたクリスマス・シーズンを迎えましょう。どうか、主イエス様があなたの毎日に恵みを与えてくださるよう祈ります。アーメン。       Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 2011年12月のCalendarを掲載致します。 Calendar 12, 2011C Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 週報通算#1190W (日本語) 2011 11 27W   週報通算#1190WE (英語) 2011 11 27WE       Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 週報通算#1189W (日本語) 2011 11 20W 週報通算#1189WE (英語) 2011 11 20WE     Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet マタイによる福音書25章:14-30節 「神様の関心と利息」“Gods’ Interest” 私たちの父なる神、および主イエス・キリストから、恵みと平安があなた方にあるように。アーメン。 皆さんの中で、1999年の終わりに世界中の人々が、心配していたことがありましたが、それが何だったか覚えていますか? 世紀の変わり目にはいつもノーストロ・ダムというような人が、世界の終わりを予告していた。それはY2Kと呼ばれていた問題で、Year 2000、省略して Y2k、つまり、1999年の終わりと2000年の境に、コンピユーターの機能が、おかしくなり、世界中でいろいろな問題が出てくるとの予告です。思い出しましたか? 核弾頭を積んだロケットが発射される。電気も止まる。電話も通じなくなるかもしれないと世界中がパニック状態になると大騒ぎしたのです。 しかし新年2000年を迎えて、コンピユーターは今まで通りに働いていた。恐れていた問題は何も起こらなかったのです。どうも私たち人間は不安を感じると、心が動揺して今までやってきたこともできなくなるのです。それと同時に不安になると人間はどうもお金にしがみつくようになるのです。3年前、オバマ大統領が就任されたとき、アメリカの経済は、それは世界の経済も含めて、メルトダウンの状態でした。1929年に起こった大不況と同じものが、私たちの経済を襲った、そこで多くの人達は自分のためていた貯金をすべておろし、また株に投資していた人たちもそれを現金に戻し、それをベットのマットレスの下に隠したのです。 さて11月に入り、毎年この時に来年の企業の予算が発表されます.教会でも同じで来年の予算をこの時に組むのです。 ところで、今日の福音書の譬話はイエス様のお金についての話です。神学校で福音書の授業を受けていた時, 先生からイエス様が話された福音書の言葉の中で、お金については3番目に多く出るトピックスですと聞いたことがあります。イエス様はお金の話の中で、私たちの神様への忠実さを話しているのです。お金というものそれ自体は悪いものではありませんが、私たちはお金が人の心を奪うことを知っています。それはお金、財産、というものが私たちの心の中で一番大切なものとなるとき、神様を私たちの心のはしっこに追い払うような思いになるからです。 イエス様のタラントという言葉で話された今日の話し、それでイエス様は何を言うとされているのか考えて見ましょう。この譬話は主人が長い旅に出る前に,3人の召使いにそれぞれの能力に応じて、自分のお金を預けてそれを管理しなさいと命じたのです。はじめに呼び出された召使は5タラントのお金を預かされました。ところでタラントというお金の価値はいくらぐらいのものであったか、見当がつきますか?この一タラントという金額は、働き手の1年間に与えられる金額です。一時間に受け取る金額が10ドルとし、一週間40時間働くとしたら、一週間で400ドル、そして400ドル掛ける52週間では$20,800ドル。そんな大金を預かされたのです。後の二人はその3倍、5倍のお金を預かされてそれを有効に使って増やしなさいというのが主人の希望したことです。 さて主人が出かけた後、5タラントを預かった召使はそれを上手くインベスト(投資)してそれを2倍に増やしたのです。同じように、2タラントを預かった召使はそれを2倍に増やしました。主人が帰ってきてこの二人を褒めたのは当然です。しかし1タラントを預かった召使は、帰ってきた主人にこう言ったのです。「ご主人様、私はあなたが、蒔かないところから刈り、散らさないところから集める、厳しい人であることを承知していました。そこで恐ろしさのあまり、行って,あなたにタラントを地の中に隠しておきました。ご覧ください。ここにあなたのお金があります。」この主人ががっかりしたというより、怒った気持ちはわかります。どのような仕事をするに当て、私たちは一生懸命努力をすることによって報酬を受けるのです。そのために犠牲を払うこともあります。英語ではこれを “No pain, No gain”と言います。三番目の召使の間違いというより、失敗ごとは、心の中の不安にまどわされて、自分は預かったお金をもっと大きくすることを考えれば考えるほど自分にはそんなことができないと思うようになってしまったことです。ですから彼がしたことは英語で言う “Play it safe” です。土を掘って、そこにお金を隠しておこう。そうすることによって、私はお金を増やすことはないが、お金が減ることもない。これは熱い水でもない、冷たい水でもない、生ぬるいお風呂に入ってこれが一番な幸せと言っているようなものです。 この譬話は恵みあふれる,慈悲深い神様のことを語っているのです。しかしまた、召使、または僕としての私たちの神様に対しての感謝を私たちの言葉と行動によってあらわすことを求められているのです。先に使われたお金、それはタレントンと言いますが、その言葉を聴いてタレントンとはもしかして英語で言うタレントと関係があるのではないかと思った方もいらっしゃるでしょう。全くその通りで,タレントンは重さを測る秤に使われた金属の重みです。それがお金の価値の言葉として使われるようになったのです。私たちが良く耳にするタレントとかタレントさんは何か才能を持った、価値のある者、才能のある人と使われるようになったのです。私たちに何かの才能があったとしたら、それは神様が私たちに下さったギフトです。そのギフトを一生懸命使う、それを神様は私たちに望んでいるのです。 皆さんは神様からいただいたタレントが自分にとって何であるか知っていますか? 私たちは、自分のタレントをみいだし、それが神様からのギフトであることを知るところに喜びを感じることができます。私には何のタレントもないという人がいるかもしれませんが、そんなことはありません。神様は私たち一人ひとりに特別なギフトをくださっているのです。それを知り、それを使うことは大切です。自分でそのギフトとは何であるか分からないという人は自分に親しい人に直接私のギフトとは何でしょうと聞いてみるのはいいことです。誰でも神様からいただいた素晴らしいギフトをいただいているのです。その素晴らしいギフトを人と人の生き方の中で実行するよう私たちはイエス様から命じられているのです。 インドのカルカッタで、人から見放されたような人に施し、人間の屑とも言われていた人たちに神様の哀れみと心の憂いを捧げてきたマザー・テレサが毎晩、床に入る前に唱えた祈りを紹介しましょう。 それは、「今日わたしはイエス様に何をしたでしょうか?」 “What did I do to Jesus today?”「今日私はイエス様のために何をしたでしょうか?」 “What did I do for Jesus today?” そして、「今日私はイエス様と共に何をしたでしょうか?」 “What did I do with Jesus today?” マザー・テレサは続けてこう言いました。「両手を広げてこの私の手は今日、どのようにイエス様を賛美することができたでしょうか?」と。 イエス様に従う私たちは神様からいただいたギフトを持って、神様を賛美するのです。 もう15年前ですが、映画で大ヒットした  “Sister Act” というComedy の主人公であるWhoopi Goldberg という黒人の女優さんがカトリック教会のシスターとして登場しました。教会のミサはいつも、グレゴリア・チャントという厳かな音楽で行われていましたが、それを歌うSisterたちも何か礼拝が、形だけで、活気がないと感じるようになり、Rock’n Roll のような形で歌い、踊りだしたのです。何か活気のない、萎びた礼拝が、神様の聖霊によって踊り出るような形になったのです。 別に私たちの礼拝が、踊りだすような形にならなければならないというのではありませんが、礼拝の中で私たちは、神様の聖霊と触れ合うことができるようになりたいのです。また、聖霊のギフトによって私たちの生活と心が清くなり、また、私たちの一人ひとりの生活の中で神様の愛がにじみ出るような者となれるように祈るのです。 またマザー・テレサに戻りますが、誰かがマザー・テレサにこう質問しました。「あなたのなさった仕事の成功の秘密は何でしょうか?」しばらく首を傾げて考えていたマザー・テレサはこう答えました。「私は、イエス様が私たちのすることを成功したとか、しなかったと言ったことはありません。イエス様は、愛による他人に対しての約束、誓い、真実さを私たちの人と人の付き合いの中で実行しなさいと言われているのです」と。 神様が私たちに「お互いを愛し合いなさい」と言われた時、私たちは思いも、言葉も、行いも、すべての誠実さをもって、自分のありがままの姿で、隣人に関係を持つことができますか?  それができるような人間になりなさいとイエス様は言われているのですが、自分だけの力ではそれができないのです。神様の愛が私たち一人ひとりの心に入ってくることによって、私たちはこの自分を超えた力によりお互いを愛することができるのです。 今日の説教の話はイエス様に忠実でありなさいと言われてもっともですが、私が思うに今日の福音書の話は実はイエス様自身が旅に出た話として受け取ることは出来ないでしょか?その旅とはイエス様の復活の後、天に上げら、そこから私たちのことを見守っているのです。イエス様はいつかまた、私たちのもとに来てくださる。その時私たちはイエス様に忠実な生活をしているでしょうか?そのように考えると、私たちは神様からいただいたギフトを使って多くの人に神様の福音を分ち合うことを命じられているのです。 神様は、私たち一人ひとりに何かのタレントを与えてくださっているのです。そのみなさんのタレントは何でしょうか? 人の接待の上手な人、料理、お花、歌の先生、人の悩み事、相談事に乗ってくれる人、いつも電話で、「あなたどうしてますか?お手伝いでもしてあげられることありますか」と人の面倒を見ることをいつも気にすることができる人、お金の管理、年金、貯蓄などの問題を一緒に考えてくれる人、コンピュターに強い人,いつも笑顔で私たちを迎えてくれる人、私たちの体、病気についてアドバイスできる人、実際に私はその人たちを思い出しながら皆さんが持っている美徳、Spiritual gifts、それは神様からいただいたあなた方の素晴らしさを考えるのです。 私たちの人生は神様からいただいた聖霊によって、お互いが、お互いを大切にして生きることるにより神様の国をこの地上で実行することができるのです。アーメン。                   Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet BISHOP FINCK TO LEAD CONVERSATION All are welcome to participate in our conversation related to our Japanese MinistryandLCR’s commitment to a multicultural ministry. Bishop Finck will facilitate the discussion on Saturday, November 19 between 9 a.m. and noon.                                               JAPANESE MINISTRY CELEBRATES 23RD ANNIVERSARY Congratulations are extended to our Japanese Ministry as they celebrate 23 years of faithful ministry   at LCR. We have been honored by their support and inspired by their commitment to share the values and culture of their tradition. As members of LCR, we are grateful for the way Japanese Ministry has integrated itself into the whole life of thecongregation. Our ministry has been enriched by their faithfulness and enerosity of spirit.                                             Friendship Task Force FLOWER ARRANGING The Friendship Task Force (FTF) Committee is sponsoring a Thanksgiving flower arranging class on Saturday, November 19, from 1:00 to 3:00 (please note the new time for this class only). Mrs. Lin will assist us in creating beautiful fall centerpieces. Sign-ups for this class begin on Sunday, October 30. The cost is $20 and, as always, you are asked to bring a pie tin or other container for your arrangement, and a pair of scissors.                                           JAPANESE MINISTRY ANNIVERSARY On Sunday, November 20, LCR’s Japanese Ministry is celebrating their 23rd anniversary with a special service. Both Pastor Tateno and Pastor Itoh will be visiting LCR for the event. At that time, FTF will present to them a $2000 check for the Japanese Disaster Relief. This is the money which was raised by the generosity of those…

Tweet 11月20日はLCR日本語部の宣教開始第23周年記念特別礼拝を 日本福音ルーテル教会事務局長の立野泰博牧師を迎えて 行います。ここにFlyerを掲載いたしますので、是非ご覧の上 先生よりこの度の東日本大震災のボランティアの目で見た実情を 聞こうではありませんか。 特伝チラシ2011 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet   週報通算#1189W (日本語) 2011 11 6W   週報通算#1189WE (英語) 2011 11 6WE Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace