Archive for November, 2017

Tweet 11月19日LCR日本語部週報通算第1433号 2017年11月19日の週報 Sunday English Bulletin 1433E Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

November 18th, 2017

今週の聖書観想

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Tweet 今週は毎日、とくに火曜から金曜は毎日会議、そして今日は結婚式・洗礼式とあり、聖書観想の掲載がなんと土曜の遅くになってしまい申し訳けありません。  2017年11月12日(日) マタイ25:1-13 先週読んだ時は特に思い出さなかったが、今週は読んでいて、「油断」という言葉を思い出した。日本語で生活をしている人は、油断という言葉を聞いて、文字通り油が絶たれることだと考える人はまずいないと思う。それは「気をゆるめること」「ついうっかりしてしまうこと。」まさに油を十分用意していなかった5人の乙女たちの話になってくる。私は前から油断という言葉が聖書のこの話が起源ではないのではないかと思っている。 2017年11月13日(月) 第一コリント14:20-25 まず、聖書日課には1コロとなってしまっていたが、1コリの誤りで申し訳ない。 第一コリントの14章のこの箇所、異言と預言について書いてある。 復活ルーテル教会ではいわゆる異言をしゃべることはないと思っている。しかし、教会用語をよく使ってきたので、場合によっては変更した方が良いと思うことがある。愛餐ということばを以前よく使っていたが、これは意味のある言葉だと思うが、はじめてきていただいた方にはどうかと思うし、毎回日曜は愛餐として、ポットラックの準備をしなければいけないような重荷になってはならないという雰囲気が広がり、軽食を使うようになってきている。 2017年11月17日(金) エゼキエル7:1-9 旧約聖書のこのような箇所を読んで、この箇所だけにとらわれてしまうと、神さまってとても愛情あふれる方には思えないという気持ちになるかもしれない。しかし、よっぽどのことがおこったときには、愛にあふれる父なる神でも厳しいことはあるのだと思う。親が子に対していくら愛情があっても、ときに厳しい態度に出なければならないときもあるし、夫婦関係などにおいても、一方がきわめて思い病にかかったり、予測しえないような事態に陥り、どんなにか愛にあふれていても、関係は終わり離婚の手続きをとられるケースも稀にはあるのだと思う。  2017年11月19日(日) マタイ25:14-30 この箇所、ビジネスマンなどに好まれるというか、金儲けを良しとするというか、金欲は悪いことではないかのような解釈も出てくるのかもしれない。 しかし、本当にそういうことなのだろうか。 タラントとはいったい何なのだろうか? 私はお金の価値には換算できないような神の愛ということなのだろうと考える。 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

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November 11th, 2017

今週の聖書観想

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Tweet 2017年11月5日(日) マタイ 23:1-12 「先生と呼ばれてはならない、なぜならキリストのみが先生だから。」という話、私の学んだ大学では教授も「---君」という呼び方で公的な文書が発行されていたことを思い出す。別にキリスト教の大学ではないのだが、隠れたところでキリストの愛にあふれており、世間体は派手で学費が高いとか言われるが、実は地味で学費も候補だったほかの私立大学より安かった。謙虚さが重んじられた大学だったことを思い出す。キリスト教とはぜんぜんうたっていない教育機関でありながら、そこに主の存在が見え隠れしていたように思う。実は、すべての社会で、また自分ではキリスト教信者だとはいわない方に主の存在がはいりこみ、隠れた伝道者になっているようなことが多々あるように思っている。  2017年11月13日(月) 第一テサロニケ2:13-20 マタイ23章で、「あなたがたはみな兄弟なのだから」という話を読んだあと、この第一テサロニケを読んでいて、パウロがテサロニケの信者たちに「兄弟たち」(14節、17節)と呼びかけていることに、意味を感じる。 むかし笹川良一氏が日本船舶振興会の会長職の立場でコマーシャルに出ており「人類皆兄弟」という言葉を多くの子供たちとともに声を合わせて話していたように思う。その日本船舶振興会は、なんとローマカトリック教会の曽野綾子氏が笹川会長職を引き継いだことを思い出し、主の愛が船舶振興会にも入り込んでいることを覚える。 2017年11月10日(金) アモス書 3:1-12 10節には「彼らは正しくふるまうことを知らないと主は言われる。彼らは不法と乱暴を城郭に積み重ねている。」 とある。 後半部分、口語訳では「しえたげ取った物と奪い取った物とを、そのもろもろの宮殿にたくわえている。」と訳してあった。 私はアモス書というと、社会正義、特に世のリーダーの職にあるもののあり方を指摘しているように読めてくる。 日本のニュースでは企業の内部留保がとりあげられているが、神はアモス書を通して現代のリーダにも同じ指摘をしているように聞こえてくる。 2017年11月12日(日) マタイ福音書25:1-13 不幸な5人のおとめと、油をわけないけちな5人のおとめという話にとられてしまうかもしれないが、イエスのおっしゃりたいことはもちろんそういうことではないのだと思う。 油をわけらないことはなにを意味しているのだろう。 イエスの再臨に対する心構えつまり心構えそのものは、互いに心構えをしようと声をかけあうことができても、真剣に心構えをするかどうかは、ひとりひとりが決断して心構えをしなければならない。 心構えは分かち合えないのだ。 ひとりひとりがイエスの再臨を待つ心構えが、油を準備することにたとえられていると私は思う。 わたしたちをこの上なく愛してくださる神、イエスの再臨、イエスとの祝宴に備え、日々イエスとの交わりを大切に生きたい。日々御言葉と交わる、それが油をきらさずに準備することではないだろうか。 日曜、教会総会のため10時の礼拝のみで、第一礼拝も日本語礼拝もありませんが、良き主日礼拝になります。 そして意味のある教会総会が開かれますように! 主の恵みと平安 安達均 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet 日本語説教ここをクリックーー>2017 11 05 Jpn Translation for 29th Anniversary Service Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

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Tweet LCR日本語部宣教開始29周年記念礼拝週報通算第1432号 2017年10月15日の週報 Sunday English Bulletin 29th Anniversary1432E Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

November 4th, 2017

今週の聖書観想

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Tweet 2017年10月29日 マタイ22章34-46 29日は宗教改革記念主日としての礼拝で、ヨハネ福音書8章が読まれたため、このマタイ22章のもっとも重要な掟の箇所は読まれなかった。しかし、「もっとも重要」と書かれているだけに、本当に重要な箇所だと思う。「神を愛し隣人を自分のように愛すること。」この言葉から、もちろん自分を愛することも重要ではあるが、現代は自分を最優先にするだけで、神や隣人をどこかにおいてしまいそうな世界的風潮をかもし出してきており、危険信号だと思っている。大前提には神が私たちを愛してくださっていることがあるのに、そのことをどこかにおいてしまい感謝が薄れてきているような気もしている。キリスト者として、神の愛を述べ伝えることの重要性をますます感じる。 2017年10月30日 ヤコブ2:8-13 「人に憐れみをかけない者には、憐れみのない裁きがくだされます。」やはり前提にあるのは、神のわたしたち一人ひとりへの憐れみ、愛が注がれていることがあって、このような言葉が書かれていると思う。この憐れみは、普段教会に行っているとか良い行いをしているから与えられるにではなく、残念ながらというかありがたいことに、神が我慢強く無条件にあたえ続けておられる。 2017年11月3日(金) エゼキエル書13:1-16 旧約聖書における一つの大きな課題は偽預言者の存在。神から預かる言葉を話すのではなく、自分の利益を求めるような言葉を話す偽預言者たちがいた。この旧約聖書箇所を読みながら、これは紀元前の話ばかりではなく現代にも警告を発していることを思う。 2017年11月5日(日) マタイによる福音書 「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」キリスト教が浸透していない日本でも、私の感覚ではへりくだる文化が比較的浸透しているように思う。 しかし、この聖書箇所で学ぶことは、「真の先生・教師」は「父なる神・主なるイエス」だから、へりくだるようにと言われている。文化的に、良い人間関係を築くためにへりくだるのではなく、父なる神・主なるイエスから注がれているすべての恵みゆえに、へりくだることを覚えて生きたい。   5日の日曜日には日本語宣教29周年記念礼拝です。主の導きの中で全聖徒の日にあって豊かな日本語ミニストリーの礼拝となりますように!  主の恵みと平安 安達均 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]

Tweet 説教日本語訳ここをクリックーー>2017 10 29 Jpn Sermon Final Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace [Translate]