Archive for March, 2012

Tweet 週報通算#1206号 (日本語) 2012 4 1W Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet Cherry Blossom Luncheon Flyer   FTF(友好実行委員)主催による桜祭りランチョンが開催されます。 日本の様に桜の木の下で楽しい御弁当を食べる雰囲気を Bercaw Hallで味わって頂きます。「さくら、さくら」をアメリカ人の会員も 英語で歌ってくれます。 是非ご参加下さい。詳細はチラシを!! Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

March 27th, 2012

2012年4月Calendar

No Comments, 教会Calendar, by admin1.

Tweet 4月のCalendarを掲載します。 April 2012 Calendar Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet 週報通算#1205号(日本語) 2012年3月25日の週報 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet ヨハネによる福音書12章20-33節『もし種が死ぬなら』”If a Seed Dies”   私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなた方にあるように。アーメン。 私は、1970年に高校の交換留学生として一年間Redding という北カリホルニア州でホーム・ステイをしました。北カリホルニアはこの南カリホルニアと気候も、文化も、政治的にも色々な違いがありますが、私の住んでいたところは、夏が100度を越す日の多い、また冬は30度のような日が続くところでした。しかし空気も、水も綺麗で,本当に自然に接した生活の所でした。水の澄むサクラメント川はオレゴン、アイダホ、ユタ州からの雪と雨でいつも豊富で、水についての問題は南カリフォルニアに比べたら贅沢なほど恵まれています。 今日の福音書を読んでいた時、特に、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」と言う言葉が、ああこれはまさにサクラメント川を遡る鮭salmon と同じではないかと思ったのです。 ホームステーをしていた家のご主人のJerry Tuckerさんに面白いものを見せてあげると誘われて行き着いたところはサクラメント川が木の枝のように分かれていたところにこれは、私にとって初めての経験だった、鮭の川登の姿でした。それも何百匹もの50センチから1メーターあるよう鮭たちが川上を目指して一生懸命泳いでいた姿です。これらの鮭はこの川、サクラメント川で生まれたのです。サクラメント川は、San Francisco 湾まで流れていますから、川だけで300マイルの逆流を泳いでくるのです。時には川を泳いでいると言うより、跳ね上がりながら上流をめざしているのです。しかし、その旅は、鮭にとっては、大変な苦労が必要なのです。川上に向けて泳ぐのは大変な労働です。ダムのあるところではコンクリートによる人工の階段が作られていて、そこに川の水が流れています。鮭はその階段を一つ一つは跳ねながら、と言うことは体が傷だらけになりながら、上のほうに登って行くのです。 鮭は自分の生まれた川に戻るのはそこで雌は産卵し、雄が受精させるためです。でもどのように自分の生まれ故郷の川にもどることができるのでしょうか?鳥にしても、蝶にしても、migration と言う北から南へ、または南から北へ、西から東に、東から西にと何千マイルの距離を旅する姿を見ると、これは神様がこのようにすべての生き物に生活の知恵、いやそれどころか、生きるため、命を次の世代に続けてゆく中に計り知れない恵みを感じます。 親の鮭は自分の故里の川に戻ってくる前に5年ほど海で生活してきたのです。鱒も鮭との親戚と呼ばれていますが、鱒は海に出ては行きません。鮭は自分の生まれた川のに匂いを覚えていると誰かから聞きましたが、それは本当です。生まれたその川に成長して帰ってくるのです。どうして自分のふるさとの川が分かるのでしょう。日本では鯉の滝登りと言うことを聞きますが、鮭も川の上流にたどり着いた時にはもう体が傷だらけです。雌の鮭は何百、何千と言う卵をここまで無事に自分の体を犠牲にしてまで、産卵しようという川の水の清らかなところで、鮭として最後の仕事をするのです。 オリンピックのマラソンでゴールまで走り続けることができた選手がゴール・インしたその時すべての体力を使い果たして地面に倒れるように、鮭も産卵、受精させた後の姿は傷だらけ、最後に起こることは次の新しい生命が続くように死ぬことなのです。死ぬことによって次の新しい命が続くのです。もう何百万年以上も前からこのように動物、鳥、魚、昆虫、そして私たちも神様から命をいただき、次の命にバトンタッチするまで、一生懸命生きることを求められているのです。そして今、私たちは神様によって生かされているのです。親から頂いたこの命は何千年,何万年いやそれ以上に続けた命と考える時、私たちは神様の御心がなんと偉大で、素晴らしい、それは神様しかできない計画と思えるのではないでしょうか。 皆さんの中で、「私はいったい何故この世に生まれてきたのだろう」と思われる方、それは私を含めていると思います。私が生まれたくて生まれたわけではありません。しかしここにも神様の私たち一人ひとりに対しての愛が注がれているのです。岸野先生、どうしてそんなことあなたは分かるのですか?と質問されるかもしれませんが、私にとってそれは理屈で考えられることではなく、神様を信じる信仰の中から出てくる私の確信です。 今日の福音書の記事はイエス様が十字架にかかって死ぬ6日前のことです。ユダヤ人たちはこの週にユダヤ人の先祖が、なんとか無事に奴隷として働かされていたエジプトを出てイスラエルに帰ってくることができた、それを思い出し、神様への感謝をこめてのお祭りです。エルサレムはユダヤの方々から、また外国からの人たちでいっぱいでした。その中で二人のギリシャ人がイエス様の弟子のフィリポとアンドレを通して、イエス様にお会いしたいとの願ったのです。その時のイエス様の答えは「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」 私がこの説教の初めに皆さんにお話した、鮭の話と一粒の種の話は行き着くところが同じではないでしょうか。一粒の種が畑の地の中に入れられた。それは葬られたと言うことです。死んで葬られた種はよみがえって新しい命を得、そこに若葉、新しい命が出てきたのです。 植物学者によると、すべての種には胚がついています。その胚には電気のスウィッチの “ON” “OFF” のような機能がついていて、ある一定の温度になると種は寝ていた状態から起き出し、成長するようになるのです。勿論そこに水分も必要ですが。種の殻の中で死んでいたような種が殻を割り、根を張り、地面から出てきて、まるで生まれたばかりの赤ちゃんが始めての呼吸をすることでこの世に出てくるのです。 St. Francis of Assisi と呼ばれている人の名前を御存知の方いると思います。この人は平和のための祈りと言う中でこう書いています。”It is in giving that we receive; it is in dying that we are born again.” 「私たちはあげることにより、受け取り、死ぬことのよってよみがえるのです。」   つい最近私に家の玄関の上の柱に小鳥が、巣を作り始めました。雀の大きさですがお腹が赤い鳥でよくピーチク・パーチク鳴いています。少し離れたガラージの軒下では、毎年山鳩のカップルが、これまた何年も前から出来ている巣に戻ってきました。新しい命をそこで誕生させるためです。 オレンジの花が満開で、ミツバチが、花の蜜と交換におしべの花粉をめしべの先につけている。ここにもまた神様の創造した生き物、それは動物にしろ、植物にしろ、鳥にしろ、虫にしろ、神様がこの地球の中で、素晴らしいものを、私たちに見せてくれているのです。そしてこれらすべてを下さっているのは創造主であるわたしたちの神様です。 信仰を持つ私たちは、恵まれています。私たちはこの世で死んでも、永遠に続く命を神様の国で与えられていることを確信することができるからです。 どうか主の恵みと祝福がこの受難節とそれに続く復活節にあなた方の上に豊かにあるように。アーメン。   Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet ヨハネによる福音書 3章14-21節 「神は、それほどまでに世を愛された」   “For God so loved the world”  私たちの父である神と主イエス。キリストによって神の恵みと平安が、あなた方にあるように。アーメン。 ヨハネによる福音書3章16節はクリスチャンの中で、一番知られている聖句です。英語では “For God so loved the world that He gave his only begotten Son, that whosoever believes in Him should not perish, but have everlasting life.”  これは聖書の中のすべてを短縮した言葉とも呼ばれています。神様によって救いが与えられる、神様の愛は宇宙のように広く、神様は世々限りない命を約束してくださっているのです。 今日の説教は 「神は、その独り子を賜ったほどに」 のテーマの中で、いくつかの話を紹介しましょう。最初の話は、Maria Shriver と言う元カリフォルニア州知事のArnold Schotzneger の奥さんだった方の書いた本、  “What’s wrong with Timmy”という話です。 Kateと呼ばれる女の子がある日お母さんと公園に行き、そこであそんでいるうちに、Timmy と言う男の子に出会いました。Kate は遊んでいるうちにTimmy が普通の子と違うと感じたのです。「Timmy の顔がほかのこにくらべて、なにか平べったい、かけている眼鏡はいつも方チンバ、足も少し曲がっていて、ホップ、ホップと歩いてる。どうしてかな。それでも一生懸命バスケット・ボールで遊んでいる。」 Kateは彼女のお母さんにどうしてTimmy は、みんなと違うの聞きました。Kate お母さんは言いました。「Timmyは生まれた時からみんなと少し違って生まれたの。でもKate, あなたお友達になってあげたらどう?」それ以来KateとTimmy は仲良しになり、何の遊びをするときにも自分のチームに入ってもらったのです。誰でも仲間が必要です。神様は、子供だけではなく、私たち一人ひとりはすべての人にあなたの親切さと、仲間意識を与える義務があるのです。「神は、その独り子をおあたえお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じるものが一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」 次に、皆さんの知っているBilly Graham が話したことのある男を紹介しましょう。この男には双子の兄弟があり、その弟は大きな犯罪を犯して、刑務所に入れられ、その犯した犯罪のために死刑の宣告を受けたのです。双子の兄は弟が大きな犯罪をおかし、それから逃れないことを知っていました。しかし彼はどうしても弟が死刑に架けられることを考えると心が重くなり、ある日、変装をして双子の弟を監獄に尋ねたのです。双子の兄は監獄の個室に入る前、いろいろ調査をされやっと弟の監獄を独りで訪ねたのです。そして双子の弟に言いました。「着ているものを脱いでくれ、私の服を着てくれ。あまり時間がないから何も聞くな。そして監獄の監視員が監獄の長い廊下を歩いている間に、二人の服をまったく取り替えたのです。さて面会時間が過ぎ、双子の弟は、そこに残った双子の兄を後に、刑務所から誰にも気付かれずに出て行ったのです。死刑の日が来た時、双子の兄はまったく彼に迫った死の宣告について嘆くことなく神様の国に導かれたのです。そんな馬鹿なことがある訳がないと思うならインターネットで調べてみてください。Billy Graham の説教の一つとしてこれが見つかります。 考えててみてください。これは私たちのために死んでくださったイエス様と同じではないでしょうか? イエス様は罪のないお方であったのに、私たちの罪を背負って死んで私たちを救ってくださったのです。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。それは独り子を信じるものが、一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 何年も前のことです。若い息子はお父さんと口喧嘩をして、その結果、家を出ました。彼はお母さんとは連絡を取り合っていたのですが、クリスマスが近づき、自分の家、いや、両親の家に帰りたいと思ったのです。しかしお父さんは僕のことを赦してくれないだろうと、悲しく思っていた矢先、お母さんからの手紙に早く家に帰りなさいと書いてあったのですが、でも僕はお父さんから赦してもらえるまで帰れないと悲しみに沈んでいたのです。 お母さんはまた手紙を出してこのように書いてきました。「お父さんとあんたが帰ってこられるよう話してみます。お父さんがあんたを赦してやると言ったら、こうしましょう。電車で帰ってきなさい。駅の前にある踏切の近くの大きな樫の木があるのを覚えているでしょう。あの大きな樫の木に黄色いリボンが結ばれていたら、それはお父さんが、あんたを赦してくれていると言うこと、だから急いで家に飛んで帰りなさい。でもそこに黄色のリボンが見つからなかったら、それはお父さんがまだあんたを許してないと言うこと。そのときには電車で通り過ぎなさい。目を大きく開いてその黄色いリボンがあるか、ないか探しなさい。Love,お母さん」 息子は言われたように電車で両親の家を目指して帰るその途中、心の中で思ったことは二つのことでした。一つはお父さんに僕は本当に赦してもらえるだろうか? もう一つは、どうしよう、本当に黄色いリボンが樫の木に見出せるだろうか。それが実際あっても見過ごししてしまうんじゃないだろうか。 さて駅に近づいて、電車はスピードを落とします。「ああ、もうすぐ踏み切りの所だ。樫の木が見えてきた。黄色いリボンが見つかるよう、神様、私を助けてください」と。さて樫の木のどこにその黄色いリボンが見つかるかと心配したのですが、「ああ、ああ、樫の木は何百もの黄色いリボンで飾られていた。一つではない、何百ものリボン。お父さん、赦してくれてありがとう。私はあなたの放蕩息子であったことをおゆるしください。 さてこの話を聞いてこれは、 Tony Orland と言う歌手の“Tie a yellow ribbon on an old Oak tree”ですねと知っていた人もいると思います。どんな人にも神様は哀れみと許しを求めるものに必要なものを与えてくださるのです。 最後に、Mary Ann Bird と言う人の書いた “The Whisper Test”と言う本の中からの話を紹介します。私は生まれた時からほかの人と違って醜いアヒルのような存在をどうして私はみんなから嫌われるのだろうと悩んでいました。と言うのは私はcleft palateと言う鼻の下から上の唇が見にくい二つに割れた顔を持ってこの世に生まれてきたからです。学校に通いだした時に私は毎日泣きました。私の顔を見て、お化けのような顔、なんか動物のような顔、どうしたの、事故にでもあった、何で言葉がはっきり云えないのと私は何時もからかわれていたからです。生まれつきです。このように生まれたんですと言うと、お化けのようだと言われ、家に帰って泣いた日も沢山ありました。「ガラスのかけらのあったところで転んで唇を切ったんです」と言ったこともあります。しかしその時も私は心の中で何時も泣いていました。私の家族のほかに私を愛してくれる人なんかいないと長い間思っていました。 私が小学校の2年生になった時、Mrs. Leonard という背の低い、ふっくらした体系の女のやさしい先生が、私の組の担当の先生になったんです。一年に一回わたしの学校では耳の検査hearing testがあり、ひとりひとりがドアの所に立って,先生が言った言葉が聞こえたかどうか調べられたのです。先生はたいてい、『空は青空』とか『あなたは新しい靴はいてる』など言われてそれがちゃんと聞こえているか調べられたのです。私の番となり、なにを言われるかなと思っていたとき、思いがけない言葉が私の耳に入ってきたのです。それを聞いて私は泣いてしまいました。先生はウィスパーでこう言ったのです。 “Ann, I wish you are my little girl.” 「アン、あなたが私の小さい娘だったらな」。神様であるイエス様も私たちにこう言ってくださっているのです。  “You are my son!  You are my daughter! You are my child!” “I love you as you.” 「神はその独り子をお与えになったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じるものが一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。アーメン。   Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet 週報通算#1204号   (日本語) 2012 3 18W 週報通算#1204号   (英語) Sunday English Bulletin 1204WE Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet Seder Meal Service and Luncheon PDFのご案内を掲載いたしました。是非ご参加下さい。 予約はLCR日本語事務所まで。(714)964-1912 又は(714)962-5005 (英語) Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet   独学で作曲・演奏を極めるピアニスト、平原誠之さんに、ピアノを独学なさるようになった経緯をお聞きしました。 インタビュアーは私中村京子です 笑  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ Q:ピアノを独学とは? 平原:8歳でピアノを始めたんですが、楽譜の読み方や鍵盤と楽譜の一致などの、本当に基本的なことは先生から習えたのですが、先生の指導どおりに楽譜をなぞって弾くということが、どうしてもできなかったんです。先生の前でピアノを弾きなさいと言われても、かちんこちんに緊張してしまって、全く弾けないんです。それに、ピアノのひきはじめとほぼ同時期に作曲にものすごく興味を持って、誰かの曲を楽譜を見て弾くことよりも、何かテーマにそって自分で曲を作ることのほうが大好きで、友達が遊びに来ると、一緒にピアノの部屋に閉じこもって、友達に「風に揺れるブランコ」などのテーマを出してもらって、そのテーマを思い浮かべながらひたすら即興で作曲しては友達に聴かせていました。だから、ピアノは作曲して表現するために弾くと言う感じで、楽譜を見て習って弾くと言う感じでは全く無くなってしまって・・・それでピアノのレッスンを受けることは止めてしまって、後は自分でひたすら好きなように弾いていました。  Q:そうすると、子どもの頃の夢でピアニストになりたい、ピアノの演奏を自分の仕事にしようと思ったことは? 平原:そんなこと、思いもよりませんでした。ただ、ひたすら好きだから弾いていただけで、弾く事自体が自分の仕事になれるなんて想像もしていませんでした。先生についてピアノを学ぶことがほぼ不可能な僕にとっては、音大に行くといったことも全く想像も出来なかったんで、ただ、ひたすら趣味で好きで弾いていたんですが、阪神大震災で家族が被災し、高校卒業を断念しなければならなくなったんです。その翌年に、震災復興の作曲コンクールがあって、その作曲コンクールで優勝したのが、音楽の道で身を立てていくきっかけとなりました。とは言え、すぐデビュー、というのではなく、そのコンクールで作曲部門で優勝、演奏部門でも2位となったのですが、審査員が「2位となった平原誠之くんの演奏は、突出して素晴らしかったのだけれども、あまりにも型破りすぎて、1位を冠することができなかった。」とコメントするのを聞いて、そのコンクールの聴衆のお一人、今、平原誠之音楽事務所の代表の今治さんが、『音楽は型や枠に押し込めるべきものではない』と憤慨なさり、その時以来、「この平原誠之と言う才能をこのまま埋もれさせては行けない」と後押ししてくださるようになり、このコンクール以来、様々な場で演奏や曲の披露をする機会を得るようになったのですが、「プロとして、演奏に対してお金を頂くようにしなければ、あなたの演奏は、曲は、もっと大きなものにならない、」とデビューの機会を与えていただいたのは9年前、22歳の時でした。その時も、自分が演奏や作曲などの音楽を仕事にしてやっていけるのか、自分でも信じられなかったのですが、初めて、チケットを買って下さる皆様方に演奏を聴いて頂く機会に恵まれた時、『ああ、今までのような、好きだからというだけの演奏ではなく、聴いてくださる方々のために、もっと頑張らないと。』と自分自身、目が覚めたような気持ちになって、それ以来、演奏も随分変わったと思います。  Q:平原さんは子どもの頃からモチーフを心に思い描いて自由に弾くのが好きで好きで、ということですが、作曲なさるのはどれくらいの頻度なのですか? 平原:え??数えてみたこと無いんで・・・・・生活の中での様々な局面で、「あ、今作りたい」と思ったらその場でピアノに向かって思いがあふれるまま弾いていたら、それが曲になるんで・・・  Q:一度作った曲は、その後、よりよい形を求めて、楽譜に手を加えていろいろ作りなおしてみたりするんですか? 平原:いや、ぼくが作曲した曲はまだ、全てが楽譜になっているわけではないんです。全て僕の頭の中にあるんですが、それを楽譜に落とす作業が実は苦痛で、あんまりやりたくないんですよ(笑) でも一度作った曲は、それで完成なので、作りなおすということはありません。  Q:じゃあ、演奏の録音を聞いて楽譜に落としてくれる人がいると助かるかもしれませんね。 平原:いや、楽譜に落とすのは僕自身でないと、僕の曲にはならないです。  Q:確かに、演奏の微妙な細かいリズムや休符などは、作曲者でなければ正確には書き取れませんものね・・・・それに、平原さんの作曲された曲の楽譜があっても、果たして同じように演奏できる人が存在するかというと、それも、また、難しいかもしれませんね。  平原:(笑) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 平原さんご自身にも御覧頂いて、FBやミクシー等に公開して皆さんに読んで頂くご了承もいただきました。 ルーテル復活教会で震災遺児のためのコンサートで涙なさっていた理由も、ご自身が被災なさって学業を諦った経緯が影響しているのかも知れません。中村京子さん:Interviewer                             Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet ヨハネによる福音書 2章13-22節 私たちの父なる神から、恵みと平安とが、あなた方にあるように。アーメン。 今日の福音書はイエス様が、イスラエルの首都であり、またユダヤ教の一番大切な神殿のあるエルサレムに、過ぎ越しの祭りの行事に参加するためにやってきたと始まります。過ぎ越しの祭り、それを英語ではPass overですが、これはユダヤ人にとって一番大切なお祭りです。 アブラハムの子孫であるユダヤ人たちは、昔、神様から与えられたイスラエルの土地から飢饉を逃れるためにエジプトの地に移りました。初めはこの外国の地の中で平和に生活ができたのですが、400年の長い間住んでいるうちに、ユダヤ人はエジプトに住む外国人として人種差別を受けるようになり、奴隷として働かされたのです。男は煉瓦作りのような労働、女は農耕作に借り出されたのです。 しかし神様はモーセをユダヤ人のリーダーとして選び、エジプトの王様にユダヤ人をイスラエルの地に帰らしてくださいと頼んだのです。奴隷がいなくなるとは働き手がいなくなることですから王様はユダヤ人がエジプトから出ることを否定したのです。神様は十の災害、それは、川の水が血に変わること、蛙の災い、蚋の災い、アブの災い、疫病の災い、腫れ物の災い、雹の災い、蝗の災い、暗闇の災い、そして最後に男の初子の災害を送ったのです。これら一つ、一つの災害がエジプト人に押しかかった時、そのたびに王様は「こんな災害があってはたまらない、お前たちユダヤ人は出て行け」と言ったのですが、ユダヤ人たちがエジプトの土地から出ようとした時に、王はひらきなおって、「いや、お前たちはここを出てはいけない」と引き止めたのです。それが9回続いて、最後の初子を襲う災害の前に神様はユダヤ人にこう命令したのです。 「あなたたちは傷のない子羊を殺し、その血をあなた方の家の戸に塗りなさい。そうすると血の塗られている家の戸があるところには災害がはいらず、そこにいた男の赤ちゃんは救われる』と。それをしなかったエジプト人の家にはこの死の霊が入ってきて男の赤ちゃんの命を奪ったのです。なんと怖い、きみの悪い話ですが、神様の言葉を守ったユダヤ人の家には、死の霊が入ってこなかった。これを「過ぎ越しの祭り」としてユダヤ人は今でもこの習慣を覚え、神様の恵みを感謝しているのです。 イエス様の時代にはすべてのユダヤ人に過ぎ越しの祭りをエルサレムで経験することが義務ずけられていました。ルカによる福音書2章によると、イエス様は毎年家族と共に、過ぎ越しの祭りにナザレの町からエルサレムに行っていました。片道だけで70キロほどの道のりを5人の兄弟姉妹もマリアとヨセフと共に埃だらけの道を歩いて行ったのです。過ぎ越しの祭りを終え、ナザレに帰る途中イエス様の両親がイエス様がみんなと家路の中にいないことに気がつき、エルサレムに帰ってみると、イエス様は会堂の中でラビや律法学者と共に聖書の中に書かれていることに討論をしていたと書いてあります。マリアとヨセフはこれを見て、イエス様は本当に神様の計画の中でこの世に送られたものと感じたに違いありません。 さてイエス様の時代に行われていた過ぎ越しの祭りの様子はどのようなものだったかを聖書の言葉の中で考えて見ましょう。ユダヤ人は神様から選ばれたアブラハムをイスラエルの家長としてイスラエルの地に送り、何世代もかけてユダヤ人の国、イスラエルを築きました。しかしイスラエルに何年にも亘っての飢饉が襲い掛かり、エジプトの国まで食料を買いに行ったのです。 これまた長い話になりますが、ヤコブと言う12人の息子を持つユダヤ人、この人はイサクの双子の一人ですが、そのうちの11番目の息子、ヨセフは何時も「私は父ヤコブに一番愛されている」と自慢をしていたことから兄弟たちに嫌われ、ある日穴ぼこに落とされそこで死にそうになっていた時、らくだの商隊に助けられ、エジプトで奴隷として売られたのです。しかしこのヨセフは夢を解読できる能力を持っていたため、たまたま悪夢で悩まされていたエジプトの王様の夢を解読することによって、今の農林大臣のような位を授けられたのです。 聖書は読めば読むほど面白い。と言うのは聖書の中の物語を読むことによって神様の私たち、それはユダヤ人だけでなく、すべての人間に対しての愛を感じることができるからです。しかしそのことが良く分からない、ですから分かるまで教会の礼拝には出席しますが、洗礼を受けるのは今ちょっと待ち、よく分かるようになったら洗礼を受けましょうという人が多いのです。 それは皆さん自身が決めることでこちらから、どうのこうのと言うことはありません。しかしこれだけ知ってください。私たちは神様と神様からの救いの約束というものが良く分からなくても、イエス様に従うとは、神様であるイエス様を信頼し、神様から本当に愛されているものであることを知ることです。 イエス様への信仰は、神様と私という個人的な関係の中で生まれると言われて最もですが、イエス様への信仰は、イエス様を信じる人たちの関係に私たちが結ばれることにより生まれてくることもあるのです。 さて過ぎ越しの祭りの話に戻ります。神様がエジプトで奴隷として何百年も暮らしていたユダヤ人がモーセと言う神様から選ばれたユダヤ人に導かれてエジプトから出る記事が旧約聖書の出エジプト記と言う章の中で書かれています。十回に渡る災害を受けたエジプト人、エジプトの王様はとうとうユダヤ人にエジプトを出て行ってもいいと言い渡しました。しかし、過去に、この王様が何時も心変わりをして、ユダヤの民をエジプトから出させてくれなかったということが多く続いたため、モーセは王様の心変わりがおこらない前に速やかにエジプトを出ようとユダヤ人に伝えたのです。しかし食べ物は旅にとっては必要です。とにかくパンを持っていかなければならない。しかしパンを焼くその時間も惜しい。だからパン種を入れないでパンを焼き、それを持って、急いでイスラエルの地に戻りましょうと、そこにいた何千人、何万人、あるいは何十万人のユダヤ人を引き連れてユダヤの地を目指し出て行ったのです。ところがある所に来た時、そこに川があった。そこには橋など架かっていない。エジプトの川ですから、そこにはワニもカバもいたでしょう。私が思うにそれはRed sea と呼ばれたところだったでしょう。さてどうやってここを渡ろうかと考えてきた時、後ろを振り返ってみると、エジプトの兵隊たちが、馬に乗って近づいて来たのです。またエジプトの王様は心変わりしたに違いがない。どうしたらいいだろうかと考えている時、モーセは同胞のユダヤ人にこう言いました。 「あなた方は恐れてはならない。落ち着いて、主が今日、あなた方のためになされる救いを見なさい。今日、あなた方はエジプト人を見ているが、もはや永久に、二度と彼らを見ないであろう」と。モーセは主に命じられた通りに杖をあげ、手を海の上に差し伸べてそれを分け、それによって、イスラエルの人々に海の中の乾いた地を進むことが出来るようになったのです。 ユダヤ人がこの水を通り抜けた時、エジプトの兵隊たちが川の向こう側までやってきました。川の水が、せき止められているのを見て恐ろしさを感じたのですが、そこに入っていきました。しかし、水は元に戻り、兵隊はみな水死したのです。このところはCharlton  Heston と言う映画俳優がモーセの役をした十戒という映画を見て思い出している方も多いと思います。さてユダヤ人はエジプトから脱出ることが出来たのですが、その後まだ40年にわたってシナイ山のある荒野の土地にとどまらなければならなかったのです。その理由は、何世紀にもわたってエジプトの土地で生活してきたユダヤ人は彼らの土地をほかの民族に占領されていたからです。しかしこの荒野の時代に、神様はモーセを山上に呼び、そこで十戒というユダヤ人が守るべき戒めの戒律を受け取ったのです。 さて今日の福音書に戻り、イエス様はエルサレムの神殿の所で生贄の捧げ物として売られていたところや、外国のお金を両替していたそのテーブルをひっくり返して、怒りながらこう言ったのです。「これらのものを持ってここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」。  ユダヤ人は神殿で彼らの救いのため、神様にささげ物をする習慣がありました。しかしそれらのささげ物となる動物、鳥などを遠いところから持ってくることはできなかったので、神殿のあるところで、両替所、また、神様に犠牲としてささげる、牛、羊、ヤギ、山鳩などを売る所が出てきたのです。それも神殿のまん前でそこが騒がしい所、うるさい所と変わってしまっていたのです。神殿はユダヤ人にとって祈る場所であり、イエス様はこの乱れた神様の家を見て、憤りを感じたのです。だからこそ、イエス様は縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金を撒き散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに、「私の父の家を商売の家としてはならない」と叫んだのです。 私の父の家と呼ばれた神様の神殿、また私たちの教会、礼拝をするところで、イエス様との祈りによる対話、賛美、聖書を読むこと、そして神様に従う私たちになれるような態度以外の思い、行動は慎まなければなりません。もちろん、赤ちゃんが泣くとか、心に重荷のある人が、泣き出すこともあります。しかしこれは例外です。あくまでも礼拝は私たちが、イエス様、神様との対話の時であり、その中で神様の霊を感じる、受ける時です。 最後に、わたしがイエス様とユダヤの宗教のリーダーが衝突した理由が分からないわけではありません。イエス様が、「この神殿を壊してみよ。三日で立て直してみせる。」とユダヤのリーダーに語った時、律法学者、祭司、ユダヤの宗教を司どる人達は何と生意気なことを言うやつだと思われたに違いありません。しかしイエス様の三日で神殿を立て直すという言葉は後にイエス様が十字架にかかった後、三日目によみがえると言うことはその時、誰も分からなかったのです。 私たちの体にも精神にも、同じように神様の聖霊が入ってくることがあるのです。今すぐに本当に神様が私たちの体、心に入るのですかと疑問を持つ方もいられるかもしれませんが、それは信仰生活の中で私たちが、感じることこそ奇跡です。私はイエス様の聖霊に触れました。今神様が私と共にいらっしゃることを心の中で感じています、信じます、と言う時がイエス様を慕う私たちの生活の中で何回も、何回も感じられるようになるのです。それこそイエス様を信じる、イエス様を神様と認める私たちにとって喜びであり、慰めであり、これからもイエス様に支えながら生きていこうという信仰に燃える私たちになることができるのです。 信仰をどのように定義するのは難しいのですが、イエス様を信じ、イエス様に従う生活の中で私たちは何回も、何回も、何回も、何回もイエス様、神様の恵みと救いの経験を私たちの人生の生活の中で知ることができるのです。どうか、主イエス。キリストの霊が、皆様と共にありますよう。アーメン。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]