Archive for April, 2011

Tweet 特別の祈りー東日本大震災で被災された方を覚えて 司式)私たちの主であり、生きておられる神様、 今日、死より甦られたイエス様を讃える礼拝を持てたことを感謝します。あなたが十字架に架かられたのは私達の罪のためです。それによってあなたはあなたを信じるすべての人に永遠の命を約束してくだいました。どうか私たちが人生のどのような時にも、どのような状況にあってもあなたを信じ、あなたによって生かされていることを教えて下さい。 会衆)主よ、私は、あなたが私達と何時もいらっしゃることを信じます。 司式)私たちはこの大震災を経験することによって、人が如何に小さい存在であるかを知りました。一人で途方にくれる時、私たちの心は悲しみに満ちます。しかし、私たちが信仰の友と一緒に祈る時、そこにあなたが共に居て下さり、私たちに明日に向かっての希望を与えてくださることを知ります。 会衆)主よ、私はあなたが今日の私達の悲しみを明日の希望に変えてくださることを信じます。 司式)この災害によって家族を失った方、家を失った方、仕事も財産も全てを無くして泣いている方々にあなたの愛を与えてください。また、私たちがお互いに聖書の中の「善きサマリヤ人」となることができるよう導いてください。 会衆)主よ、わたしたちを祈りと行動により、イエス様の小さき助け人として用いてください。 司式)世界中がこの日本で起こった災害について報道しています。地震、津波、放射能の問題に日本はこれからどの様に取り組んでいくかを見守っています。このような災害のまっただ中にあって、日本人の国民性のすばらしさを世界中の人が賞賛しています。どうかこの災害から立ち直る過程において、世界の思いが一つとなって助け合う事ができるようにしてください。 会衆)主よ、私たちはあなたの死からの復活を信じ、私達のこの国がお互いを大切にする精神を持って再建できるよう祈ります。 司式)世界のあらゆる国々から、支援、献金が送られています。これらのギフトに感謝すると共に私たちも世界各地の人々の苦しみを分かち合うことのできる人間に育ててください。 会衆)コリントの信徒への第1の手紙12章26節の言葉を覚えます。「一つの部分が苦しめば、全ての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、全ての部分が共に喜ぶのです。」 司式、会衆共に)一緒にヨハネによる福音書の16章33節を読みましょう。「あなた方には世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン 2011年5月1日復活後第1主日  Evangelical Lutheran Church in America  復活ルーテル教会・Huntington Beach, California Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet 復活祭聖餐礼拝  2011年4月24日 ヨハネによる福音書20章1-18節 「驚きの結末」”The Surprise Ending” 多くのイスラエルの人々がイエス様に託していた夢がカルバリの丘の十字架の上で消えました。イエス様はユダヤ人をローマ帝国から解放してくれる人と思っていたのです。イエス様は歴史の中でダビデ王の再臨のように感じていたのです。 ユダヤの人々はイエス様がライ病、目の見えないものを治したのを見てきました。神様の愛についての教えを聞きました。彼らは叉放蕩息子の譬え、貧乏人に自分の持っていた最後のお金をあげた婦人の話も聞きました。 イエス様は人々にお互いを愛し合いなさい、特に誰からも愛されていないそのような人たちを愛しなさいと教えられたのです。人々はこのイエス様に心を惹かれたのです。彼は普通の人ではありません。イエス様が何か違う、何か神秘的な人であると思った人もいたはずです。そうです、イエス様は救い主、そしてイエス様は神様の国が私たちの真っ只中に来たと教えられたのです。しかし今やその夢がこの金曜日に敗れ去ったのです。イエス様は十字架に架かって死に、墓に葬られ、私達の夢は消え去ったのです。 イエス様に従ってきた弟子たちの希望は消えてしまい、叉、惨めな現実的世界へと戻されたのです。イエス様が墓に葬られてから3日目の日曜日にマグダラのマリアがまだ胸の張り裂けるような思いでやってきました。しかしそこで何が起こったかは皆さんの知っているとおりです。イエス様は墓の中に見つからなかったのです。 話しは変わりますが、ある家族のみなさんが一緒にテレビでイエス様の受難とイースターの出来をを見ていたのですが、まだ小さい娘さんは、イエス様が十字架の上で苦しんでいる姿を見て涙がとまりません。死んで十字架からおろされたイエス様がお墓に入れられる場面を見ていた娘さん、今度はスマイルの顔で言いました。「これからの所がいいところよ」と。 それはイエス様の復活の場面です。白い衣をきた二人のみ使いが、イエス様の葬られたその場所でマグダラのマリアに尋ねたのです、「女よ、何故泣いているのか?」と。墓の中にイエス様の遺体が見つからない、それはどういうことかわからない。そう言って振り向くと、復活されたイエスがいたのですが、マリアはそれがイエス様だと分からなかったのです。皆さんも経験したことがあるように、その目のまん前にいる人、まん前に在る物も涙によってはっきり見えないとこもあるのです。 しかしイエス様が「マリア」と呼ばれた時、その聞きなれていたその声でそこに復活されたイエス様がいるとわかったのです。同じようにイエス様は私たち一人ひとりの名を知っています。私達の全てを知っているのです。私達を全てを愛してくださっているのです。 イエス様の死と復活によって世界は変わったのです。死ぬことはもはや恐れることではありません。神様は私達に死に打ち勝つ復活の力を与えてくださるのです。 1991年にソビエト連邦が崩壊した出来事を皆さんご存知と思います。コミ二スト、共産党の時代には宗教の自由は認められませんでした。しかし共産党の政府が崩れたその日にソビエトだけでなく、周りの共産党の国々に、あるパス・ワードが広がっていきました。そのパス・ワードは、 “The Lamb Wins!” 「子羊による勝利」です。百年にも及んで共産党の政府の中で弾圧されていた宗教の自由、イエス様への信仰が再び認められたのです。 キリスト教の信仰は復活されたイエス様が私たちに永遠の命を約束されたことによって始まります。私達の恐れている死はイエス様の復活によって打ち負かされているのです。 The Newsweek Magazine に何年か前、こんな文章が載っていました。これはSouth Carolina州のGreenville county  のdepartment of Social services から、すでに亡くなるった人たちに送られてきた手紙の内容です。これは日本語に直さず、英語そのままで読んでみます。 “Your food stamp will be stopped effective immediately because we have received notice that you passed away. Thank you for your attention to this matter.  You may reply if there is any change in your circumstances.” そのChange in your circumstancesができるのはイエス様だけです。イエス様は生きています。イエス様は生きているからこそ私たちも永遠に生きることができるのです。 ここ2、3週間、私はマルタ、マリア、そしてラザロの話しをしましたが、イエス様からの直接な言葉をお聞きください。それは、「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者はだれでも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」です。(ヨハネによる福音書11章25-26節) Christ has risen.  (Response) He has risen indeed.  Amen. Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet                                                     2011年5月の予定     5/1        LCR総会          9:05AM          礼拝堂             何でもお世話ネット説明会      1:00PM   T. Hall 5/1、8、15、22  キリスト教入門講座         10:00AM           Bercaw Hall  5/2、16       英会話教室         12:30 PM       Joyce’s Library           ラインダンス           1:45 PM       Bercaw Hall 5/5、12、26        聖書を読む会         10:30 AM           Joyce’s Library  5/5、18                 事務打ち合わせ                        1:00PM         JM Office 5/8                母の日ランチョン       12:00PM        Bercaw Hall 5/10、24       アーバイン家庭集会      10:30AM       愛子G.宅  5/27                              コロナ家庭集会        10:30AM      今井宅 5/28          タスティン家庭集会        1: 30PM   安達牧師宅   Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet 2011 Seder 過ぎ越しの祭り食事準備者のあとがき   2009年過越しの食事礼拝 この文章を読む前に2009年伊籐文雄牧師により行われました、私たちの最初の過ぎ越しの食事の記事を お読み下さる様筆者が薦めています。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet               A Prayer for Courage and Strength              勇気と力を求める祈  L:        Gracious God, as we stand in awe of your creation we are humbled by it’s majesty  and beauty.  We have experienced the silence of falling snow and the rush of mighty winds. All:      We humbly bow before the wonder of God’s creation. L:        From the depths, volcanoes spew hot lava and from tiny buds come sweet smelling flowers. All:      We rejoice in the mighty and the gentle. L:        But the earth and the mountains shake and the seas rumble with devastating force and power.   All:      O God, protect us when things are beyond our control.  L:        In the midst of trouble and tragedy, fear and confusion, despair and discouragement, we cry to You for help. All:      O Lord, comfort us with your compassion, healing and love. L:        For those who have lost loved ones… All:      Cradle them with the promise of eternal life. L:        For those who have lost homes….  All:      Shelter them under you wings of mercy.  L:        For those who have lost hope….  All:      Remind them of the promise of new beginnings.  L:        In our time of grief and doubt…  All:      Bind our wounds, mend our broken  hearts and banish our fear.  L:        Let us rejoice in the Lord our God.  All:      Let us give thanks for the wonder of His creation; for the courage to move on and for the blessings of Abundant and Eternal Life.   Amen Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail…

Tweet 枝の主日聖餐礼拝2011年4月17日 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet Easter Invitation 2011 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet Calendar 5, 2011C Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet 2011 4 17W ファイル名を2回クリックするとPDFファイルが ご覧になれます。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet 私達の父なる主イエス・キリストより恵みと平安があなた方の上にあるように。アーメン。 今日の与えられた福音書の日課は44節にわたる長い話でしたが、この礼拝のすぐ後に行なわれる静子Genewichさんのメモリアル・サービスを考えると、神様はこの日に素晴らしい福音を皆さんに送って下さったと思います。 信仰生活の長いクリスチャンは、このラザロの死についての話しを何十回も聞いているはずです。ラザロと彼の姉妹のマルタ、マリアはベタニアというエルサレムから2マイルとそんなに遠くない町に住んでいました。ラザロがどんな職業についていたか福音書には書いてありませんが、多分このベタニアで地位も名前を知られていた人だと思います。  あるいはこれは推測ですが、ベタニアはイエス様の生まれたベツレヘムからも近くその距離は2マイルです。イエス様は育ったナザレの町から毎年過ぎ越しの祭りにエルサレムまで来ていたわけですから或はイエス様とラザロは昔から知り合いであったかもしれません。ラザロの妹のマリアは主に香油を塗り、自分の髪の毛で主の足を拭いた女と今日の福音書で書いてあります。 イエス様が洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後12人の弟子を連れてイスラエルの国中で神の国の福音を宣べ伝えたことは4つの福音書を読んでわかりますが、この神の国の伝道をするために費用がかかったのは確かです。それを支えていた人たちが実際いたのです。その多くは女性だったと知ってますか?聖書学者の多くはマグダラのマリアはイエス様の伝道に掛かる費用を自分からも、色々な所からも調達した人だったと言っています。 それに叉、福音書には名前しか知らない多くの女性の名が出てきます。特にイエス様がゴルゴダの丘で十字架に架かった時、十字架の下に集まった女性たち、叉、イエス様が死んでお墓に納められた3日後に香料を持ってきたのは全て女の人でした。全てのこれらの女の人の名前は福音書には書いてありません。これもまた私一人の推測ですが、そこにベタニアのマルタ、マリアもいたのではないでしょうか? ここで知って欲しい大切なことは、ラザロ、マルタ、マリアはイエス様を愛していた、叉イエス様も彼らを愛していたということです。ですからラザロが重い病気にかかり、これは死を招くような病気だと判断したラザロの姉妹はイエス様に使いをよこし、「イエス様ラザロのもとにすぐ帰って来てください、彼を病気から癒してください」と切望したのです。それなのにイエス様はその場にまだ2日滞在し、その後やっと弟子たちにもう一度ユダヤのラザロのところに行こうと言ったのです。イエス様がラザロの所に着いた時はすでにラザロが死んで4日目です。もう墓に収められていました。悲しみに耽っていたマルタとマリアをを想像してください。最初にイエス様に出会ったのはマルタです。イエス様が来られたと聞いて、イエス様のところまで行き言いました。「主よ、もしあなたがここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょう。然し、あなたがどんなことをお願いになっても、神様はかなえてくださる事を、私は今でも存じています」。妹のマリアもその後、イエス様に対面した時、同じ言葉をイエス様に言いました。「あなたがどんなことをお願いになっても、神様はかなえている事を、私は今でも存じています」。 私は去年の6月に父を亡くしました。その時が来ることは分かっていました。2年もの間、口から食べることの出来なくなった父はおなかにチューブを差し込まれEnsure というミルクシェキだけでかろうじて生きていたのですが、お葬式にやせ果てた顔の父を見て涙が止まらなかった。イエス様も友達のラザロの死を目の前にして、いや、姉妹もそこに集まった人たちが泣いているのを見て涙を流されたのです。 「イエス様は涙を流された」 英語では、  “Jesus wept”  という聖書の中で一番短い言葉の中にイエス様の私たち、人間に対しての深い思いが言い表されているのです。私たちが悲しみの中で泣く時にイエス様、神様は共にいて私達と一緒にに泣いて下さるのです。イエス様が泣いているのを見たユダヤ人たちは言いました。「ああ、なんと彼を愛しておられたことか。然し、あの盲人の目を開けたこの人でも、ラザロを死なせないようにできなかったのか」。イエス様は言いました。「石をとりのぞけなさい」。それに対してのマルタの言葉、「主よ、もう臭くなっています。四日もたっていますから」。ここでマルタはイエス様が神様から出てきた者、全能の神から来たもの、それをまだ把握していなかったのです。 イエス様を信じますとついさっきまで言ったマルタ。そのマルタ、でも、それはマルタだけではない、イエス様に従って生きてゆこうと決意した私たち全てに、イエスは言いました。「もし信じるなら、神の栄光を見るであろうと言ったではないか」と。この話しのクライマックスは「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばれたイエスの言葉、そしてそこで起こった奇跡。死人が甦ったのです。 人生の中でどんな苦しいこと、悲しいことを経験しない人間は一人もいません。しかし、神様は、そのような試練に出会う私たちに人生の生き方、悲しみを喜びに変えることのできる力をイエス様を主と信じる信仰によって与えて下さっているのです。 今日の礼拝の後すぐ始めるメモリアル・サービスは私たちの友達、いやそれだけではない、信仰の友であった静子さんを偲ぶと共に、静子さんはすでにイエス様の元にいらっしゃることを確認する時です。 神様の元に帰る、それは天地の創造者のもとに帰ることです。私達の神様、イエス様は、「あなたは素晴らしい人間として人生を送りましたね。もっとも、あなたには人生で辛い時もあった。悲しい時もあった、喧嘩した時もあった。私にくってかかってきた時もあった。私があなたと共にいないのは何故かと問われたこともあった。デモね、これだけは知ってください。私はあなたを見放したことは一度も無かった」と。 私達の人生で、神様と顔と顔を合わして出会った経験をした人はいるでしょうか?。然し神様を心の中で感じた人、経験した人は沢山いるはずです。私たち一人ひとりはただ偶然に此の世に生まれたのではないのです。私たち一人ひとりは神様の計画の中で此の世に生まれ、此の世に色々な形で貢献しているのです。人生の中で神様から愛されていると信じることのできる人たちは幸いです。というのは神様から愛されていると信じる私たちはただ単に神様の愛を受け取るだけではなく、その神様の愛を人と人の付き合いの中で実行して生きてゆくことを人生の一番大切な事と信じることが出来るからです。それこそキリスト教の真髄です。 神様の恵みと平安が何時もあなた方と共にあるように祈ります。アーメン。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]