Archive for the ‘家庭集会報告(Bible Study etc.)’ Category

Tweet “Crisis at the Vineyard” 「ぶどう園と農夫のたとえ」 Mark 12: 1-12 マルコによる福音書12章1節から12節 Bible Study by Pastor Carl カール先生による聖書の学び会 August 26, 2014 2014年8月26日   今回でカール先生の「聖書の奇跡と譬え話シリーズ」は最終回となる。様々な主イエス・キリストが行われた奇跡の話や、語られた譬え話から、私達は自分では考えても見なかったような教えを学び、有意義なシリーズであった。 今日の話は、読み過ごしてしまうと、何がなんだか良く解らない譬え話である。先ず忘れてはならない事は、聖書の中の譬え話しは、神様が私達に語りかけている教えであり、神様と私達の関係が書かれているということである。 この譬え話しを簡単に纏めると:ぶどう園の持ち主は、ぶどう園の周りに柵を巡らし、見はりの櫓まで立て、このぶどう園を最高の状態に整えた。持ち主は自分でそのぶどう園を管理するのではなく、他の農夫に貸した。当時の風習では、ぶどう園のぶどうは、最初の3年は収穫してはならず、4年目の収穫は全てを神に捧げ、5年目からやっと収穫した物が自分たちの物となる。そのような契約が持ち主と農夫の間にあったに違いない。 他の土地に移り住んだ持ち主は、収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を受け取る為に僕を農夫達の所へ送った。しかし、農夫達はこの僕を捕まえて袋だたきにし、何も持たせないで帰した。持ち主はまた他の僕を送ったが、今度も頭を殴り侮辱して送り帰した。さらにもう一人を送ったが、今度は農夫達に殺された。このように多くの僕を送ったにも拘らず、農夫達はこれらの僕を殴ったり、殺したりした。そこで持ち主は自分のただ一人の息子を農夫達の所に送る。自分の息子を送れば、農夫達はきっと自分の息子を敬ってくれるだろう、と持ち主は思ったのだ。ところが、農夫達はこの息子を殺し、ぶどう園の外に放り出してしまった。この譬えをイエスはユダヤ人のリーダー達に話したのである。 この譬え話しをただ読むと、何故このぶどう園の持ち主は、何度も僕を送ったのだろうか、とか、自分が行かないで息子を送ったのはどうしてか、とか、何故  ぶどう園を借りている農夫達は僕に暴力を振るったり殺したりしたのか、そして最後には息子まで殺し、葬りもしないでぶどう園の外に放り出したのか? 質問が次から次に起こる。農夫達は多分自分たちが5年もかけて育てたぶどうだから、収穫を全部自分たちの物にしようと思ったのかも知れない。また、息子を送って来たという事は、もう持ち主は亡くなったのかも知れないから、この息子を殺してしまえば、このぶどう園は自分たちの物になる、と思ったのだろう。この話の最後を、9節でイエスはこのように終えている:「さて、このぶどう園の主人は、どうするだろうか。戻って来て農夫達を殺し、ぶどう園を他の人達に与えるに違いない。」と。続けて10節と11節には、「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは主がなさったことで、私達の目には不思議に見える。」と言われている。 この2節を理解するには、はやり譬え話しの内容を理解しなければ理解できないのではないか、という事が、私自身カール先生の解説を聞きながら解ってきた。 先ず、ここに書かれているぶどう園の持ち主とは誰の事を象徴しているかと言うと、神様である。ぶどう園は神の民を象徴し、ぶどう園を借りた農夫達は、神に逆らっている人々(ユダヤのリーダー達)を象徴している。僕は預言者達を象徴していて、持ち主の息子は主イエス・キリストを象徴している。このぶどう園で収穫されるぶどうは、人々の信仰を象徴している。 誰が誰を象徴している、何が何を象徴しているか、を理解してからこの譬えを読み返して、私はやっと最後の10節11節が理解することができたような気がする。 ぶどう園の持ち主である神はぶどう園である神の民を創造された。そして神の民が長い年月をかけて、良い実を結ぶようにと柵を巡らし、見張りの櫓を建てた。全地を創造された後、それを人類に託したように、このぶどう園の持ち主もこの土地を農夫に貸してその場から居なくなる。ところがこの神を信じない農夫達(ユダヤのリーダー達)は自分たちのやりたい放題に行動し、神が何度もこの世に送られた預言者達を殺してしまう。それでも神は何度も預言者を送られた程に、忍耐を持って人類を守り愛されている事が、 ぶどう園の持ち主が僕を何度も送った事から理解できる。そして最後に神は独り子の主イエス・キリストをこの世に送るが、持ち主が送ったひとり息子が殺されてぶどう園の外に捨てられたように、キリストも城外で十字架に架けられ殺されてしまう。イエスは、この譬え話しをユダヤ人のリーダー達に話している時、ご自分が十字架に架けられて死ぬ事をすでにご存知なのである。だから、10節と11節に、「捨てられた石(ぶどう園の外に捨てられた息子、城外で十字架に架けられたイエス)、これが隅の親石(基盤となる最も大切な石。これが無ければ全てが崩れてしまう)となった。」と言われているのだ。 9節で「持ち主が戻って来て農夫達を殺し、ぶどう園を他の人に与えるにちがいない。」とイエスが言っているのは、決して私達の神が「復讐の神」であると言っているのではないと思う。これは、イエスが大袈裟に、ユダヤ人のリーダー達に解らせようと言っている事だと思う。もちろん、12節にあるように、ユダヤ人のリーダー達は、イエスが自分たちに当てつけてこの譬えを話されたと気がついて、イエスを捕えようとしたが、群衆を恐れてその場を立ち去っている。しかも、これ程イエスが大袈裟に、「神の怒り」を教えているにも拘らず、ユダヤ人達は、最終的にイエスを十字架に架けてしまうのである。 私達は、「神は愛」と聞く事に平安を覚え安心する。しかしカール先生は、今回のこの箇所は、神がいかに真剣に人々に神の掟を解いているかを語っていると言われた。放蕩息子の父親のように、全てを赦し受け入れてくれる神の一面と、今日の譬え話しのように、契約を守らずに僕や息子を殺してしまった農夫達を殺すぶどう園の持ち主のように厳しい神の一面がある事を忘れてはならないという事なのである。ルーテルの神学校では、常にLaw(掟、法則)とGospel(福音)がバランスを取って教えられるそうだ。Law は神様が私達に神の掟に従うようにと期待していることであり、Gospelは、掟に従う事ができない不完全な私達であるにも拘らず、神様は赦してくださり、愛して下さるということなのだ。 では、この譬え話の教えを私達はどのように学ぶべきなのだろうか、と私は考えてしまった。神様を畏れよ、と言っているのか、それとも神様の送られた独り子を信じて大切にせよと言っているのか。それ以上に、私はこう思ったのだ。私達神の民は、神の創造したぶどう園であるこの世を任されているのだ。私達は、神様に託されたこの土地を大切にし、良い実を結ぶことに全力を尽くす事が大切なことなのではないだろうか。神様が創造されたぶどう園を、まるで自分の所有地のように自分勝手にする事無く、先ずはこの託された土地を大切にしよう、そして沢山の良い実を収穫できるようにしよう。時間もかかるだろうし、手入れも大変かもしれないが、神様は、ぶどう園の持ち主が柵を巡らし、見張りの櫓を作ってぶどう園を守ったように、私達を常に守っていて下さる。誰がこの土地を借りようと、持ち主は神様なのである。しっかりと収穫する事が私達の務めでもあり、喜びなのではないだろうか。                           芙美Liang   記録 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet コロナ地区では夏休みは二週間前に終わっていて、今日の家庭集会は大人だけ4人があつまり、こじんまりとした会であった。 それでも荻野吟子さんの生涯を知るなかで、主イエスが豊かに荻野吟子さんに働かれ、彼女がいかにめげてしまうことなく、信仰心を第一に、患者さんのために駆け巡り、社会に奉仕されていたことを学んだ。  伝道する聖書研究シリーズIV 荻野吟子 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet ヨハネによる福音書11章1節から44節までを読み、イエス様がラザロを生き返らせた奇跡の経過を学びました。       記録をご覧下さい。質問、ご意見、大歓迎です。 The Raising of Lazarus ラザロの死 John 11:1-44 ヨハネによる福音書11章1節〜44節 最初に、ラザロという名前はどういう意味だろう。ラザロは “Eleazar”の略で、「神に助けられた人」と言う意味である。  イエスはラザロをただ助けただけでなく、生き返らせたのである。1節から44節までを注意深く読んで行こう。 ラザロが病気だという事を、ラザロの姉妹であるマリヤとマルタがエルサレムに居るイエスの所にメッセージを送った。   この時、彼女達はラザロが重病なのにも拘らず、決してイエスに「すぐ来て下さい」とは言わなかった。きっと彼女達は、  ラザロを愛するイエスが、必ず善き行動をとって下さると信じていたのだろう。                    私たちが年がら年中祈りの中で「イエス様、こうしてください、ああしてください」と指示するのとは全く違うではないか。 4節で、イエスが「この病は死で終わるものではない」と言っているが、その意味は、ラザロが最終的に死に至るのは、今のこの病いが原因となるのではない、という意味である。という事は、イエスは自分がラザロを生き返らせる事をすでにご存じなのだ。ところが、イエスはラザロが病気だという知らせを聞いた後、すぐに彼の所には行かなかった。聖書には、「なお二日間同じ所に滞在された。」と書いてある。なぜ直ぐに飛んで行かなかったのか? 答えは4節に書かれている、「神の栄光の為である。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」。どういう事かと言うと、病気の時に行って癒してあげるよりも、肉体が完全に死んでしまい、誰が見ても生き返るはずはない、という状態の時に生き返らせてこそ、本当の神の栄光を人々にわからせる事が出来るからである。イエスが神の栄光を受けた神の独り子であり、神から特別の力を与えられた救い主である事を人々が完全に理解するには、ここまでしなければならなかったのである。 さて、7節から10節を読むと、イエスは「もう一度ユダヤに行こう」、と弟子達にいわれる。ヨハネの10章31節にも書かれているように、イエスは、以前そこでユダヤ人達に石で撃ち殺されそうになった。そんな場所になぜまた行くのですか、と弟子達は驚いたであろう。しかしイエスには彼の考えがあった。ラザロの住むベタニヤはユダヤの地域にある村だった。イエスは先ずユダヤに向かい、それからラザロの住むベタニヤに行く考えだったに違いない。11節に、「わたしたちの友ラザロが眠っている、しかし、わたしは彼を起こしに行く。」と言われている。ここで面白いのは、弟子達は、実際にラザロが病気で寝ていると思って、イエスの言われた言葉に対し「主よ、眠っているのであれば助かるでしょう。」と答えている。         しかし、ここでイエスははっきりと「ラザロは死んだのだ。」と言われ、「わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたたちにとってよかった。あなた達が信じるようになるためである。」と語っている。ここでイエスが意としているは、もし自分がその場に居て、死にそうなラザロを生き返らせただけなら、弟子達にとって、今までの奇跡と同じように、「すごいなー」で終わってしまい、また直ぐにイエスが神の独り子である事実を忘れてしまうに違いないからなのである。 イエスがそう言われた後、トマスが直にこう言っている、「わたしたちも一緒にいって死のうではないか」と。きっとトマスは、イエスが以前ご自分の死を預言された事を思い出し、もしかしたらイエスがそこで死ぬのかもしれないと思い、自分たちも一緒に死のう、イエスを一人では死なせない、そんな気持ちでそう言ったのであろう。実際にイエスは後に十字架に架かるが、一人として一緒に死んだ弟子は居なかった。この箇所から学ぶ事は、私たちがその時は誠心誠意そう思って言っている事でも、実際にその状況に直面した時、そう行動できるかどうかわからない、という事なのだ。多分できない時の方が多いに違いない。 さて、イエスが来たと聞いてマルタは迎えに行った。イエスは村の門外に居た。ベタニヤはエルサレムの近くにあったので、沢山の人がラザロの家に集っていた。すでにラザロが死んでから4日も経っていた。マルタは心の中できっと葛藤があったに違いない。だから、イエスに会うなり彼女はこう言っている、「主よ、もしここに居て下さったら、私の兄は死ななかったでしょうに。」そしてすぐその後にこう言い足している、「しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえて下さると、私は承知しています。」 彼女の中には、きっと悲しみと希望の葛藤があったに違いない。そこでイエスは「あなたの兄弟は生き返る」と言われる。マルタはそのイエスの言葉を、終わりの日の復活のことを言われているのだと思うのだが、イエスは、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」と答えている。その意味は、ラザロが生き返るのは、復活ではなく蘇生(Resurrection ではなくてResuscitation)であり、復活は神の子であるイエスの甦りだけが復活である事を意味している。死んでも生きる、という事は、この世でイエスの復活を信じる者には、永遠の命が与えられるという意味なのである。マルタはそれを「信じます。」と答えている。イエスはその後マルタと一緒に家には行かずに、マルタにマリヤを呼びに行かせている。それはマリヤにもマルタに話した事と同じように話す機会を平等に与える為にである。マリヤが急いで立って出て行くのを見た人達は、マリヤがきっとラザロの墓に泣きに行くのだろうと思いマリヤについて村の外まで出て来る。ここで明らかになるのが、なぜイエスが村の門外にいたのか、ということだが、その当時の墓地は村の外にあった。正にその状況を想像すると、全てが神様のご計画通りに行われていたのである。イエスが神の栄光を解らせたいと願っている人達が全てその場に集って来ていたのだ。マリヤもマルタと同じように、「主よ、もしここに居て下さったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言う。そして、マリヤは泣き、一緒にきたユダヤ人達も泣いているのを見て、イエスは憤りを覚えた、と書かれている。それはきっと、マリヤは本当に悲しんで泣いているのに、着いて来たユダヤ人達の中には、多分雇われて、葬式の時に大声を出して泣く人たちがいたからであろう。「心に憤りを覚えた」と二度も書かれて強調されているのは、 それほどまでにイエスが憤られた事が重要な事だからである。イエスは嘘の涙を流しているユダヤ人達に憤りを覚えられ、  盲人の目を開けたこの人も、ラザロを死なないようにはできなかったのか、と疑う人達に憤りを覚えられた。 35節に、イエスは涙を流された、とあるが、聖書の中でイエスが涙を流されたと記されているのはこの箇所だけである。それほどまでにイエスはラザロを愛し、それだけでなく、マリヤやマルタも憐れんだのである。イエスの涙はイエスの博愛を表している。 そして墓に来たイエスは、洞窟の入り口にある石を取り除くようにと言われた。ご自分で石を動かす事は容易だったに違いないが、イエスはご自分で手を触れずにこの奇跡を行われたという状況がここに描かれている。マルタは、村の外でイエスと話した時には、はっきりと、「はい、信じます。」と答えたにもかかわらず、ここではイエスに、「四日もたっていますから、もうにおいます。」と言っている。いかに私たち人間が、「はい、信じます」と言いながらも、神の偉大な力を信じる事を忘れてしまうか、この箇所から読み取る事ができるのではないだろうか。だからイエスが41節と42節で、わざわざ、「父よ、わたしの願いを聞き入れて下さって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださる事をわたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆の為です。 あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせる為です。」と言われるのである。そしてイエスはそう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で呼ばれた。手と足に布を巻かれたままのラザロがイエスに言われるままに出て来ると、きっと群衆は口をあんぐり開けたまま、驚いてラザロを凝視していたに違いない、だからイエスは「ほどいてやって、行かせなさい」と、突っ立ってラザロを見ている群衆に命じたのだ。イエスの憐れみである。 45節に、この話の結末が書かれている。「イエスのなさった事を目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた。」こう書かれているように、4節にも書かれているように、「神の子がそれによって栄光を受けた」のである。この栄光とは、 私たちが思っているこの世的な名誉や栄誉ではなく、偉大なる神の栄光である。 今日の学びを通して私個人が感じた事は、イエス様がわざわざラザロが死んで四日も経ってからラザロを生き返らせたのは、 イエスの弟子達が、イエス様が盲人を癒したり、5千人を満腹にさせたりして、何度もイエス様の奇跡を目撃しているにも拘らず、未だに100%イエス様が神様である事を信じられない事実、そして多くのユダヤ人達も、私たちも、同じようにイエス様に救われながらもそれを解っていない悲しい事実、それらに対してイエス様が、これでもか、これでもか、と私たちに示して下さっている憐れみなのではないだろうか、という事なのです。私たちは、イエス様を信じます、と口々に唱えながら、直ぐに自分の周りで起こっている現実に振り回されて、共に居て下さるイエス様の存在を忘れていないでしょうか? イエス様を信じる事によって、日々新しくされ、この世を生き生きと過ごせる事を忘れていないでしょうか? 私たちもラザロと同じように、 毎日主イエス・キリストに在って、生き返る事ができるようにと切に祈ります。 芙美Liang 記   Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 今回も引き続き「奇跡と譬え話」シリーズを勉強しています。 カール先生の熱の入った丁寧な説明に 私達も大いに盛り上がり楽しい学びの会で次回が待ち遠しい思いです。 Luke 15 : 11 -32 ルカによる福音書15章11節〜32節 今日学ぶ箇所はあまりにも有名な箇所で、それぞれが何度か学んだ箇所ではないかと思う。ルカの15章には、「放蕩息子」の譬えの前に「見失った羊」の譬えと「無くした銀貨」の譬えが書かれている。見失った羊を羊飼いは見つかるまで探す、同じように、なくした銀貨を女は見つかるまで探す、どちらも共通しているテーマは「一生懸命に見つかるまで探し続ける」所にある。 さて、この放蕩息子の父親はどうだろうか? 様々な角度からこの譬え話に書かれている神の真意を学んで行こう。先ず、英語の”Prodigal”とはどういう意味だろう? 日本語では「放蕩息子」と訳されているが、実際は “waste”「浪費、無駄にする」という意味がある。何を無駄にするのか、それも考えながら学びを進めて行きたい。 この父親には二人の息子がいた。ある日、次男が父親に財産を分けてくれるようにと言う。父親がまだ健在だというのに、このような大それた事を要求してくるなど、本来なら考えられないことである。近所となりの人達はそれを聞いてびっくりしただろうし、きっとこの次男坊は父親から追い出されるに違いないとまで思ったかもしれない。ところが、この父親はこの息子を怒るどころか、言われるままに、財産を二人に財産を分けてやった。ここで注意したいのは、二人に分けてやったのだから、長男も彼の分をちゃんと貰ったわけである.そして、次男は家を出る決心をする。自分の分け前を全部金に換えて他の土地に行ってしまう。(カール先生はラスベガスと言っていたが、正に適切! )彼が家を出る事で、父親はさぞかし悲しんだであろう。長男は弟が勝手に家を出て行けば、自分が二人分働かなくてはならないし、父親の面倒も自分が見なくてはならない、さぞかし頭に来たにちがいない。近所の人達と言えば、この土地を捨てて他の土地に移り住むという次男からまるで侮辱されたかのように思っただろう。 ここで明らかな事は、次男が取った行動は、彼と父親、兄、そして近所の人達との関係を無駄にしてしまったのだ。He wasted the relationship with his father, brother and neighbors. 家を出た後、次男坊は放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。彼が友達だと思っていた人達も、ひとたび彼が無一文になると、誰も彼を助けてくれなかった。誰からも見放されて、食べる物にも困り始めた次男坊が最後にありついた仕事は、豚に餌をやる仕事だった。ユダヤ人は豚を食べないから、豚に餌をやる仕事とは、最低も最低で、彼は自分の生まれ育った信仰にも背くことになってしまった。しかも、豚の餌であるいなご豆を食べてでも腹をみたしたかった、と書いてある程誰も彼に食べ物をくれなかった。そこで、彼は我に返った(came to his senses)、と書いてある。この「我に返った」というのはどういう事だろうか? 自分が悪かったと心から反省したのだろうか。多分そうではないだろう。彼はきっと、「そうだ、父の所に帰ろう。父の所では、あんなに大勢の雇い人に有り余る程のパンがある。帰って父にこう言おう『お父さん、私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にして下さい』、と」そう言えば自分はまた父の所で、自由に暮らす事ができるだろうと思ったに違いない。だから彼は何度もその台詞を頭の中で練習しながら父親の元へ向ったのだろう。ここで注意したいのが彼の練習している台詞の最後の箇所である。「雇い人の一人にして下さい」というのはどういう事か? 当時使用人には3つのランクがあり、奴隷同様に主人に使える使用人、家族の世話をして一緒に住んでいる使用人、そして最後が雇われて給料をもらい、自分の家に住める使用人。そして最後が雇われて給料をもらい、自分の家に住める使用人。次男坊は、こんな目にあってもまだ悪賢く、どうすれば自分の自由に思うような生活ができるかだけを考えている事が理解できる。そうやって帰って来た次男坊は、父親はまだ遠くに離れているのに息子だとわかり、憐れに思い、走り寄って首を抱き接吻した、とある。ユダヤの習慣からすると考えられない事だ。息子が父親の所に走り寄るのが当然であって、父親から息子の所に走り寄る等考えられない。遠くから直に息子だと解ったというのだから、きっとこの父親は窓辺にでも座って、毎日のように息子の帰りを待っていたのだろう。普通の父親なら勘当したであろう放蕩息子の次男の帰りを待っていたのだ。 そして次男は何度も繰り返し暗記してきたであろう台詞を言いだす、「お父さん、私は天に対しても、お父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。」ところが、そこまで言った時に父親は彼の台詞を最後まで聞かずに、雇い人達に命じて、一番良い服を持ってこさせ、指輪をはめさせ、足に履物をはかせ、しかも肥えた子牛を屠ってお祝いをしようと言ったのだ。この父親は、帰って来た息子はどんな息子であれ、雇い人になる必要はなく、愛する子として受け入れたのである。近所の人達にとっては何とも理解しがたい父親の態度だったであろう。自分勝手で悪賢い息子の思い通りになっているような、どうしようもない父親だと思ったかもしれない。そして長男が仕事を終えて帰って来ると、どんちゃん騒ぎが聞こえる。一体これは何事か、と僕の一人に聞いて事情を知った途端に、この長男は怒り狂った。家に入ろうともしない長男の所に父親が出て来てなだめる。これも考えられない話で、父親がへそを曲げた子供の所に来るなんて考えられない事である。しかし、父親にはこの長男の気持ちがきっと良く解っていたのに違いない。長男の口から「こんなに私が一生懸命に働いてお父さんに仕えているのに、あなたは宴会などしてくれた事はない、ところがあなたの息子が (自分の弟とは言わない )娼婦らと一緒に身上を食いつぶして帰って来たら、子牛を屠って宴会を開くなんて!」と文句が出るのに対して、父親は相変わらず穏やかに、「お前はいつも私と一緒にいて、私の物は全部お前の物だし、死んだと思っていた弟が見つかったのだから、楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか」と言った。そこでこの譬えは終わっている。だからこの長男が父親の言う事を理解して家に入って行ったか、それとも自分の言い分を通して、頑固に家には入らず、弟にも会わずに自分の場所に戻っていったか、どうだろう?  この譬え話からそれぞれが考える事は当然違うだろう。多分同じだと思うのは、次男坊がとんでもない悪賢い人間だという事だろう。反面、兄は真面目で一生懸命に働き、父親に仕えているけれど、よく考えて見ると、何で自分ばかり苦労しなくてはならないのか、といつも苦々しく思っていたかも知れない。そして、弟に対して恨みつらみがあったに違いない。一生懸命に働いている自分が正しいに決まっていると思っていただろう。だから弟を迎え入れた父親に対して不満もあっただろうし、不公平だと思ったであろう。 考えてみると、殆どの私たちにとって、この長男の気持ちは解り過ぎる位解るのかもしれない。それは、きっと私たちが「自分はいつも頑張って正しい事をしている、ちゃんとやっている」と思っているからではないだろうか。私はこの学びを通して、この長男が被害妄想から抜け出さない限り、きっと彼は一生幸せではないだろうと思った。そして次男の方は、悪賢い自己中心から、本当の意味で「我に返る」ことが出来なければ、救いは無いと思う。このどうしようもない次男坊や、自分を正当化する長男を、父親はこよなく愛しているのだ。自分から息子達に手を差し伸べているのだ。どうしようもない私たちに、神様はこの父親のように来て下さる。手を差し伸べて下さる。私たちはそれにどう答えて行けるだろう。本当に我に返って、「自分が悪かった」と素直に父親に言う次男になれるだろうか。「そうですね、一緒に喜びましょう」と素直に父親と家に入って弟の帰りを喜べる長男になれるだろうか? こんなにも神様の愛が深い事を、私たちは解っているのだろうか。 芙美Liang記 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 当日配布した資料2014 07 12 タスティン家庭集会 新島八重 新島八重のビデオならびに、八重のふるさとである会津は江戸時代のはじめに多くのクリスチャンがおり、たくさんの殉教者が出た等々の会津の歴史に関するビデオも見た。 会津に生まれた新島八重にキリストがどのように働かれ、近代日本にどのような影響を与えたか。 また、同じ主イエスキリストは、現代の私たちにどう働かれているのかを思い巡らす機会となった。 八重の夫で同志社大学の前身を築いた新島譲が召天の際に、妻の八重に残したコロサイ3:13 「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。」は八重の後の日本赤十字での活動などに大きな影響を及ぼしたように感じた。また、同じ御言葉が、今日、私たち一人一人に不思議に働いてくださっていることを思う。  さまざまな事情で来られなかった方が多かったが、それでも8名の方が集まり、良き学びと交わりの時となった。 次回は9月13日土曜を予定します。(当初は27日を予定しましたが都合により変更します) 日本人初の女性クリスチャン医師:荻野吟子の生涯、関係する御言葉を学び、話し合います。  Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet Healing of the Blind Man「盲人を癒す」マルコによる福音書10章46節〜52節 今回の学びは、46節から52節という短い箇所に書かれている奇跡の話である。 マルコの福音書に書かれている奇跡の話の中で、これが最後に書かれた奇跡だ。それには特別な意味があるのではないかと思う。それはこの奇跡が起こったのはイエスがイスラエルに行く途中であり、イエスはご自分がイスラエルに行く事は、十字架に架かり死ぬ事である、という事実をすでにご存知であったからだ。エリコからイスラエルに行く途中は石ころだらけのかなり厳しい道を歩かなければならない、しかもイエスの心中は行く手に待ち構えている十字架の死が重く伸し掛かっていたのだ。心身共に試練の旅路だったに違いない。 先ず、イエスの一行はエリコに到着する。そして大勢の群衆と共にエリコを出て行こうとした時のことである。バルティマイという道端に座って物乞いをしていた盲人が、イエスが来た事を知って大声で、「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください」、と叫び始めた。ここでよく考えてみると、マタイの8章22節にでてくる盲人と違って、この箇所ではマルコは盲人の名前を「バルティマイ」と書いている。ただの「物乞いの盲人」ではなく、「バルティマイ」という名で呼ばれる所に相手を尊重し、一人の人間として扱っている事がわかる。私たちだって街角に立ってお金を求めているホームレスの名前を聞く事など先ず無いだろう。 もし彼らの名前を知っていて、名前で呼んであげたら、それは彼らの人格を大切にしていると同時に、親近感を持つ事にもなるだろう。もう一つ、マタイの8章22節では、群衆が盲人をイエスの前に連れて来て、癒してくれるようにと頼んでいるが、ここでは群衆はバルティマイを叱りつけて黙らせようとしていると書いてある。随分の差である。ところが、この男は群衆に叱りつけられてもめげずに叫び続けた。彼がいかに気丈な人間であったかが解る。バルティマイに対して意地悪だった群衆も、イエスが「あの男を呼んで来なさい」と言った途端に態度が変わり、バルティマイに「安心しなさい、立ちなさい、お呼びだ」と言う。彼は躍り上がって喜び、イエスの所に来た。そしてイエスはこの盲人にわざわざ、「何をしてほしいのか」と聞いたのだ。盲人だから目が見えるようになりたいのは解りきっているだろうに、なぜわざわざ聞いたのだろうか?それは、イザヤ書42章の16節に書かれているように、神に出来ない事はなく、決して求める者を見捨てる事はないという事を示している。本人の口から、何を自分が求めているのかを言わせる事によって、彼が「見えるようになりたい」という願いをイエスには成就させることができる。それは文字通りに周りの人達や景色が見えるようになるだけではなく、自分の願いを成就してくれたイエスが誰なのか、真の姿が見えるようになる、という事なのだと思う。 バルティマイがイエスの助けを求めて叫んでいる時に「ダビデの子イエス」と呼んだが、何故「ダビデの子」と言ったのだろうか。それは当時の民衆が、ローマ帝国や、他の強国の圧力に辟易していて、いつかは自分たちを救ってくれる リーダーが現れるに違いないと信じていた。そのリーダーが「ダビデの子」なのである。そして彼らにとって「ダビデの子」である力強いリーダーのイメージは 軍事的にも政治的にも力のある人物であったに違いない。しかし、イエスは全く正反対だったのだ。イエスは軍力で人々を救う為に来たのではない、国の政治を変える為に来たのでもない、イエスにとって軍事力や政治力などなんの意味もなかった。彼が来たのは人々を癒し、愛し、平和をもたらす為なのだ。バルティマイは、目が見えるようになって、「ダビデの子」の真の意味が分かったに違いない、そして「ダビデの子イエス」が真の救い主であることが、彼には見えるようになったのだ。正に「見えるようにして下さい」と願った事をイエスは成就された。 私たちもバルティマイと同じように盲人なのかもしれない。そしてイエスが私たちに「何をしてほしいのか?」と聞かれたら、私たちは何と答えるだろう。 「見えるようにしてください」と答えられるだろうか? イエスが弟子達に何を望んでいるのかと聞いた時に、ヤコブとヨセフが「あなたの右と左に座らせて下さい」と願ったように、栄誉の座だけを求めているのが私たちではないだろうか? 「見えるようにして下さい」と信じて祈る時、私たちの救い主イエスは必ず私たちに道を示して下さる。イエスはエリコからイスラエルへ行かれる時、それは死への道のりだったにも拘らず、救いを求めて叫ぶバルティマイの声を聴き、立ち止まって彼に救いの手を差し伸べられた。私たちの救い主イエスは、私たちを決して見捨てる事はなく、常に私たちを導いて下さる。私たちもバルティマイのように、しっかりと目を開き、イエスの姿をしっかりと見て従って行こう。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet LCR日本語部ではアーバインの愛子G.宅でカール先生による バイブル・スタディが毎月第2、4火曜日午前10時半より 行われています。現在は聖書の中の奇跡と譬話を予め渡されて いるテキストに基づいて学んでいます。英語で行われていますが 分り易く質問も活発に行われ充されたひと時を感謝して学んでいます。毎回の内容は、日本語で纏められ、家庭集会報告のカテゴリーに記載されていますので、ご覧下さい。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 1ヶ月に1回集まっています。 今回は「神の残した指紋1」というビデオを見て、日本人伝道について話し合いました。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet カール先生指導によるアーバイン家庭集会が、愛子Gordilloさん宅で、毎月第二と第四火曜日の10時半から一時間行われています。6月11日から始まった新しいシリーズは、毎回違う譬え話や奇跡の話を通して神様と私たちの関係を学んでいます。興味深い学びの時です。出席できる方は是非出席して下さい。出席できない方の為に、毎回の纏めを掲載致しますのでご覧下さい。 アーバイン家庭集会特集#1 カール先生指導によるアーバイン家庭集会#2   Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace

Tweet 5月はM兄のメモリアルサービスとなったため予定した家庭集会は延期。 6月14日、M兄はもう出席されないが、それでも10名が集まり、M兄は天からイエス様とともに見守っていてくださった。 O兄はここ数ヶ月は車無しの生活をしているため、なんと行きも帰りも4時間づつ費やしてトーランスからバスで参加。それほどにタスティンの家庭集会には出席の価値がある?! 学んだ内容は、新渡戸稲造のビデオを見て、マルコ15章、ヨハネ15、16章を読む。  興味ある方は添付資料をご参考まで。 タスティン家庭集会資料 2014 06 14 新渡戸稲造 負けるが勝ち 楽しいですよ。よかったらぜひ次回からご参加ください。 7月12日を予定。。。。  Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace