Archive for February, 2012

February 27th, 2012

2012年3月の予定

No Comments, 活動報告, by admin1.

Tweet 2012年3月の予定 3/1、8、22、29   聖書を読む会                10:30AM Joyce’s Library 3/1、15          事務打ち合わせ              1:00PM 日本語部オフィス 3/3                                     Special Piano Concert                         6: 00PM   LCR 3/4、11、18、25     キリスト教101          10:00AM  Bercaw  Hall 3/5           和太鼓                                      1:00PM     中庭 3/5、26        英会話教室              2:00PM  Joyce’s Library 3/7          スープサパー、礼拝           6:00PM  King of Glory 3/8          CCN 健康講座・ランチ            11:30AM        Bercaw Hall 3/11         日本語部信徒会        1:00PM   T.ホール 3/13、27      アーバイン家庭集会       10:30AM  愛子G.宅 3/14        スープサパー、礼拝       6:00PM  Newport Harbor 3/21                              スープサパー、礼拝          6:00PM  LCR 3/24        Youth Group Yard Sale           7:00AM  LCR 3/28        スープサパー、礼拝         6:00PM  King of Glory                                                 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 創世記9章8-17節「虹の行くて」     “The end of Rainbow”  私たちの父なる神、主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなた方にあるように。アーメン。 今日の説教をはじめるにあたって、私が小さい時よく歌った童謡があります。たぶん皆さんも知っていると思います。「雨雨降れ降れ母さんが・・」と言う歌です。どうぞ私と一緒に歌ってみてください。 「雨、雨降れ降れ母さんが、蛇の目でお迎え嬉しいな、ピチピチ、ジャブジャブ、ランラララン」。雨が降ると外で遊べないけれど、水たまりに足ふみをして遊ぶのも面白かったわけです。でもお母さんに叱られました。「ゆうちゃんだめよ、どろんこになっちゃって」と。 雨と言うと、もう15年前ですが、家内とハワイのカワイ島にバケーションで行ったときの雨の思い出があります。世界のうち一番雨の降る量の多い所はカワイ島で、それも島全体にというよりは、島の一番高いところで、そこでは殆ど毎日にわか雨のような激しい雨が降るのです。Internet で調べたところカワイ島では一年に平均1200㎝、460 inches の 雨量があるのです。 ヘリコプターに乗り、島の全体を空から見ることにしました。カワイ島はJurassic Park と言う怪獣の映画の撮影場で知られたところで、素晴らしい滝がいたるところにあると聞いていました。ヘリコプターに乗った時には、晴天の素晴らしい日でしたのでそれは見られないで残念と思っていた矢先、黒い雲に包まれて風も激しくなって、ヘリコプターもがたがた震えだしたのです。ヘリコプターのパイロットは今度はぐっと高度を上げて雲の上に出ました。パイロットは言いました。ここでしばらく待ちましょう。雨はすぐやみますから。初めてのヘリコプターでこんな怖い思いをしてはらはらしていたところ、雨は急にやみあがり真っ青の空が出てきました。それと同時に島のいたるところで滝が水しぶきと共に見られるようになり、一番素晴らしい光景は、滝の上にかかった大きな虹の姿で、それもいたるところに同時に出たのです。 今日、受難節の第一日曜日の旧約聖書の日課はノアの箱舟の話です。この話は、アメリカでは小さい子供も知っています。子供たちもイエス様の誕生の物語の次によく知られている聖書の話と聞きます。ノアの箱舟は神様に従うよき人々、それはノアの家族、そして神様の創造されたすべての動物のペアを箱舟に入れて洪水から救おうと言う物語の反面、神様に従わない人間たちをすべて滅ぼすという恐ろしい背景のある物語であり、そのところを強調するならば、子供たちに向かない物語なのです。40日間に亘った洪水で地上がすべて水に囲まれ、ノアの箱舟に入っていたノアの家族、そこにいた動物だけが洪水が終わって救われたのです。勿論ノアが箱舟を作り始めた時、人々は彼をあざけって「ノア、お前は馬鹿なやつ、洪水で人間が滅ぶなんてそんなことはありえない」と言ったはずです。 さて教会によっては聖書を文字通り読み、地球の表面すべてが、ノアの箱舟の話のように水で覆われたと信じる人もいます。私がテキサスで何人かの牧師さんたちと聖書の物語をどのように解釈するかと言う討論会に出た時、勿論地球は、神様の裁きによってすべて水に覆われたと信じる牧師さんたちが多いのを思い出します。つまり、ノアとその家族だけが、正しい人たちで、箱舟で救われたが、ほかのすべての者は皆神様を信じなかった悪人だったというのです。 ノアの箱舟の話は、わたしは善人、あるいは、悪人という定義を話すのではなく、神様はこの話を使って神様に従ったノアとその子孫、それはユダヤ人だけでなくすべての人を救う方であるとはっきり言いたいのです。 今日、このノアの箱舟の舞台になったであろう今のチグリス川、また、ユーフラテス川はペルシャ湾に行き着く古代の文明の発祥地です。特にこの二つの川はペルシャ湾に到着するころ並行して流れています。これらの川の川上で大きな嵐があったのは歴史的にも知られています。考古学の学者は大きな嵐があった時に川下、今のイラクのペルシャ湾に注ぐ地域、それはチグリス、ユーフラテスの間にある地域がすべて川の洪水に飲まれた時がありました。聖書にこの箱舟の話の後、出てくるの話はアブラハムが今まで住んでいたウルというまさに洪水を何回も何回も経験している地からカナン、つまり今のユダヤの国に行きなさいとの啓示を受けた話です。 さてノアの話に戻り、彼は神様から言われたことをすべて行ったのです。近所の人たちからからかわれたでしょう。フットボールのコートのような大きさの船を作り始めた時ノアは、いったい神様の言われる洪水が本当に来るのだろうかと疑問をもったと思います。しかし大切なことは、彼が疑問を持ったにしろ、神様の命令に従ったと言うことです。それは神様を信じる信仰です。これは私たちにも言える、大切な信仰の概念ですので、もう一度言います。 私たちは神様に対していつも疑問を持っています。神様に、何故、どうして、何で神様、そんなことがありえましょうかとの疑問です。しかしながら、信仰とはそれ以上に神様を信頼して神様に従う。それが信仰の態度なのです。 ノアについて言うならば、「ノア、お前はこれから起こる洪水でお前とお前の家族そして地上のすべての動物、鳥、を救うために箱舟を作りなさい」 という神様の命令に従ったのです。 40日間に及ぶ洪水が終わり、箱船の中の生き物がすべて救われたその時、神様は虹を作ったのです。虹を見ると素晴らしい、綺麗だ、どうしてこんな美しいものが、まだ太陽が輝きながら、しかし雨上がりの時に出るのだろうかと不思議に思います。ハワイでは、毎日見ることができる虹ですが、普通私たちが虹を見ることができるのは一年のうち5,6回でしょう。しかし、この虹を見る時、神様が「これは私とあなた方の間に結ぶ契約である」 と言われたその神様の言葉と私たちを愛してくださっている、また、神様は私たちを見捨てないという約束を思い出してほしいのです。 私たちの教会では毎日曜、イエス様の聖餐を受け取ります。これはイエス様の体を現すパンとイエス様の流された血を顕わすぶどう酒、あるいはぶどうのジュースを私たちの5感、目で見ること、手で触ること、口の中で、味わうこと、においを鼻で感じることによりそこにイエス様がいるんですよと経験するのです。私たちはこの5感を持ってそこにイエス様がいらっしゃることを知るのです。 虹が神様の私たちへの救いのシンボルであるように、聖餐はイエス様こそ我らの父なる神と信仰告白する私たちに与えらた、喜びの行事です。またこの神様が私たちと共にいらっしゃる喜びは、私たちの信仰生活の中でイエス様に従う弟子として生きる力を与えてくださるのです。 ああ、虹について一つ言い忘れたことがあります。と言うのは皆さんのうちに、晴れた、晴天の日に出る虹を見たことのある人、いらっしゃいますか?もちろん、答えは 「NO」で晴れている日に虹は出てこないのです。空に大きく虹が出てくる時は大雨、嵐の後です。雷の大きなゴロゴロとの大きな音と稲妻のピカットと光る嵐の後です。 同じように、私たちの人生も嵐に襲われることがあります。しかしイエス様に従う信仰を持った者に、神様は嵐の後に素晴らしい虹を与えてくださるのです。わたしたちが、思い悩むその人生の難しい時を過ごさなければならない時もあるのです。その後に神様の大きな、私たちに対しての思いやり、神様の恵みが下ってくるのです。人生が自分の思うままに暮らされている時、虹は私たちの目の前には出てきません。 難しい人生をとうして、信仰が揺さぶられた時、そこに神様の恵み、哀れみ、神様の愛が心の奥底まで私たちに賜物として与えられるのです。 最後に皆さんに質問したいことは、虹の行き着く所には何があると思いますか?アメリカ人はそこに “ Pot of Gold”、金貨のたくさん入った壺があると言います。 私はそこに神様の恩恵 Graceが見出されると信じます。 いつかまた虹を見た際には、どうかそこで、神様の愛があなたに何時も与えられていることを心の中に感じてください。アーメン。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

February 23rd, 2012

2012年3月Calendar

No Comments, 教会Calendar, by admin1.

Tweet 2012年Calendar March Calendar 2012C  予定が変更される事もありますので 週報と合わせてご覧下さい。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 週報通算第1201号(日本語) 2012 2 26W 週報通算第1201号(英語) 2012 2 26WE Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet Piano Concert Mar 3、2012 3月3日(土曜日)午後6時よりLCR・復活ルーテル教会礼拝堂で平原誠之のピアノ・ コンサート(チャリティ)があります。 Flyerを掲載しますので、ご覧の上是非お出で下 さい。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 週報通算#1200号(日本語) 2012.2.12W   週報通算#1200号(英語) Sunday English Bulletin 1200E   Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet マルコによる福音書1章40-45節「イエス様、清めてください」 “Jesus, Make Me Clean” 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたの上にありますように。アーメン。 ここにいるお母さんたちに質問します。子供たちがまだ小さかった時、「お母さん、私を抱いて」あるいは「ママ、抱っこしてよ」と言われた時、なんて答えましたか?答えは「おいで、だっこしてあげるわよ」ではなかったでしょうか? ところで、同じ息子、娘が公園の砂場で砂と泥んこのお団子を作っている。そのお団子をもってきた汚れたままの手で、「ママ、抱っこして」と言われたらどうしますか?「触らないで、お手手洗いなさい、きれいになったら抱っこしてあげるから」ではなかったでしょうか?小さい子供はどうも好んで泥んこの中で遊ぶのが大好です。それは私も同じでした。私の通った幼稚園は毎日男の子でも、女の子でもエプロンを着て、幼稚園に行ったのです。 泥んこの子供を抱き上げるのは少し抵抗あると感じるお母さんも、転んで、怪我をした、ひざから血が出ている、そのような娘、息子が、泣きながら「ママ、抱っこ」と走って来た時自分の服が汚れるなんて思わずに、すぐに、息子さん、娘さんを抱きしめたのではないでしょうか?また、「お母さん、私ころんで怪我したの、血が出てる。痛いの。この痛い、痛いを治してちょうだい」。そして、お母さんの腕の中で抱かれると、いやなこと、痛いこと、悲しいこともすべて取り去られるよう感じなんです。オキシフルとマーキロを塗ってもらってもう良くなる、大丈夫だと子供心に安心したのです。 今日与えられた福音書の記事を読んで、ハンセン病で心も体も傷ついているこの男と怪我をしてお母さんと呼んで助けを求めた子供、そこに共通点があるのです。あなたの慈しみによって私を治して下さいという願いです。 最近は人を差別すような病気を口に出したらいけないと言われているので、この話に出てくる男の病気を英語では “Hansen’s disease” と言います。この男、イエス様に、「私の病気を治してください」とは言わず、「私を清めてください」と言ったことに気がついた人もいると思います。それは同じことと言われるかもしれませんが、この男がそう言った理由は、ハンセン病」はこの人に肉体が朽ちてゆくという問題を与えていたわけですが、彼の「清くない」状態は神様からも見放されていると言う意味があったのです。 このハンセン病は4千年前にそれに似たような病気として記録されています。症状はと言うとはじめに目頭と手に白い斑点が出てきてそれが体中に広がるのです。髪の毛は色素を失い、白くなる、そして鱗のような物ができてそこから膿が出てくるのです。しかしそれは皮膚の表に関したことであって皮膚の下では、神経が侵されるようになり、次第に痛みも、かゆみも感じなくなるのです。石につまずいて、足の親指を怪我したにもかかわらず、痛みを感じない、かなずちで釘を打っていた時、間違えて親指を打ってしまった。それなのに痛みを感じられないのです。 インドのハンセン病人の隔離された施設には手の指、足の指のない人が多い、その理由はと言うと、神経を侵された手と足の指は彼らが夜寝ているうちに、ねずみに食いちぎられたからだと言われています。耳も、鼻も腐った果物のようになり、最後には目も犯されてしまうのです。 実際には、ハンセン病に罹ったものは、皆から村八分にされたと同じです。人に近寄ってはいけないし、同じ家には住めません。洞窟のようなところで他のハンセン病の人と共同生活をしていた訳ですが、その仲間らも、一人ひとりこの病気に呪われるように死んで行くのです。食べ物はと言っても畑仕事をするところもなく、道端で物乞いをし、時々投げ出された食べ物によって一日、一日を夢も希望もなく心の悲しみから抜けきれない毎日を送ったのです。 きっと、家族の元に返りたい、一緒に食事をしたい、一緒に安息日に会堂に行きたい、そこで神様に感謝したい、友達と抱き合って喜びの思いを分かち合いたいと思っていたに違いありません。この病気の初期には両親もある距離を保ってこの病気の男を時々訪ねたでしょう。しかし病気が進んで行くと、家族の人たちも来くなる。お母さんだけが月に一回ほど何か食べるものを持って来てくれた。しかし今ではだれも尋ねてくれない。 そんな希望もなくなっていたある日、福音書の中に描かれているハンセン病の男はイエス様が街に来ていると聞いたのです。このイエス様は自分を神の一人子と呼んでいる。イエス様は病気の者を癒し、歩けなくなっていた者を歩くことができるようにし、目の見えなかった者の目を見えるようにした。 マルコによる福音書の1章40節に、こう書いています。一人のらい病人がイエス様のところに願いに来てひざまずいて言った。「御心でしたら、清めていただけるのですが」。私が思うに、彼は「私は神様を礼拝したい、賛美したい」。「私は神様の人々の一人になりたい」「私は会堂に行ってみんなと共に神様に賛美の歌を歌いたい」。「私は私の手でほかの人たちに触れてみたい」。「イエス様どうか私を清めてください」。イエス様は深く憐れみ、手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、清くなれ」と言われたのです。私は思うのですが、神様は悲しみに浸っている人、希望のない人、家族も友達もない人、泣いている人の中で、神様と密接な関係をもてるようにと、私たちに呼びかけているのです。 ハンセン病、また同じようにAIDS と言う病気にかかっている人、精神的に苦しんでいる人、handicap を持っている人、家族と別れて、老人ホームで寂しい思いをしている人、世間から見放されて生きていると思っている人たちを私たちの祈りの中に覚えるのです。それは神様が私たちに下さった思いやりの精神です。私たちは、一人ひとりが福音を宣べつたえる者として世に送られていることを覚えてお互いを大切にして生きていかなければなりません。 今週の水曜日から1週間日本に帰り、母と共にいる時を持ちます。老人ホームから手をつないで、ゆっくり歩いて、駅前のお店で、おしるこを食べながら、昔のことを話すことになるでしょう。今のことが良く分からない母ですが、昔のことは良く話します。私の小さい時、母の家族が疎開した富山の魚津と言う漁港町に毎年の夏休みに行きました。蒸気機関車の時代です。汽車とプラット・ホームに大きな隙間があり、汽車から降りる時、6歳の私はそこに落ちてしまったのです。今でもそのことは私の怖かった思いとして時々思い出します。母の叫びも忘れられません。「助けて、助けて、息子がプラット。ホームから落ちました。助けてください」と。プラット・ホームに引き上げられた時、母が興奮して泣いていたのも覚えています。そんなことお母さん、今でも覚えているかな。父が亡くなって一年半たちましたが、今でも「お父さんこの頃見ないよ」どこにいっちゃったのかしらと言うその母に少しでもいっしょにいて親奉公をしてあげたいのです。ホームの人たちからは「お宅のお母さん、いつも礼拝にいらっしゃいますよ。讃美歌を歌うのがとてもお上手です」。と言われています。本当だ、お母さんと讃美歌歌おう。 最後に、ここで言いたかったことは私たちも一人で孤独にならないよう心がけましょうということです。人と人の触れ合いを大切にしましょう。それは今教会の中で、一緒に聖書を読むこと、一緒に祈ること、一緒に食べること、笑うこと、一緒に悲しい時も祈りで過ごすこと、そして、イエス様は本当に大切な私たちの仲間をここでくださっているのです。ですから、お互いに喜びと苦しみ、悲しみを、共に分ち合うことのできる私たちになれますよう導いて下さい。あなたが私たちに下さった家族、友達、信仰の仲間を大切にして生きていけますように。アーメン。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 2012年2月22日 「灰の水曜日」 Soup Supper:6PM 礼拝:    7PM 2012 Invitation for Easter, Holy Week Services (日本語) Easter Invitation Letter 2012 English   Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet マルコによる福音書1章29-39節 「名声への道、それとも十字架への道」  “Way of Celebrity or Way  of the Cross” 私たちの父なる神と主イエスキリストより恵みと平安が、あなた方の上にあるように。アーメン。 今日の福音書の中に幾つかの場面が書かれています。最初の場面はイエス様が彼の弟子として選んだペテロとアンドレの家にペテロの奥さんのお母さんを尋ねた場面です。イエス様は病気で寝ていたペテロの姑 の手を取り、起こし上げたその時、彼女は病気から癒されたのです。 次の場面はその夜、イエス様がまだカペナウムに滞在していた時、町中の病気の人たちがペテロとアンドレの家に、病気の者、悪霊に取り付かれていた者を連れてきた場面です。イエス様はさまざまの病(やまい)を患(わずら)っている多くの人々を癒し、また多くの悪霊を追い出した場面です。 第3番目の場面はイエス様は、朝早くまだ暗いうちに、寂しいところに行かれ、そこで祈っていた場面です。イエス様は一人でいる時と天の父なる神様と会話の時間がほしかったのでしょう。しかしながら、その静かな時もイエス様を追ってきたペテロによって破られたのです。ペテロは言いました。「イエス様、わたしはあなたがどこにいられるか探しておりました。みんながあなたを探しています。イエス様、あなたの人気は素晴らしいものです。このガリラヤであなたが私たちのうちにいることは私たちの誇りです。どうかカペナウムにお戻りください。皆さんがイエス様あなたを愛し、賞賛されています。どうかここカペナウムで素晴らしい奇跡の働きをなさってください」。 聖書には直接、はっきりと書いてありせんが、私は、イエス様は荒野で悪霊に試みられた時、一人で静かな所に行き、神様の御心を求めて祈ることにより、父なる神様の救いの計画、すべてのひとのための救いの計画を把握していたと信じます。悪魔はいつもイエス様に自分の名声、自分の徳というものを与えてイエス様を自分の見方にしようと思っていたのでが、イエス様は、その裏工作はまさに神様の愛の精神に反するものとして悪魔、悪霊を退けたのです。 皆さん、アメリカでの生活の長い人の中でPhil Donahue さんを覚えている方いますか? この人は1980,90年代にテレビで毎日20年も生放送のreality show のホストとして知られた人です。彼は自分の自叙伝を出しました。その中にある一つの話を紹介しましょう。Phil Donahueがまだ若いテレビのリポーターであった時、ある炭鉱で大きな事故が起こり、そこに送られて、現場の状況、心配で泣いている、祈っている家族とインタビューをしました。坑道の中の人との連絡が取れません。時間がたつにつれてますます家族の心配の思いが大きくなり、精神的、体力的にも疲れ果てた家族の人たちが続く中で、誰かが一つの讃美歌を歌いだしました。「慈しみ深き、友なるイエスよ、われらの弱きを知りてあわれむ、悩み、悲しみに沈めるときも,祈りに答えて、慰めたまわん」。そこにいた人たちも声をあわせて歌いだしたのです。歌がおわり、ひとりの牧師さんが、進み出、 “let us pray” と言って祈り始めました。「私たちに希望をください。あなたがすべての心の重荷を持つ私たちの祈りを聞いてくださることを知っています」。Donahue さんは、この讃美歌と祈りがこれまでに感じられたことのないほどの力を与えてくれ、神様は本当にいるんだ。私たちは神様によって守られているんだ。と言う今までになかった心の安らぎを感じたと本の中に書いています。 彼はテレビ・カメラにこの牧師さんお祈りと慈しみ深き友なるイエスの賛美歌が録画ていると思っていたのですが、実は、あまりの寒さにテレビ・カメラは frozen されてしまっていたのです。そこで、Phil Donahue さん、マイクロホンを持ってこの牧師さんのところに行き、「もう一度牧師さんが祈ったその言葉を言ってください。それをテ-プレコーダーにいれたいので」と頼んだのですが、それはできませんと牧師さんに断わられたのです。Donahue さんは言いました。「私はテレビのリポーターですよ。全国で260ものテレビ局と提携しているCBSのリポーターです。全国中で、この生中継が報道されているんですよ。あなたの祈りがアメリカ中の人々に伝わります。どうかもう一度、あなたの祈られた言葉をリピートしてください」牧師さんはそれでもNo との返事です。どうしてこの牧師は頑固なんだろう思ったわけですが、 考えてみれば、イエス様も頑固とは言わないにしろ、ペテロに「カペナウムに行きましょう。そこではイエス様、あなたは私たちの英雄であり、みんなはあなたをしたっていきますよ」。と言われて、“No, no, no,と叫んだのではないでしょうか。  イエス様の言葉はこう答えました.「私はひとたちの人気に誘われてカペナウムまでいくことはしない。それ以上にまだ多くの人たちに神様の福音をすべての人に語る義務がある。そのために私は父なる神様から送られたのですから」。 イエス様は、すでに父なる神様から、この世に送られたその目的をわきまえていたのです。それは、すべての人たちの罪をイエス様自身が担って、十字架にかかり、その死と復活によってのみ、もう一度言います。その死と復活によってのみ、すべて悔改める者を、罪から赦され、神様を信じる者に永遠の命を約束したことです。しかし神様は私たちにこの神様の約束を受け入れるか、受け入れないかの決断を私たちの自由な意志に任せたのです。父なる神から示された目的は、世界のすべての人たちに神様の救いの約束を宣べ伝えることです。 これは少し今日の説教から脱線するかもしれませんが、いつも説教の中で話したこともないようなことを皆さんにお話したいのです。 私は神様が、私たちを操り人形のように造られたのではなく、一人ひとりに自分の意思、自分の確信、Conviction で生きることを求められていると信じます。それは私にとって、聖書を読み、神様の私たち一人ひとりに下さっている愛を感じることです。 私はクルスチャンの家庭に生まれたことを感謝します。それはイエス様、神様という方の話しを教会の中で、聖書の中で読む機会を与えられていたからです。キリスト教の教えがどのようなものであるかは小さいときには分かりませんでしたが、聖書はむずかしいと言うより、聖書は神様のLove letter のように感じていました。ですから、神様は私にとって身近にいる、慰めの存在であったのです。悪いことをして神様から怒られるだろうと何回も思ったことはありましたが、神様から赦してもられることも知っていました。今でもそのように私の神様に対しての信仰は非常に単純なのです。 はっきりいって、私がどうして神様を信じることができるのか時々不思議に思えることがあるのです。しかし信仰と言うものを良く考えてみますと、信仰は私たちが作る、起こすものではなく、信仰自身も神様が私たちに下さったギフト、賜物です。つまり、私たちが神様を信じることもできる信仰も神様からいただいたギフトなのです。 さて今日の福音書の戻ります。「イエス様は朝早く、まだ暗いうちに人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」。と書いてあります。 宗教改革を始めたマルチン・ルターは毎日の祈りの時を大切にされた人です。宗教改革の後、カトリッツク教会から破門されたルターは、カトリック教会の善行による義認、つまり、良き行いをすることで人は救われると言う教えを全面的に否定したのです。 人は神様に対して、どんな良い行いをすることによって救われるのではなく、私たちの罪を認め、神様にご免なさい、いつも罪と汚れに満ちた私ですが、あなたの恩恵により私たちを赦し、あなたについていける、あなたの教えを守ることができる私たちにしてくださいと祈るのです。これは私たちの日曜ごとに礼拝の中で行われる神様への罪の告白と、神様からの罪の許しを受けることです。 マルチン・ルターは朝早く起き、一日の初めを3時間にも渡って神様に祈ることではじめたのです。それは祈りの中で、神様と会話の時を持ったと言ってもいいでしょう。イエス様自身も、時間をかけて、静かなところで父なる天の神様と一生懸命祈ったように、マルチン・ルターも同じように神様の御心が分かるように祈ったことを模範にして、私たちも祈りの時を今まで以上に大切にしなければなりません。 神様は私たちの心にあることはすべてご存知なのですが、私たちの心の中にある一つ一つの思いを神様に告白することが大切です。そして神様に、どうか私、私たちが、神様の御心にかなう、毎日の生活ができますようにと祈るのです。私たちが真剣になって祈ることは神様が必ず聞いてくださいます。 昨年3月に起こった東日本大地震と津波の災害のあとすぐ、日本福音ルーテル教会は震災復旧を目指しての働きに入りました。 去年の11月の日語伝道23年目のお祝いの礼拝の中でメッセージを下さった、立野先生と二年ぶりに私たちの教会を尋ねて下さった伊藤先生は昨年の三月におこった東日本地震と津波の災害地である仙台で、「ルーテル教会救援隣人」の名のもとに、災害を受けた人たちに少しでも、一緒になって復興を目指す仕事を始めたのです。この一緒になってというこの言葉は、大切な言葉です。悲しみに、苦しみに、心も、体も疲れきっている隣人を自分の兄弟姉妹として助け合うことです。共に泣くのです。今あなたの苦しみを私も一緒に背負っていきましょうとお互いを助け合うのです。 何故こんな悲惨なことが起きたのでしょうという問いに答えはありません。しかし大切なのは、そこで悲しみに浸っている人たち、私たちの隣人と一緒にいてあげることです。物を分け与えることも大切ですが、人間として一番大切なのは、一緒にいてあげることです。私たちの祈りに災害にあった人たちのために祈ることです。 イエス様のガリラヤ湖の湖畔にあるカペナウムの町で始まった伝道はこれから3年間に渡ってのイエス様の人々たちに対しての愛と思いやり、心と体の癒し、そして神様の救いについての教えの働きです。 それが今ここ、アメリカと言う地で、また、世界のあらゆる国で2千年以上続けられているのです。どうかこれからも、私たち一人ひとりが、イエス様の心を私たちの心として受け取り、神様の愛を言葉と、行動によって人々に分かちあえるよう祈りましょう。アーメン。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 2012年2月の予定 2/2、9、23      聖書を読む会                10:30 AM Joyce’s Library 2/5、12、26       キリスト教101           10:00 AM Bercaw Hall 2/6、13、20、26    和太鼓               1:00  PM 中庭 2/6、20        英会話教室            2:00 PM  Joyce’s Library 2/9、23        事務打ち合わせ              1:00   PM  日本語部オフィス 2/9          CCN 健康講座・ランチ          11:30 AM     Bercaw Hall 2/10           コロナ家庭集会                                  10:  30 AM     今井宅 2/11                                 バレンタインダンス&ディナー      6:00 PM   Bercaw Hall 2/12                              持ち寄りランチ・2月誕生祝会 礼拝後にTホールにて 2/13、27        ラインダンス・クラス        2:00 PM   Bercaw Hall 2/14、28       アーバイン家庭集会      10:30 AM  愛子G.宅 2/19         合同礼拝(Youth Fundraiser Lunch)  Bercaw  Hall 2/25                           タスティン家庭集会        1:30 PM  安達牧師宅 2/26       Legacy Workshop(MEF)         12:30  PM  Bercaw Hall                                                 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace